スタッフエッセイ 2007年2月

巣ごもり

おだゆうこ

 冬ごもり、巣ごもり、身籠もり、冬眠、動物や植物には春の訪れを待ち、力を蓄えてこもる時期がある。時代や社会のあり様によって形は異なれど、人にもそういった時期が必要であるようにおもう。人生における巣ごもりのとき…というと大袈裟だろうか…

 例えば、病気や怪我をして入院したり、自宅療養をするときもそうだろうし、現代社会でいえば、受験勉強や不登校、引きこもり、鬱などもそうした変型版と考えることもできるかもしれない。また、女性においては身籠もりのときもそうかもしれない。

私ごとで考えると、今まで幾度かの巣ごもりのときがあった。幼いころから割に体が弱かったので、入院してベットから降りられないこともあったし、精神的な巣ごもりを必要とした時期もあった。また、今までの自分の体ではなくなるような神秘的な身籠もり体験もしかり!

 人間も動物であるわけだし、私としては自然のリズムに応じた巣ごもり(=冬眠)を毎年したい方だが…
とにかく、人にも今までの世の中の流れとは一線をかくしたところで、生きる機会が与えられているのではないかと思う。
 海底に潜って海上の慌ただしい様子を眺めるような…そこにはちがった時間の流れがあり、違った身体感覚があり、普段はあまり考えないことや気付かないこに意識がむいたりする。忙しいとは、「心を亡くす」と書くし、慌ただしいとは、「心が荒れる」と書くのだなぁという風に…。

 人が想いにふけったり、スピリチュアリティに目覚めるときとは、こうした巣ごもりのとき(自分の意思で思うように動けないとき)ではないかとおもう。
 それは、あらたな視点で世の中をみつめ、あらたな形で世の中と再結合できるチャンスなのかもしれない。

 そうしたときに、自分の身は自分だけのものではなく、周りによって生かされていること、そうした生を生きることが、どこかで誰かの生を支えていることに繋がっているという、自分の意識を超えた大きな生の循環や縁を感じることがある。

 考えてみれば、病気による入院のときも、精神的な巣ごもりのときや、身籠もりのときも不思議な出会いの縁があり、私に大きな影響を与えてくれた。それと同時に、はからずとも私も周りに何らかの影響を及ぼしていたようであり、自分の意図を超えた大きな生の繋がりを感じることができた。

 巣ごもりのときとは、私ごとでいっぱいになったり、目の前の日常に追われて大きな繋がりを感じられず、自分を見失いそうになったときの軌道修正時期なのかもしれない…と、ふと巣ごもりをしている昨今、想いにふけってみたりする。

 今日は節分。春まではあと少し。しっかりと巣ごもりをして、新たな春を迎えたいものだ!

(2007年2月)