スタッフエッセイ 2006年1月

お事多サン

津村 薫

「お忙しいでしょうね」とよく人に言われる。

確かにそうだ。毎日のように講演があり、合間にその打ち合わせや準備。原稿を書く仕事もあれば、理事をしているNPOの活動もあり、ひとつの体は目一杯フル稼働という感じ。

講演先で、「お昼をご用意してあります」と言われ、申し訳ないと思いながら、ものすごい勢いでいただいて失礼しなくてはいけないことがある。お茶やお菓子のご用意をいただいていることもある。「ごめんなさい」と謝って失礼することも多い。事前にお申し出くださっている場合は、「あいにく次の仕事が入っており、すぐ失礼しなくてはなりません」とお伝えしているのだが、それでもそんなことが起こる。

「先に都合を聞いてくれたらいいんだけど」と一度こぼしたら、「だって、そんな人、普通あんまりおらんでしょ」と突っ込まれた。確かにそうかもしれない。1日に2本も3本も講演が入っているとはあまり思われないかもしれないな。

 「人間、忙しいうちが花ですよ」と恩師に言われ、そうかもしれないなと思ったことがある。元気で働けていること、ましてや好きな仕事ができていること、なんとありがたいことだろうと思う。それなのに、元・上司の方のお便りを見てびっくりしてしまった。元・上司の男性は既にリタイヤして、悠々自適の人生を送っておられる。趣味も豊かで、とてもセンスの良い方なので、達筆なお便り、素敵な写真をよく楽しませていただく。

その方が女性ライフサイクル研究所のサイト日記をご覧くださったとのことで(特に何もお知らせしていなかったのに、初期の頃から新聞などで私の活動をよくご存知くださっていた)「あなたも結構人生楽しんでますね」と書いておられたのだ。

えっ?私が?と正直思った。そうか、私は人生を楽しんでいるのだ!確かに楽しい。仕事や活動でわくわくしたり、じーんとしたり、どきどきしたり、発見があったりと刺激的だし。でも日々、へとへとなので、それを謳歌するゆとりもないのが正直なところだったのだ。

 「そうか、私って人生を楽しんでいたのですね。感謝が足りませんでした」とボケた返事を送ったところ、このタイトルの言葉を教えてくださったのだ。

 “「結構者の結構知らず」こんな事、おばあちゃんから聞いたことありました。

貴女の年齢ごろが一番あぶらの載っているころではないですか。”

まずこれにはガーンとやられた。「結構者の結構知らず」!まさに私のことだなあと。

 メッセージはこんなふうに続いていた。

“{お事多サン=オコトーサン}その昔〜僕の子供のころ。暮れに掛取りの挨拶として用いられ、相手の多忙(仕事の多い様)さと、家の繁栄を褒めたようですが、実に結構な状態が語感から偲ばれる言葉だとおもいませんか。忙しいことはええ事ですよ。頑張れるときは娘さんの為にも大いにやりなさい。

貴女のエナジーな活動振りは、目に見えるようですが娘さんの為にも頑張ってください。それにはあくまで健康体でなければ、なりません。ご自愛ください。”

 「お事多サン」という言葉は、はじめて知った。そういえば亡くなった義母は熱心な仏教徒で何かがあれば「結構なことや」と喜ぶ人だったが、「結構」という感謝の仕方も、私にはあまり馴染みのないものだった。

 その昔の愛読書だった『次郎物語』には、「自分の運命を喜ぶ」という言葉が出てきて、思春期の頃、考え込んでしまったことがあったっけ。

 足りないもの、得られないものを嘆くのではなく、持っているものをこそ感謝して、大切にする。そんな生き方をしてきたかといわれれば一言もない。私って「文句言い」だったのかも!

 2006年もきっと夫婦揃って忙しく、娘も受験でばたばたするのだろう。お事多サンな一家。それはとても結構なことなのだ。

2006年も元気に楽しくお事多サンでいきましょう。なんと結構なことだ!

(2006年1月)