スタッフエッセイ 2005年10月

K先生を悼んで

前村よう子

 昨年から非常勤講師としてお世話になっている私立高校がある。そこで、私たち非常勤は、教科の第二研究室内を自分のスペースとして使わせてもらっている。住民(?)は、非常勤数名と、専任2名。専任のお二方は、もう一つの教科研究室にスペースを持っておられるが、ほとんどこちらの住民として日常を過ごしておられる。冷蔵庫有り、ガスコンロ有り、水道有り(浄水器まで)、炊飯ジャーにフライパン・・・ホントに生活できる場でもある。こういった物理的な事柄だけでなく、この第二研究室の雰囲気は一種独特というか、格別である。なぜなら、生徒たちが引きも切らず自由に出入りし、くつろぎ、教員と語り合うスペースにもなっているからだ。それは、専任のお二方のなせる技と言える。永年、その高校に勤務されている為か、現役生徒だけではなく、卒業生や生徒の保護者たちも入れ替り立ち替わり訪れる。どうやら、そういった保護者の多くは、卒業生らしい。アットホームないい学校だなぁと、その度に私はしみじみ感じてきた。
 このエッセイを私が書いているほんの一ヶ月前、その専任教員のお一人であるK先生が亡くなられた。ご本人もご家族も、同僚も生徒も、誰もが思いもしなかった病での急死であった。最初、自宅にその知らせを頂戴した時、耳から入ってくる言葉が上手く呑み込めなかったのを覚えている。「えっ?どなたが亡くなられたって?何のこと?えっ、ご親戚の方なのかな?」というように、理解したくない私がそこにいた。事実を認識した時、それでも不思議な感じだった。お通夜でも、告別式でも、その思いはずっと続いていた。
 K先生は、多くの生徒や卒業生、学校関係者に見送られて逝かれた。にぎやかな華やかな事が好きだった先生らしく、お通夜も告別式も学校が休みの日に執り行われることと重なって、600人以上の生徒や卒業生たちが別れを惜しんだ。手に手に、K先生の好きだったコスモスを持った生徒たちが、最寄り駅から式場まで続いたこの日を、私は忘れないだろうなと思う。
 K先生を見送った翌週、私たち社会科の教員は皆、どこかおかしかった。ピントがずれていたというか、心ここに在らずというか。ヘビースモーカーだった方は吸わなくなり、毎朝通学路に立って生徒を迎えるのを日課とされていた方は、それができなくなり、それぞれが自分のペースを、一ヶ月経った今でも戻せずにいる。そんな私たちを支えてくれているのは、生徒たちだ。誰かかれか、いつも第二研究室を訪れ、花を飾ったり、お菓子を持ってきたり、K先生との写真を飾ったり・・・。日に日に、K先生のスペースは広がっていく。そのスペースを中心に、生徒たちと語り合ったり、教科の質問事項に答えたり、受験指導があったり。不思議なもので、日が経つにつれ、K先生がいつもの席に座っておられる気がしてくる。「扉を開けて、その席に座っておられても、おそらく怖くないね。普通に話せそうだね」と非常勤同士でも語り合うくらいに。
 いっぱいいっぱい、話して、語って、語り尽くして、それでもまだ足りなくて・・・誰かを悼むというのは、こういう作業の繰り返しなんだとつくづく感じている今日この頃だ。K先生からバトンタッチされた生徒たちへの授業、あの子たちが卒業するまで頑張りますね。

(2005年10月)