スタッフエッセイ 2005年9月

かわいいあの子と柔らかい心

渡邉佳代

 お盆に数日、田舎に帰省したときのこと。実家には、お盆と正月くらいしか帰省しなくなって久しいが、その楽しみのひとつが姪に会うことである。姪はもう少しで三歳。イヤイヤ、何で?、教えてちょうわい(ちょうだい)!の真っ盛りで、彼女の心とからだがすくすくと成長している様子にホッとする。

 家の者が最も忙しく動き回る朝夕、最も手の空いている私は彼女の恰好のお相手になり、帰省すると意外と重宝がられている。二人で庭や家の裏の線路脇、線路の向こうの田んぼまで散歩をしたり、おじいちゃん(私の父)の畑を見てまわったり、草花で人形を作ったり、公園に落ちているビービー弾を拾って集めては宝物だと言って隠したりして時間を過ごした。私が猫じゃらしを手のひらで包み、「どっちから出てくるかな〜?」としばらく遊ぶと、その後でも彼女は大切そうにお気に入りのポシェットに入れて持ち歩き、何度も「虫むし、またしてちょうわい!」と言っていた。散歩に行ったときに、「おばちゃん、見てちょうわい!ひまわり、きれいだねぇ。今日はお山の葉っぱも、お空もきれいだねぇ」という姪の言葉にハッとすることもあった。柔らかな心で世界を見ているんだなと嬉しくなる。

 雨の日は、「雨の日のピクニックだ!」と言って、降りつづける雨を見ながら一緒に軒下でヤクルトを飲んだり、そのまま縁側にピクニックシートを敷いて朝御飯を食べたり、雨音のコンサートに耳をすませたり・・・いや、お相手をしてもらっているのは、私のほうかもしれない。

 ある日の夕暮れどき、私と姪は、愛犬華がいた場所に足を向けた。華の亡き後、今は息子犬の宗の場所になっている。少し眠そうな宗を撫でながら、私は華のことを思い出し、「華ちゃん、いなくなっちゃったね。寂しいね・・・」と呟くと、「そうだねぇ。華ちゃんは、おばちゃんのタカラだったんだねぇ」と姪。その言葉の響きが特別に聞こえたのと驚いたので、「宝っていう意味、知っているの?」と尋ねると、「知ってるよ〜。わたち(私)はパパの宝でしょ、パパはママの宝でしょ、おばあちゃんはおじいちゃんの宝でしょ・・・」と姪は得意そうに続けた。もしかしたら、家の誰かがそうして彼女に話していたのかもしれない。きっと、毎日たくさんのことを柔らかい心で吸収しているのだろう。そこから彼女が温かい何かを感じ取って、また私に言って聞かせてくれているということに、私も温かい気持ちになった。

 先ほどのビービー弾隠しの話。あとでこっそり姪が「ビービー弾の宝物、あれね、この前、パパともしたんだよ。内緒だよ」と教えてくれた。ビービー弾隠しは、私と弟が幼い頃、一時期好んでいた遊びである。時を経て私たちは大人になり、こうして別々に彼女に教えていたのである。彼女もいつか、この遊びを誰かに教えるだろうかと、ふと思った。

 帰省したときは、折しも戦争の特集が組まれる頃で、何度かテレビなどで目にすることがあった。今も世界ではいくつもの戦争が続き、この日本も決して楽観できない状況にある。彼女が柔らかい心を持って世界を見て、たくさんのことを吸収し、学ぶことを私たちはこれから守っていけるだろうか。何をどのように彼女たちに伝えて、彼女たちが自分で考えて判断することのできる社会をどのように作っていけるだろうか。姪の柔らかい心に触れて、考えさせられた夏だった。

(2005年9月)