スタッフエッセイ 2006年9月

光と影と〜「ゲド戦記」をみて

西 順子

 何年か前に、ル=グウィン作の「ゲド戦記」(岩波書店)の第一巻「影との戦い」、第二巻「こわれた腕環」を読んだことがある。どちらの話も、物語の結末が感動的で、とても心に残るものであった。その感動は、うまく言葉では表現しにくいが、心の深くに、どしーんと衝撃が与えられたというか、「ああ、そうなんだ」と深いところから癒されるような、そんな感覚が伴っていた。
 今では細かいところは忘れてしまったけれど、今も心に残っているのは、<自分自身のネガティブな感情から逃げようとしたり、また、そういう感情を嫌悪するのではなく、そういう感情こそ抱きしめてあげることが大事なんだ、必要なんだ>ということ(第一巻)、<囚われの身から解放されて自由になった時、それは物語の「終わり」ではなく、「始まり」なのだということ。そこには喜びと悲しみとがある>(第二巻)。そのことを、頭で理解するのではなく、実感をもってまさに体験したという感じだった。物語を読む中で、自分自身をそこに重ね合わせ、主人公に感情移入していたからであろう。その不思議な感覚は、今も残っている。

 それで、この「ゲド戦記」が映画化されると聞いて、夏には映画が見られるのを楽しみにしていた。お盆休みは、毎年実家に帰省しているが、親や姉妹、甥姪らも一緒に皆で映画を見に行くのが恒例になっている。たいがい、子ども達も一緒に見れるスタジオジブリ作品か、ハリーポッターだ(どちらもすごく好き)。今年は、映画「ゲド戦記」を見に行く。でも、映画の最後、物語のクライマックスのいいところで、甥っ子がぐずってしまう等、じっくりと見ることができず、心残りがあったので(それでも感情が込み上げてきたが)、珍しくもう一度映画を見に行くことにした。二回目は秋に入ってから、夫と2人で見に行った。

 映画の最後のクライマックスでは、意味深い言葉の連続。一つ一つの言葉の意味を味わおうとしていると、もう次の場面。光と影との統合、死と再生、生かされた命だから命を大切に生きること・・など、深いテーマがいっぱい最後に凝縮されていた。そのなかでも、今回私が心を揺さぶられたのは、「次世代に引き継ぐ」というテーマだった。原作の第三巻では、「継承」がテーマになっていると聞いたので、映画でもこの「継承」のテーマが重ねられていることがわかった。原作第一巻はゲド、第二巻ではゲドとテナーが主人公、この映画では、次の世代のアレンとテルーが主人公である。映画では、かつては物語の主人公だった2人が後ろに退き、若い2人が闘うのを見守っていた。そして闘いが終わった後、ラストシーンで描かれていた平和で穏やかな日常。ゲドとテナーが、若い2人にささやかかなことを「行い」をもって伝えている姿をみて、涙が出てきた。
 自分自身が人生の中年期であることから、ゲドとテナーのほうに自分を重ね合わせていたからであろうか。自分が次世代に伝えるということをおろそかにしていなかったか・・、意識してやってきただろうか・・と自分を振り返った。そして同時に、アレンとテナーにも重ね合わせていたように思う。こうして穏やかに見守ってくれる大人の存在が子どもにとってどんなに大事なことかと。自分と向き合い、自分を受け入れるためには助けが必要だから。
 伝え、伝えられ、教え、教えられ、生かし、生かされ・・、そんな生命の循環を感じたのかもしれない。わたしのこれからの人生の課題として、次世代に伝えるということを意識していきたい、考えていきたいと思った。伝え、伝えられ、生かし、生かされる・・そんな命のつながりを感じていけたらと思う。それが、生きる喜びとなるのだろう。

 監督の宮崎吾朗氏は、高校生の頃に「ゲド戦記」を読み、第一巻、第二巻に最も心引かれたそうだが、監督をするにあたって改めて読むと、第三巻、第四巻、外伝に強く心が引かれたという。それで、この映画では、第三巻以降のテーマが盛り込まれているようだ。読む時期によって、心惹かれるものが違うということには、納得する。皆、人生のどの段階にいるかによって、自分と重ね合わせるテーマが違ってくるからであろう。  
ぜひ、第三巻以降、最後まで物語を読んでみたいと思う。原作を読むと、また違った感想をもつのかもしれない。実際には、物語を読むことにどっぷりとつかれる時間的余裕がなかなか・・ないのだけれど、でも、いつかぜひ読んでみたいと思った。自分と重ね合わせながら、人生のテーマを深く味わってみたいと思う。 

(2006年9月)