スタッフエッセイ 2006年10月

夕陽と焚き火と砂浜で

渡邉佳代

 この秋、またもや田舎に用事があり、3〜4日だけだが帰省した。用事のための帰省なのでハードスケジュールだったが、合間を縫って、ある友人と夕方近くから日本海に向かった。お菓子やポットに入れた熱いコーヒー、スケッチブックやマジックペン、新聞紙を車に積み込んで、目指すは日本海を眺めながらの焚き火の会。

 目指した砂浜はプライベートビーチのように小さく、目の前には日本海と佐渡が迫り、後ろはこんもりと深い緑に茂った山々に囲まれて、さながら陸地の孤島と言ったところだ。近接した山と海の間のシーサイドラインは、時折、車が足早に走り去るだけだった。天候はバッチリで、抜けるような青空に和紙をちぎったような真っ白い雲がいくつか張り付いていた。

 久しぶりの日本海に感動しつづける私を横目に、友人は大小異なる流木を拾い集め、手際よく、積み上げていた。彼女が言うには「風の通り道がないとうまく燃えない」らしい。彼女は何度もその骨組みを仔細に点検しては、組みなおし、炎が燃え上がる様子をイメージしているようだった。時間をかけて納得のいく配置ができると、用意した新聞紙を丸めて骨組みの底に入れ、火をつけた。

 風がやや強かったこともあり、また、思いのほか流木が乾燥していたのか、炎は砂地を這うように勢いよく燃え上がる。しばらく炎が安定するまでドキドキしながら2人で見守っていたが、ふと風が止んだので、不思議に思って顔を上げると、日が暮れる瞬間だった。鏡のようにてらてら光るミルク色の海に金色の道がすうっと映え、その道を辿って大きくてあったかい夕陽に行き着けそうな、つながれそうな感じがして、初秋の冷たい日本海に膝まで浸かって、1日の終わりの太陽を見送る。山も海も彼女も私も、全てが金色だった。

 初秋、と言っても、田舎の秋は寒い。その感覚をすっかり忘れていた私は、体の芯まで冷え切り、友人は車に積んでいたショールやらパーカーで私をグルグル巻きにしてくれた。焚き火でスコーンや濡れ鼠になった自分をあぶったり、熱いコーヒーを飲んだりしながら、とっぷりと日が暮れるまで彼女と話しこんだ。彼女と私は赤ちゃんの頃からの幼馴染で、互いが何かの選択をするたびに、そばで見ていてくれた大切な友人だ。

 焚き火の炎は形が自由だ。焚き火を見る人の心の風景が映し出されたり、心に持つ何かを形づくったりする。炎の中に物語や世界を見て、創造して、燃やして、破壊して、混ぜて、浄化させたような、静かで厳かな美しい時間だった。こうした深い時間の体験は、心に焼きつき、イメージとして人の中に留まる。時折、流木の中の水分が蒸発するのか、焚き火はシュウッと小気味の良い音を立てる。燃える木の匂いも様々だ。完全な流木は香ばしくよい匂いがするが、角材や少しでも生きている木は、鼻を突くような匂いがする。まだ薪にはなれないのだ。

 たくさんの流木が木炭になる頃、それぞれがくっついて1つになり、宝物のようにピカピカとオレンジ色の光を静かに発していた。2人の共同作品だ。思い思いに造り出した火の最後を2人で見届け、暗闇に目が慣れると、頭上は満天の星空だった。圧倒的な美しさで、星が本当に落ちてくるように思えた。希望のような温かい何かがそこに生まれて、私たちのこの先を祝福してくれているような瞬間だった。

 火がなくなると急に寒さを感じて、彼女と私は砂浜から急いで撤退し、その後はゆったりと近くの温泉に浸かり、ラーメンを食べ、夜遅くに家路につく。車の中は、焚き火に燻された香ばしい匂いがいつまでも残っていた。心と体が温まる晩だ。この先、きっと夕陽を見るたびに、夕陽と焚き火と友人と、そこで紡ぎだされた物語を幾度となく思い出すだろう。

 この秋、私の大切な友人たちが送ってくれた言葉を最後に。

 Treasure every moment that 'we' have.
 And treasure it more because 'we' shared it with someone special,
 special enough to spend 'our' time.

 And remember that time waits for no one.
 Yesterday is history.
 Tomorrow is mystery.
 Today is a gift.
 That's why it's called the present.

 "Be glad we have the moment!!"



(2006年10月)