スタッフエッセイ 2005年11月

陰の力

おだゆうこ

今日、とても楽しみにしているダンス・ライブを見に行った。そのダンスとは、オイリュトミー(R・シュタイナー博士が創始した運動芸術の名称)という、言語や音楽の霊的な本質を身体の動きによって可視的にしようとする舞踏と黙劇の中間に位置するものである。彼女のダンスを見に行くのはこれで2回目だ。初めて彼女のダンスを見たときの鮮烈をどう伝えたらいいだろうか・・・。

“目をひきつけて離さない。この人は何者?!この吸い寄せられる魅力はなんだろう?”
外向きに放たれる、華やかな雰囲気やオーラという類のものとは違う。目をひくのではなく吸い寄せられるのだから。吸引する力とでもいうのだろうか?自分の意志とは関係なく、ひかれてしまう不思議な感覚があった。
外向きに放たれる華やかな輝き、パッと目をひく陽の動きよりも、内側に向かって表現される陰の動き、陰の力のほうが心をつかんで放さないという感覚をはじめて体感した。

古い森ができるには、まず“陽の樹”の芽が生え、その陰に“陰の樹”の芽が育ち、最終的には全て“陰の樹”になることで、その森は安定し豊かになり、何百年も生き続ける森となるという話を聴いたことがある。長い年月を乗り越えるだけの力を蓄えた“陰の樹”には、美しさと安らぎだけではなく、それ相応のおそろしさ(畏れ)がある。そういったものを彼女のダンスに感じた。

初回では畏れが大きかったのかもしれない。しかし今回は、陰の力、陰の動きは、この上なく優しく、懐かしく、つながり(天・宇宙・神《大いなるもの》)を回復させるような気がした。宇宙とつながり回帰する感覚。懐かしい感覚。今ここにいながら、ここにいない。そういった無限へのつながり、大いなるものとのつながりへと誘うような踊りだった。

興奮気味で帰路に就いたが、ふと立ち止まり、似た感覚を手繰り寄せれば、幼い頃にはこういった感覚を身近な日々の生活の中で感じられていたような気がする。
松任谷由実の『やさしさに包まれたなら』の歌いだしにある“小さい頃は神様がいて、毎日愛を届けてくれた・・・”というフレーズにもあるように、小さい頃は自然や宇宙や大いなるものに包まれ、つながりを感じ、なんとなく見えない何かに守られているような感覚があった。いつから、自然や大いなるものとのつながりが感じられなくなったのだろうか・・・

最近の私の日課は、空を見上げること。
そういえば小さい頃はいつも空を見上げていたし、流れ星も沢山みつけていたなぁ。
外側で流れる現代社会を生きるための時間と自分の内なる時間はどちらも大事。しかし、長年現代社会の中で生きていくとそのバランスがくるってしまう。現代社会に生きながら、自分の内側に備わっているリズム(陰の動き、陰の力)を大事にし、個を超えた“つながり”を回復していく・・・のは至難の業だけど、チャレンジしつづけたいな。

(2005年11月)