スタッフエッセイ 2006年10月

信頼感の広がり

くぼた ようこ

 子どもたちはみんな、保育所のお世話になってきた。振り返れば、つかまり立ちから一歩を踏み出そうとしているのを、○ちゃん、おいでおいでと励ましてくれている先生の姿、踏み出した子どもに大喜びしてくれた先生の姿が思い出される。一緒に子どもの成長を喜んでもらってきたなぁと思う。保育所に行く途中でけがした子どもを、「お仕事遅れるでしょう。病院連れて行くから保険証だけ届けて」と先生が自転車の前かごに乗せて、遠いが腕の良い病院まで連れて行ってくれたこともあった。子どもが問題を起こしたときには、「○ちゃんのことがとても可愛くて、だから余計に気になってしまうんだけど・・・」と言ってくれて、涙が出たこともあった。やんちゃで問題を起こすことも多かったにも関わらず、保育所の先生に、愛情をいっぱいもらってるんだなぁと嬉しかった。私につらいことがあって、先生に話を聞いてもらいながら、泣いてしまったこともあった。体罰などで、保育所や先生に否定的な気持ちがわくこともあったが、子どもには、叩いたのは先生が間違ってるんだよと伝えはしたが、悪口は言わないようにしてきた。

 子どもが病気で私が仕事が休めないときには、病児保育所のお世話になった。赤ちゃんの頃はよく熱を出す。「体弱いのかな・・」と弱気になっていると、「そんなことないよ。病気しながら強くなるんだから。半年たって、1年たてば全然違うよ。ほら、お兄ちゃんだってもう全然来ないでしょ」と励ましてもらったこともあった。公立保育所の先生は異動でどんどん入れ替わってしまうけれど、病児保育所の先生には異動がない。何回もお世話になっているので、子どもも先生と仲良しで、別の場所で出会っても「センセー」声をかけてにっこりしている。久しぶりに行くと、「わー、背伸びたな〜」と声をかけてくれる。もう何年も会ってない上の子のことを「お兄ちゃん、大きくなったでしょう?」と覚えていてくれる。

 子どもが小学校に入ってすぐに、粘土と粘土板を家に忘れて行った。心配してるかな、どうしてるなかと思い、教室に届けに行ってみると、友達の粘土板を頭にのせてはしゃいでいる息子。私に気づくと、お母さんどうしたん?という顔で、忘れ物を渡すと、そんなことのためにわざわざ来たん?という顔をされた。そっかー、忘れても平気なんだ、何とかなるって思ってるんだなと感じた。

 学童保育では、先生方だけでなく合宿や行事を通して親との関わりがあった。土曜保育は父母が交代で保育をしたが、お父さんが来てくれることが多かった。人見知りする子なのに「僕、大人の男の人やったら、すぐに友だちになれるで〜。だって学童でそうやもん」と言っていたのは驚いた。

 子どもがサッカークラブに入った。最初の合宿の前、案内の用紙ををもらってくると早速「申し込んで」と言う。「誰がほかに行くの?」と私が聞くと、「知らん、ひとりでも行く」と子ども。そうなんだー、友達が行くかどうかってことは重要じゃないんだよね、自分が行きたいから行くんだよねと感心した。

 最近、下の子が体調を崩し仕事が休めなかったときに、保育サポーターさんに来てもらえたらと思って、私が電話をかけていた。テレビを見ながら半分電話の様子を気にしていた上の子が、来てもらえることになったのを知り、「おかあさん、ありがたいな〜、すごい親切やな」と言った。「ほんと、そうだね」と言いながら、子どものその発言がまた嬉しかった。

 子どもを取り巻く人たちを信頼して、子育てをいろいろな人に助けてもらってきた。そうやって助けてもらっている親の姿や、子ども自身がたくさんの人からサポートしてもらってきたことが、子どもの周りへの信頼感や肯定的な気持ちのベースとなっているように思う。いろいろな事件が起こり、親として不安がないわけではない。「家族以外の人は信じたらだめよ」と子どもに言う親もいると聞く。だけど、家族がいつも子どものそばにいてあげられるわけではない。危ない目に遭ったときに、「助けて」と言えるためには、きっと助けてもらえるという周りへの信頼感が必要だ。

 だから子どもたちには、<困ったときにひとりで抱え込まなくて良いんだよ。助けてくれるのは、家族や友人だけではない。困ってるって声に出し、手を貸して欲しいと伝えれば、誰かがきっと助けてくれるんだよ。そうやって、人の手を借りて、そしてまた誰かに手を貸してあげようね>ということを伝えていきたいと思う。そんな人への信頼感を、これからも育んでいきたいと思う。
 
(2006年10月)