スタッフエッセイ 2005年8月

戦後60年目の夏に・・・

窪田容子

 父が戦争のことを子どもたちに伝えたかったからだろう。私は幼い頃から、戦争に関する絵本や小説、漫画が家にある中で育った。太平洋戦争や原爆、アウシュビッツ、ベトナム戦争を扱ったものなどがあった。8月6日の朝には、テレビに映される広島の原爆式典での黙祷にあわせて、家族で黙祷するのが習慣だった。小学校では担任が休みの時には、教頭先生が授業に来られては、戦争に関する話をしてくれたのを、興味深く聞き入っていた。私の学校生活の中で出会った校長先生や教頭先生の中で、今も最も良い印象が残っている先生である。10代の終わりのころには、家族でアウシュビッツ展に行き、犠牲者の遺品や写真などの展示を見た。

 中学生のころだったと思うが、あるとき父の本棚を眺めていて、ふと手に取った本に、731部隊のことが書かれていた。戦争中に、旧日本陸軍の731部隊で、女性や子どもを含む数千人もの中国人やロシア人、朝鮮人たちがマルタ(丸太)と呼ばれ、生きたまま、国際条約で禁止されている細菌戦などのために、実験や解剖に使用されたことなどが、写真とともに書かれていたのを、かなりの驚きと、衝撃を受けながら読んだ。
 しかし、731部隊のことは、ぼんやりとした知識でしかなく、私の歴史の認識の中に、しっかりと位置づいてはいなかった。そのことに気づいたのは、女性ライフサイクル研究14号『戦争とトラウマ』で、戦時・性暴力をテーマとした論文の執筆中に、731部隊について書かれた文献に出会ったときだ。細菌戦や731部隊のことは断片的に知ってはいても、いつ頃、どのような歴史の流れの中で起こったことなのかを、はっきり認識できていないことを改めて意識した。歴史の他の事実とは違う形でしか認識できていないのだ。日本史を、地図上の川の流れのように一連の流れとして認識しているとすれば、731部隊のことは、その流れの中にはなく、川の流れからはずれたため池のような感じで、しかもとてもぼんやりとしている、そんなイメージだった。
 なぜだろうか。731部隊のことは、学校の日本史で教えてもらわず、教科書にも記載がなく、きちんとした形で教わることがなかったためだろうか。それゆえに、前後のつながりとともに理解し、記憶できなかったのではないだろうか。教科書や学校教育の影響力の大きさを改めて思う。加害も含めた歴史の事実がきちんと教科書に記載されなければならない。そして、私たちが、子どもたちに戦争のことを伝えていくときにも、ただこんなことがあったという伝え方ではなく、歴史の流れの中にきちんと位置づけた形で伝えていく必要があるのだろうと思う。

 あの戦争から、私たちは何を学んだのだろう。戦後60年が経ち、日本はまた愚かな過ちへと突き進んでいるように思えてならない。「はだしのゲン」を読みながら、戦争を押し進めた大人だけではなく、巻き込まれて戦争に協力した大人、戦争を止められなかった大人たちに、なんて愚かだったのだろうかと思った子どもの頃の私。大人となった今、子どもたちに、同じことを思わせてしまわないようにしなければならない。

(2005年8月)