スタッフエッセイ 2007年3月

ランチタイムに

桑田道子

 先日、友人に誘われ、ランチを食べに行ったお店でのこと。
 前々から、ネットや雑誌でそのお店をとりあげた記事をみることもあり、かなり楽しみにでかけた。本来は、自分の足で近辺を歩き回って、偶然みつけたお店の方が「あたり」が多かったりするけれど、そういった楽しみは、ある意味時間も元気も有り余っていた学生時代の特権だったのかもしれず、最近はもっぱら、前情報をどこかで仕入れてから、出かけることばかり。でも、マスコミに取り上げられすぎて(?)接客が行き届かなくなってしまったり、紹介記事がオーバーだったりして、あまり期待していくと、ガッカリすることがあるのも事実。「食い倒れ」の名の通り、流行っている食べ物屋さんはどんどん店舗も増えたり、「あれ?前よりお店が広くなった?」なんてこともある反面、「こないだ、ここに○○出来てなかったっけ?」と、あっという間に閉店になってしまう、動きも激しいのが大阪。

 そのお店もとても流行っているので、夜は予約が必要と聞いていたが(決してお高いレストランではありません、念の為)、お昼時を少し過ぎた1時前、テーブルは既に満席でカウンターへ。具沢山のスープに始まり、前菜やメイン料理を5つぐらいの中から選べ、例えば、「サーモンの燻製」とあるので、よくある、ひらひらしたスモークサーモンかと思えば、厚さ3センチほどのまだ生っぽいオレンジのサーモンの燻製を使ったサラダだったり、「イワシと野菜の重ね焼き」は、イワシが丁寧にすり潰されて、イワシを(アンチョビではなくて)洋風に使うとこうなるのかと驚かされるし、メインには鶉や羊も選べたり、ひとつひとつが凝っている、大満足な料理だった。カウンターからは厨房が見えるが、厨房の壁もピカピカ、綺麗に磨かれているし、スタッフ達はキビキビと働いて本当に気持ちのいいお店。若手のコックさんたちは、ひたすら洗い物をし続けている人、ひたすら果物や野菜を切り続ける人、と分担作業になっていたが、奥から、おそらくそのお店のオーナーシェフが料理をあげるたび、若いコックさん達がチラッとお皿を見る姿に、なんだか感動。そうやって、一皿、一皿、先輩から体で見習っていくんだなぁ、と。しかも、約2時間程の間、厨房で言葉が交わされることはほぼなく、オーダーのかかる声のみに従って、自分たちでパッパパッパと動いていく。先輩シェフの動きを常に確認して、言われる前に手伝いをしていく。最近の若者は働かない、夢がない、気が利かない、とあまりいい言葉を聞かない昨今だが、いろんなところに、夢を持って、自分の仕事に誇りを持って働いている人たちはたくさんいるんだからと、働く人たちの姿に、私も励まされた気持ち。フロアの方も、お皿をさげたり、次の料理を持ってきてくれるタイミングといい絶妙で、1人でもグループでも、どちらで来ても、居心地のいい、そんなお店だった。

 会計を終えて、預けていたコートをとると、一言、「今日は寒いですから、よかったら、着て出られた方がいいですよ」。そして、コートを着て、外へ出ようとすると、その店員さんが先にドアを開けて「ありがとうございました」といいながら、外へ出るなり「あー、雨が」と。「傘、お持ちですか?ちょっと取ってきますから」と傘を取りに店内に戻られようとしたが、最寄駅まで歩いても2分程度のところなので、「大丈夫です、走りますから。ごちそうさまでした」と出てきた。その「あー」がとっても心がこもっていて、今、このエッセイに書こうにも、「あー」にしかならずもどかしいぐらいだが、こう、残念というか、心配というか、こちらを気にかけた気持ちの伝わってきた声だった。店の外まで見送る、というのはそのお店の決まりごとかもしれないし、オーナーから「〜〜するように」と指示されて、やっていることもいろいろあるかもしれない。けれども、一瞬の関わり、もっというと、「お金が介在してサービスをする人とされる人」という関係だったとはいえ、人と人とが触れ合うときに、そのルールやマニュアルからの言葉や行動を越えて、心が通じてくるものがあるんだろう。そして、心のこもったもてなしに、受けたこちらは、あたたかい気持ちにさせられる。そのお店が、おいしい食事をサーブしてくれる根っこのところには、この働く人たちの心が通っているんだなぁと感じたひとときだった。自分の言動は、おざなりになってないだろうか。ひとつひとつの言葉、行動を大切に行えているだろうか。ステキな働く人たち、サービスを提供してくれる人たちを前に、ふと、自分を省みる、思いがけず身にしみたランチとなった。頑張ろう。

(2007年3月)