スタッフエッセイ 2006年12月

我が家のお正月、私のお正月

前村よう子

 今年もまた、お正月を無事迎えることができた。鏡餅を飾る訳でもなく、お節料理を作るでもなく、門松もしめ縄もない我が家のお正月。なぜか異常に年末の年越し蕎麦にこだわる夫の影響で、紅白を見ながら蕎麦に舌鼓を打ち、元旦の朝食にお餅を食べることくらいが、お正月っぽい点かもしれない。でも、お正月気分はそこでおしまい。元旦の昼食はスパゲティで、夕食は平素と変わらぬ鍋だし。

 かつては12月上旬に作成していた年賀状も、毎年どんどん作成時期が遅くなる。昨年は年末ギリギリまで仕事をしていたせいもあり(いやいや、そんなことは理由にはならへんなぁ。Kinki Kidsのコンサートには2日連続で行くのだから・・)、晦日の夜に年賀状を作成した。大晦日に一部投函、残りは元旦・・・実に郵便局泣かせである。一昨年末に郵便局で年賀状仕分けのバイトを経験した娘に「ホンマに、お母さんみたいな人がおるから、私らめっちゃ大変やってんで」と言われた。しかしそういう娘も、今回は現役受験生であることを免罪符に、元日に年賀状を作成している。(やはり私の娘である)

 さて、我が家のお正月は、邪魔くさがりの私のせいで「なんちゃってお正月」だが、私自身のお正月は、また別なものとして毎年、一人で静かに感じている。大晦日の紅白が終わると、目が堅い(宵っ張り)の私と娘を残し、夫はトッとと眠ってしまう。娘と二人で、年末恒例のフジテレビ系カウントダウン番組を見て、時報と共に新年の挨拶を交わし、一人でゆっくりとお風呂を楽しむ。このお風呂タイムが、私にとっては大切な新年の行事なのだ。

 しーんと静まりかえった家の中で、お正月の一番風呂に入り湯船にゆったり浸かると、なぜか私の時間は1995年の1月17日、阪神・淡路大震災のあの日に戻る。そして今年のお正月も、こうしてお風呂で芯から暖まることができた事実に無性に感謝したくなる。それは神にかもしれない、仏にかもしれない、あるいは自然の大いなる力に対してなのかもしれない。この温もりをくれる何かに対して、思いっきり感謝したくなるのだ。その思いの中で、ゆっくりと昨年を振り返り、今年を思う。そして、「どうぞ来年もまた、このひとときが無事に過ごせますように」と願う。1996年のお正月から変わることなく、このお風呂での時間だけは、私のお正月として過ごしている。

 私にとってだけではなく、どうぞ、地上の生きるもの全てにとって、これからの日々が、よきひとときが訪れる一年となりますように。そう願わずにはいられない。

(2007年1月)