スタッフエッセイ 2006年5月

新潟のてっぺんで何を叫ぶ?〜純情青春編!

渡邉佳代

待望のGW!!・・・は良いが、なんと、今年は予定を立てずに迎えてしまった。このまま家にいるのもなんだかなと思い、予算と日程、その後に続く仕事のことなども、あれこれ考慮した挙句、手っ取り早く実家に帰ることにした。

振り返ってみて、GWに帰省するのはこれが初めてだと気づいたとき、私は既に、5ヶ月になる甥から強烈なボディーブローをくらってしまった後だった。あの楓のようなかわいらしい手で、ではない。急性胃腸炎である。子どもからうつったウィルス・菌類は、何故、あんなにも力強いのだろう。天気の良いGWの大半を布団で過ごし、危うく「私は何のために帰省したのだろう?」と、クエスチョンマークを大量に撒き散らしながら京都に戻るところであった。

ようやく回復してきたGW最終日くらいは・・・と新潟市内に電車で出かけ、高校時代の友人と十年ぶり(?)に会う約束をした。市内の繁華街のひとつである万代はGWのためか、歩行者天国になっていて、フリーマーケットやヨサコイの踊りなどで賑わっていた。十年ぶりの友人をこの混雑の中で見分けられるのか、どう記憶を掘り起こしてみても制服姿しか思い浮かばない!とか、あれこれ案じながら待ち合わせ場所に行ってみたのだが、何故か互いに一目で確認できた。どういうレーダー、アンテナが察知したのか不思議だったが、何かの使用前、使用後の2つのプロファイルがカチッと合ったかのように、何となく「あれ?」と反応したのである。

「ひさしぶり〜」とか、「変わったね〜」とか、「変わってないね〜」とか声を掛け合いながら、信濃川ほとりのやすらぎ提、万代橋、古町モール、NEXT21と、高校時代にも辿ったであろう懐かしい道を散策した。街並みも私たちと同様に、変わらないところもあり、大きく変わったところもある。私たちが通学していた高校は、もうひとつの繁華街である古町にも近く、信濃川のほとりにあったのだが、残念ながら数年前に郊外へ移転してしまっていた。

友人は、私と進む道はまったく違うが、ある専門領域の研究を進めているという。私と同世代で、何かを志して活躍している人の話を聞くとエンパワメントされる。十数年前には、互いにそれぞれ現在のような職についているとは、思いもよらなかったことだろう。それだけに、現在の様子を聞いていると刺激になるのだが、そんな中にも、その人が元々持っていた強さや、変わらずに輝きつづけている力が時折垣間見えて、ホッと安心する。

私たちが高校生のときにオープンしたNEXT21は、地上19階建てのロケットのような形をしており、ラフォーレ原宿新潟(何故、地名が2つ重なる?)、スポーツジム、展望レストランなどが合体したハイカラな建物で、当時は新潟市内で地上最高を誇っていたのではなかっただろうか。それなのに、最上階の展望台は無料で楽しめるという気軽さとお得さがウリだと私は常々思っていた。その展望台に上り、新潟の街並みと日本海を眺めながら、昔もこうして同じ風景を見たよね?と言い合っていると、ふと、この先の十年を互いにどのように年を重ねていくのだろうかという思いが頭に浮かんだ。

この十年、いくつもの支流から選択を重ねて現在の自分に至るわけだが、この先、自分はどのような選択をしていくだろう。おそらく幾度も悩んで迷って、ときには途方にくれることもあるんだろうなと、あまりの道のりの長さに一瞬クラッときてしまった。

これから先は、もうあらかた自分が進みたいと思える道を決めてしまったので、十数年前の自分が今の自分を想像できないほどの大きな変化はないかもしれない。しかし、それでも今回感じたように、元々持っている基本的な強さを変わらずに持ちながらも、力強く生き抜いているような気がすると感じられた。それを言葉にすると「期待」になるのだろうか。良い兆しだ。どんなときでも、期待を持って生きていきたい。

久しぶりの再会が、私にとって思いもかけない力と励ましになった。最もエネルギッシュであれこれチャレンジしていた頃の自分も、友人の「あの頃、〜だったよね」という数々の言葉から思い出した。今、同じようなことをやれと言われても難しいが、そのときの力は今も自分の中のどこかで息づいていると感じられた。

胃腸炎には参ったけど、トータルにすれば悪くないGWだったな。今まで同窓会の類には縁遠かったが、今度から行ってみようかな?と思い直した初夏の初めであった。

(2006年5月)