スタッフエッセイ 2007年2月

あ〜らら、勘違い

森葺a代

 ある日、鏡を見ていて発見。「な、見て見て。最近まつげが長なったみたいやねん!」と私。「気のせい、気のせい」と娘。「気のせいと違うって、だってビューラー使ったら、ほら、こんなにまつげがクルンってなるもん!」「だ・か・ら、それは気のせい。私がビューラーのゴムを換えたから、しっかりカールするようになっただけ。ようあんなん使ってるわ。ちゃんと換えや」え〜、まつげが長くなったんじゃないのか、そっか。あ〜らら、がっかり勘違い。

 「何?何??なんで!?!?!」体中から静かに血の気が引く瞬間だ。「えっ、ちょっと待ってや。現地到着は○時○分やから、○時×分の電車に乗る、そうそう。だから、10分前の△分に家を出る・・・・、のに、今、×分・・・何?何??なんでまだ家にいるの!?!?!」。そう、電車が出る時間と家を出る時間を勘違いしたのだ。頭が真っ白になりながらも、なぜか独り言で、その間違いをブツブツと何度も確認している。仕事が立て込み、時間に終われる生活が繰り返されると時々起こる現象。しっかり、電車の時間を確認し、さらに家を出る時間まで計算してカレンダーに書き込んでいるのに、確認しているのに・・・。1年に1〜2度、こんなことが起こってしまう、あ〜怖い!仕事のときは、30分前に現地に着くように計画しているので、今まで事なきを得ているが、これは絶対にやってはいけない、あ〜らら、血の気が引く勘違い。

 居間で寝ころんでテレビを見ていた中三の息子が、いすに座っている私に手を伸ばす。「??」。すると、さらに私に向かって手を伸ばす息子。「ン????」。ここでうっかり手を握ろうものなら、にんまり笑って『そんなこと、あるはずないやろ』と、パチンとやられたことがあるから要注意。しかし、あまりに手を伸ばしてくるので、恐る恐るゆっくりとこちらからも手を伸ばす。すると、向こうから手を握ってくるではないか。『まさか、手をつなぎたかったんか?!・・・』と思っていると、「受験のこと、いろいろありがとうな」とボソッと言った。笑われて、パチンと叩かれるかと思ったのに。思いもかけない、あ〜らら、うれしい勘違い。

 娘がアルバイトでもらったお金で花を買ってきてくれた。見たことはあったが、名前は知らないそんな花。ある日、近くのお花屋さんで、同じ花が目に留まり見ていたら、「きれいでしょ!」と花屋のおばさん。「同じ花を、娘がアルバイトでもらったお金で買ってきてくれて・・・」と話をすると、「まぁ、娘さんが?何のアルバイトしてはるの?」と聞かれたので、「よく行くたこ焼きやさんで、人手が足りないからと頼まれたらしくて」「主婦やったら、大抵たこ焼きは焼けるしねぇ」『ん?主婦?・・・』「・・・主婦なら焼くでしょ?」「あの〜、うちの娘、高校生です・・・」「あ〜、娘さん、高校生の・・・」いったい、私は何歳に見られたのだろう?あ〜らら、ちょっと悲しい勘違い。

 「あ〜!ありがとう!!わたしにも買ってきてくれたの〜?」満面の笑みを湛え、出かける前なのに大急ぎで服を脱ぎ、うれしそうに服の下にブラジャーをつけようとした姪。実は、彼女は今、トイレットトレーニング真っ最中の3歳児。プールでも、ワンピース型の水着では、トイレに行く際脱ぎ着がしにくいので、妹がセパレート型の水着を買ってきたのだが、どうも、姪はブラジャーと間違えたらしい。早速洋服の下につけようとしたのだ。ママが自分にもブラジャーを買ってきてくれた!やった〜!と思ったのだろう(笑)。でも、あなたにはブラジャーはまだ早いね。あ〜らら、なんておしゃまな勘違い。

 人は生きていくうえで、悪気なく、さまざまな勘違いをやらかす。「勘違い」って「勘」が「違う」と書く。そう、きっと何かを間違っただけなのだ。今、脳の研究が進んでいるようだが、私の中のイメージでは、「勘違い」は「脳の暴走」。

 「勘違い」は、脳が暴走して、各人の生きてきた背景や、今までのさまざま経験を通じてポンと生みだしたものかもしれないし、その時々の視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚、さまざまな感覚や豊かな感性の賜物なのかもしれない。疲れや、ストレス、睡眠不足、そんな体の状態から生み出されることもあるだろう。

 でも、このポンと生み出された「勘違い」によって、時には人を傷つけ、また自分自身も傷つくこともあるだろう。勘違いしたとき、勘違いされたとき、お互い「あ〜らら、勘違い」と思えるそんな思考回路もひとつ持っておくことが出来れば、人間関係も少し楽になるかもしれない。

 

(2007年2月)