スタッフエッセイ 2006年12月

いつも心に栄養補給を

津村 薫

忙しい毎日をばたばた生きてしまっているせいで、ゆとりがあれば感じられる何かを犠牲にしてしまっているのではないかと思うことが、時折ある。時間に追いかけられるような、仕事に振り回されるような、そんな仕事の仕方だけはすまい、自分自身がコントロールできるようにと心がけてはいても、繁忙期にはそれが厳しくなる。いかんいかん。

ただ、私の場合、好きな仕事をさせてもらっているのだから、本当に恵まれている。講演の後日に送っていただくアンケートの中にある、素敵な言葉の数々に、私の方がどれだけ励まされることだろうか。それは、汗と恥をかきながら、頑張ってきた自分へのご褒美のような気すらする。「心がほっとしました」、「ゲラゲラ笑っているうちに、気持ちがすーっと軽くなっていた」、「肩の力が抜けて、ほっとした」、「子どもを抱きしめてやりたいと思う。叱ることばっかりだったけど、これからは大好きって言います」、「人のせいにばかりしていたけれど、私の問題だったと気づいた。まだ間に合いますよね。ありがとう!」、「私たちの税金が正当に使われていると、はじめて実感しました」(これは某市主催の講演会だったため)。人間がより良く変化しようとする、そんな大事な場面の小さなきっかけとして関わらせてもらえた喜びに、こちらの側が居住まいを正したくなるが、私も嬉しい気持ちがあふれる。

「津村さんの講義は、藤山直美を彷彿とさせる」と先日ある方に評されて、体重増加に悩む私は思わず、「体格じゃないですよね?」と確認しそうにはなったが(笑)、温かく、ユーモアにあふれていて、“よっしゃー、いっちょやったろか!”と生きる力が湧いてくる。それは私の目指す講義なので、嬉しくその言葉を受けとめた。そんなありがたい言葉の数々は、私の気持ちに栄養を与えてくれていると思う。

そして最近の私は、わくわくして遊ぶことについても、目覚めてきたような気がする。毎年発行される「女性ライフサイクル研究」は、今年は「生き抜く力を育む」をテーマにした。私は、「子どもの遊び」について書き、芸術教育研究所の多田千尋氏にお願いして、インタビューをさせていただいたのだが、これがまた、カルチャーショックを受けた体験だった。「ああ、私って、本当に遊び心がないんだ」「私って、心豊かに生きていないのかも?」と感じたくらいだ。そして思ったのだ。「わくわく楽しむことを、いっぱいしよう」「嬉しい!楽しい!という気持ちをいっぱい感じよう」と。

タイトルの「心の栄養補給」とは、多田氏が「遊び」のことをそう表現していたのである。「遊びは心の栄養補給」。なんて良い言葉なんだろうと、心に残った。私を含む現代人に、最も足りないものだ。インタビューに行かせてもらった6月、私は自分自身の遊び心のなさについて、やはりエッセイを書いている。今回は半年後の報告になるのかな。

あれから私は少しずつ変わったと思う。面白そうなことには積極的に挑戦してみることにした。せっかくどこかに行った際には、面白そうなことに首を突っ込んでみる。「根は引きこもり体質」「実は根暗」と言っても、私の講義を知っている人にはあまり信じてもらえないのだが、私は本当にそういうタイプなのだ。芸人は舞台を降りると意外に寡黙だというが、まあ寡黙とまでいかなくても、場を盛り上げたり、明るく騒げるタイプでないのは確か。結構物怖じする、大阪弁で言うならば、「あかんたれ」タイプである。年と共に積極性は出てきていると思うが、本当のところは、できれば閉じこもっていたい方かもしれない。そんな私が「えいっ」と思い切って外に出ることは、人よりは多くのエネルギーを要する。

ついでに書くと、誰に似たのか、うちの娘はフットワークが良いので、「家に閉じこもってると、くさくさする」とはっきり言う。受験勉強中も、「たとえコンビニに行くだけでもいいから、外に出たくなる」と言っていた。私には理解に苦しむことなので、「やっぱり、いろんなタイプがあるもんだなあ」としみじみ思っていたが、自分の世界を広げるために、ちょっとだけ思い切って、外に出てみることにしたのだ。

先日、出張で出かけた沖縄では、依頼先のスタッフの方たちに懇親会を持っていただいたり、同行した森浮ニ街に繰り出して遊んだが、いずれも本当に楽しかった。あんまり沖縄が好きになったので、他にもいる、うちの沖縄好きスタッフと共に、「沖縄大好きクラブ」を設立しようかという話まで出ているほどだ(笑)。奈良でも「ひとり観光」を楽しんで、あちこちでご当地ソフトを食べて大満足(笑)。

今日は、サンクトペテルブルグ室内合奏団のコンサートで、フェスティバルホールに行ってきた。良い音楽を聴くことは、自分の魂が喜んでいるような気がする。自分自身の深いところに染み入っていくような、そんな喜びがある。コンサートが終わった今も、私の脳内では、「アヴェ・マリア」が、「カノン」が美しく流れている。ああ、嬉しい。生きてるっていいよね。

(2006年12月)