スタッフエッセイ 2007年3月

長川歩美

 幼い頃、わたしの実家では猫をたくさんかっていた。一番目の猫が実家にやってきたのは、小学校4,5年生のころだっただろうか。同級生のDちゃんの家からやってきた真っ白なオスの子猫「チロ」だった。このチロだけが唯一、一人っ子期間があって、母・父・兄・私からうばい合うように可愛がられていた。チロは全身真っ白・・耳の先や鼻の頭がきれいなピンク色で、しっぽの先がくるんと曲がっていてなんとも愛らしかった。

 複数の猫とくらすようになると、1匹1匹性格や癖が違うのがよくわかる。チロには人間がいない間にお漏らしをする癖があった。テレビの後ろ・・ソファの後ろ・・「そんなところにするくらいなら、なぜこのすぐ近くのトイレにしない?!」と思うのだが、チロのお漏らし癖は治らず、おかげで我が家にはいつも消毒液のにおいがしていたのを覚えている。しかられても愛嬌のある、情けなくて可愛いチロ。

 チロが実家にやってきてから数ヵ月後、玄関のチャイムに呼ばれて出て行くと、クラスメートのMくんが、小さな猫をこわれもののように大事そうに抱えて立っていた。「あんな、緑地におってん。それでな・・連れてきてん。みゃアみゃア言うとったし。」かなんか言っていたように思う。こげ茶の縞と白の毛並みのマーブル模様のメスの子猫。この2番目の子猫は「タラ」と名づけられた。

 猫は不思議な生き物で、いつの間にか外に出て、必ず夕方くらいには戻ってくる。タラはいつのまにかおなかが大きくなり、2度3度3,4匹の子猫を産んだ。鼻の頭が黒い「ハナ」、きれいな顔立ちの「ピン」、「ポン」「ポロ」・・名づけ役は母だったが、もう名前の付け方もいいかげんなものである。その後も拾ってきたり、産まれたりと、子猫の数は増え続け、15,6匹になっていたように思う。ピン球をコトンと投げると、どどどっと、5,6匹の猫が駆けつける。カーテンに一人でどんどん登っていって、降りられずに助けを呼ぶ子猫・・我が家はなんともにぎやかな猫屋敷になっていった。

 1匹目のチロにはもう一つ放浪癖があった。ある日曜日に猫たちを連れて川原にドライブに行ったことがあった。小一時間過ごして猫たちを連れて帰ろうとすると、チロだけがいなかった。どんなに探しても見つからず、あきらめきれないまま帰ったのであるが・・一ヶ月後、灰色に薄汚れてぼろぼろになったチロが帰ってきた。見覚えのあるくるんと曲がったしっぽ。「犬でこういうことがあると聞いたことはあったけど、まさかこのチロが、遠くから帰って来られるなんて(涙)・・!」私の感動をよそに、チロはこれをきっかけに、映画の寅さんのように、ふらっと出ていってはたまに帰ってきて、またふらっと出て行くようになった。私は小学生ながら(チロはああいう人(猫)生なんだ。無理に家にひきとめちゃいけないんだ。)とどこかで勝手に納得していた。

 どこからか兄が拾ってきた子猫は、体中に蛆虫が湧いていた。聞けば何匹か箱の中に捨てられている中で、兄弟たちはすでに息絶えており、1匹だけミャアミャア鳴いていたのを拾い上げてきたという。もうだめだろう、とあきらめながらもミルクをやり、母は一つ一つピンセットでお尻や耳から蛆虫を取り出していたが、数日後、名前をつける暇もなく死んでいってしまった。母も私も切なくて、どうしようもない無力感を感じて、泣きに泣いた。

 それまでお葬式にも出たことがなかった私にとって、これが初めての「死」の体験だった。いつまでも落ち込んでいる私に、友人のKさんがプレゼントをくれた。陶器の猫の貯金箱だった。可愛らしい陶器の猫の顔を見て思わず号泣しながらも、私はどこかで頭が冷めていて「この貯金箱とあの子猫とは全然関係ない!」という、怒りのような思いを強く感じていた。(Kさんごめんなさい。)Kさんの気持ちはとてもうれしかったのだが、いろんな気持ちが複雑に出て来て、自分で扱いきれなかったのを覚えている。しかし不思議なことに、その日を境に悲しみにおさまりがついた。

 猫をかっていたことなどすっかり忘れていたのだが、いつの間にか出て行ったチロはどこでどんな人(猫)生を終えただろうかと最近ふと思い出した。小庭に残されている近所の犬猫の糞を処理するのが、以前ほど嫌でなくなったのはチロのおかげだろうか。

(2007年3月)