スタッフエッセイ 2005年9月

からだの記憶

森崎和代

 朝、久しぶりに風呂掃除をした。普段は、各自が入浴後すぐ浴室の窓を開けて湿気を逃がす、という方法で、こまめに掃除をしなくてもカビは出ない我が家のお風呂。しかし、最近の高温多湿のせいか、息子が朝風呂(シャワー)に入るようになったからか、洗い場の隅っこやタイルの目地にカビが目立つようになった。漂白剤をシュッシュッとかけ、数分後シャワーで流す。シャワーで流すとたちまち真っ白!すごいな〜。と感心して、さあ、水を止めねば・・・洗い場に片足をちょっとだけ着いて水を止める。このちょっとのことに横着物の私は靴下を脱ぐのをじゃまくさがった。案の定、靴下が少し濡れる。この靴下の濡れた感じはなんとも気持ち悪い(ならば、はじめから脱げばいいものを・・)。そこで、濡れた靴下を脱いで、干しておくことにした。
 この日の朝はとても涼しく、もう一方の靴下は脱がずにそのままはいて(想像されるととても恥ずかしい)、仕事をしようと階段をかけ上がる。なんだ!この感覚。靴下を片足だけ履いて階段を上ると、なんともいえない感覚で、階段をかけ上がるのがちょっと怖い。降りるのはどうか?と、今度は降りてもみる。やはり、なんだか変な感じ。面白くてしばらく上がったり下がったり・・・。
 そして、思い出した。子どもの頃、私は盆踊りが大好きで、夕方から夜遅くまでお盆になるととにかく踊りに踊っていた。そしてのどが渇くと家に帰り、お茶を飲む。下駄を脱ぎ板の間に上がると、ナント板の間が波打っているような感覚が足の裏に伝わるのだ。その不思議な感覚は今も足の裏が覚えている。何十年も前の感覚がすぐに思い出せるから不思議だ。
 その夜、秋の虫の音を聞きながら、今度は手の感覚を思い出してみた。子どもの頃、こおろぎを捕まえたときの手の感覚。そうそう、小さな黄緑色をしたアマガエルを捕まえた時のねっとりした感触。蚕の背中を撫でた時のなめらかなシルクの手触り。とても微妙な感覚もしっかり思い出せることに驚く。そしていつも少し距離を感じていた今は亡き父の手。山道で少し前を行く父の手をドキドキしながらつかんだ時の、包み込むような大きな暖かな感覚。帰り際、いつも握手で別れた祖母のふわふわしたあの白い手の感触も、忘れることはない。大切な記憶。
 なんとも恥ずかしく横着な風呂掃除から、思いもかけず懐かしい感覚を思い出した。秋の夜長、ゆっくり身体の記憶をたどってみるのもおもしろいかも。

(2005年9月)