スタッフエッセイ 2006年4W月

くぼた ようこ

 冬は好きな季節だったけど、子どもが生まれてからは、風邪の季節だと知り、
春を待つようになった。
今年の冬はとても寒くて、いろんな病気も流行っていたので、
ことのほか春を待っていたように思う。
春を待ちわびる気持ちが強いからだろう。
いつもの年よりも早く、春を見つけた。

 年が明けると、寒い中にも、だんだんと日が長くなり、
陽ざしが強まっていくのを感じていた。
梅の開花を探し、桜のつぼみの膨らみを見上げては、春を見つけていた。
夜明けが早くなると、自然と子どもたちの目覚めが早くなった。
カーテンの隙間から漏れる陽ざしを感じているのだろうか。
温かさを感じているのだろうか。
子どもって、きっと大人より自然とつながっているんだね。
そんなところにも、春を見つけた。
   
 希望をもって待っているから、見つけられる、出会える。
私たちの日常にも、きっとそんなことがたくさんある。
あきらめて探さなければ、見つからないし、出会えない。
目の前にあっても、それが見えないということさえある。
陽ざしの変化にも、つぼみの膨らみにも、目をやらなければ、気がつかないのと同じ。
春の来ない冬はない。
春を見つけられたら、冬だって過ごしやすい。

 先日の嵐で、桜が散った。
いくつかの別れがあった。
ふと口をついて出た言葉があった。
「 花に嵐のたとえもあるぞ  さよならだけが人生だ 」
25年前、祖父はこの唐詩を色紙に書した数日後、ぽっくりと亡くなった。
母の大好きな祖父だった。
亡くなってからの方が、もっと身近に感じるようになったんだよ、
いつもそばで見守ってくれている気がするんだよと、
母が言うのを聞いたのは、いつだっただろうか。
死という永遠の別れをもってしても、人はより結びつきを深めることがあるのだと、
どこかでほっとしたことを覚えている。

 季節はまた巡ってくるけれど、今年の春は人生において、一回こっきり。
出会いと別れを慈しんで、季節を感じて、大切に過ごしていきたい。

(2006年4月)