スタッフエッセイ 2006年7月

「しゃーないなぁ」

くぼた ようこ

 関西弁のこの言葉が私は好きだ。
「しゃーないやっちゃなぁ」と言うこともある。
標準語に直すと「仕方ないね」とか、「仕方ない人だね」ということになるのだろうか。

 しかし「しゃーないなぁ」というのは、「仕方がないね」というのとは、ちょっと違ったニュアンスがあるように私は思う。もちろん相手が何かよくないことをしたり、相手から迷惑を被ったときなどに使うのだけど、「しゃーないなぁ」というのは、相手をすでに許して、その良からぬことを含めて受け入れている、そんなニュアンスがより強いような気がする。私が勝手に思ってるだけかもしれないけど・・・

周りに気配りができる方ではなく、そこそこにわがままで、いろんな失敗もしでかす未熟な私は、この言葉で随分許してもらってきたなぁと思う。あ、こちらも私が勝手に思ってるだけかもしれないけど・・・

 先日、久しぶりに学生時代の友人たちと会った。いろいろな話をしていると、「ようちゃん、成長したんちゃう?」と一人の子に言われた。この年になって、そんな事を言ってもらってることが、なんだかおかしくて、嬉しかった。思い出話となり、「あの頃の私って、結構めちゃめちゃやったやんなー。よくみんな受け入れてくれてたなぁって、今頃思うわ」と私が言うと、「それが許されたのも、ようちゃんの人徳やん」と別の子が言ってくれた。「わ、そんなん言ってもらったら調子に乗りそう〜」と笑って冗談にしたけど、本当は人徳なんかではなくて、そうやって受け入れてくれてきた周りの人たちのあたたかさなんだよね。なんだか、じんわりときた。

 こうやって、「しゃーない」奴である私は、いろんな人に迷惑をかけながらも、受け入れてもらってきたんだなと思う。良いところだけを見せて、人とつき合ってきたわけではない。学生時代は特に、飾らず本音をだしてきた。そんな私のことを、欠点も含めて、受け入れてくれていたのだなと思う。そのお陰で、欠点もあり、未熟でもある私自身を、私自身が自分に「しゃーないなぁ」と言って、受け入れてこれたのだと思う。
・・・ありがとね。

 そして、そんな「しゃーない」自分自身を受け入れているから、私は人の「しゃーない」面を受け入れることがわりと得意なのだと思う。迷惑を被っても、「しゃーないなぁ」と言いながら、どこかで受け入れている自分がある。人間って誰でも欠点はあるし、自分勝手がしたいときもある、人に迷惑をかけることもあるし、人を攻撃したくなることだってあるもんね、と思っている自分がある。それはきっと、その人の弱さだったり、まだ成長途中の部分だったりするのだと思う。そして、いつか「成長したんちゃう」と言えたら、それでいいなぁと思う。

 まだまだ、まだまだ、成長途中の私。きっと今でも「しゃーないやっちゃなぁ」と思われていることだろう。そして、またいつか今より少し成長したときに、今の自分を振り返って「あの頃の私って、結構めちゃめちゃやったやんなー」と言っているかもしれない。その時にはまた、「成長したんちゃう?」と言ってくれる人がいると嬉しい。

(2006年7月)