スタッフエッセイ 2006年7月

エール

渡邉佳代

私はスクールカウンセラーとして、今までにいくつかの中学校に出向き、そこで様々な若い人たちと出会ってきた。ちっちゃい体で、ちっちゃくなくても、体はもう、立派な大人でも、心と体をギュッと固くして、自分を精一杯守っている若い人たち。自分の気持ちを置き去りにしてでも、精一杯周りの人たちの期待に応えようとして、でも、どこかでしんどさを感じて息切れしている若い人たち。だけど、どんな逆境の中でも、彼らは自分なりの生き抜く知恵、工夫、力をちゃんと持っている。彼らのそうした姿から、日々、学ばせてもらっているように思う。

彼らから話を聞かせてもらっている時、私は心の中で、頑張れ、と思う。もう十分頑張っているから、適切な言葉ではないかもしれない。よくやっているね、頑張っているね、のほうかもしれない。でも、頑張れ、と心から願う。

人は小さな子どもの頃、親や周囲の大人たちから自分の気持ちに耳を傾け、大切に扱ってもらうことで、「自分は大切な一人の人間なんだな」と、自分を良い存在として大切に思えるようになる。自分を大切に思える人は、人のことも同じように大切にできる。ただ、自分を置き去りに、人のことに精一杯気遣う若い人たちが多いように思う。それは、本当に人を大切にしているのと少し違うように思う。人を大切にしないと、自分が見捨てられてしまう。そんな不安の中で自分を押し殺し、生きづらさを感じているようにも思う。

思春期なんて、ただでさえ大変な時期なんだから、人にエネルギーを注ぐよりも、もっと自分に注いだってバチは当たらないよ。それが、今のあなたたちの「仕事」なのだから。自分を置き去りに生きるということは、本当の自分の気持ちを大切にしていなかったり、本当の自分に目を向けなかったりするということ。表面的に明るく元気に振る舞っている自分も自分の一部分ではあるけど、心の中の本当の気持ちも、あなたの大切な一部分だよ。

残念なことに、周りの人たち全てが、あなたのことを大切にする方法を知っているわけではないかもしれない。安心できる、自分を大切だと思えるようなメッセージがたくさん詰まった子ども時代を過ごせなかったかもしれない。かわいがったり、優しくしたりする方法が分からない大人たちの中で、育ってきてしまったかもしれない。

でも、心を完全に閉ざしてしまわないで。心を閉ざすというのも、ある意味、しんどい状況の中で生きのびるための手段でもあるけど。だけど、ずっと閉ざしたままだと、いつか本当のあなたが、かけがえのないあなたの気持ちが、固まってしまうよ。どうか、あなたのことを気にかけている人がどこかにいるということを、心に留めておいてほしいと願っている。

自分の生を、自分自身を、心から大切だと気づいてほしい。自分で自分のことを見捨てないでほしい。だって、それはあんまりだもの。あなたはとっても素敵だもの。端で話を聞いている私は、あなたのことをとっても素敵だと思っているよ。足掻いてみっともなくなっていようが、あなたは、あなた。すっごく素敵だよ。

だから、頑張っているね、の言葉に加えて、もう少し、頑張って、と心の中で願っている。いつか、あなたが、自分を心から素敵だと思える日まで。

この前は、よく話にきてくれる女の子が「とってもいいから聴いてみて」と、あるCDを教えてくれた。制服の胸ポケットに、くしゃくしゃになったその歌詞カードを入れて。あなたは誰もいない教室で独り、その歌を歌っていたけど、ごめんね、あんまり綺麗な声で、私は思わず立ち聞きしちゃったよ。英語の発音、むちゃくちゃ綺麗だよ。 時々単語に詰まって、何度も歌いなお していたその歌声も、とっても綺麗だった。あまりに綺麗で、その歌声が音の粒子になって校舎の木々の間を縫い、梅雨明けしきれていない曇り空に吸い込まれていくのが、私の目には見えたような気がしたよ。

「綺麗な歌だね」
と声をかけると、あなたは、照れくさそうにぶんぶんと横に首を振ったけど。
でもね、帰り道、そのCDを買って帰ったけど、あなたの歌う歌のほうが、私は好きだな。いつか、あなたが、自分のその歌声を、自分で素敵やんかって思えるように、私はちゃんと見ているよ。

だから、その時まで、どうか頑張って。

(2006年7月)