スタッフエッセイ 2005年5月

別姓結婚、10年

窪田容子

 別姓結婚を始めた10年前、まだ驚かれることが多かった。真ん中の子が保育所に入所した4年前、上の子と名字が違うので、どうして?とお母さんたちにきかれた。夫婦別姓をしていて、子どもたちも名字がそれぞれ違うことを話すと、「えー!いいなぁ。私も離婚届出そうかな〜」とか「職場では旧姓使ってるねん。私も別姓にしとけばよかったわ〜」といった反応が返ってきて嬉しかった。最近も、「営業の女性たちが、結婚して名前変えるのいややわぁ。なんで結婚したこと、周りに知られなあかんのやろって言ってるわ。ほんまにそうやと思う。」と言われた。少しずつ、周りの意識も変わってきてるんだなぁと思う。

 はじめの頃は、別姓をしていることを知っている人の中にも、受け入れてくれない人がいた。私の名の上に夫の姓がくっついた年賀状や、夫と連名の宛名で私の姓が省かれている年賀状が届いたりした。数年の間に、どの人も私の姓を書いてくれているようになり、次第に受け入れてくれたんだなぁと思う。ある心理関係の人からは、私が親元から自立できてないから姓を変えないんだと言われたこともあった。それなら世の大多数の男に対しても、同じことをあなたは言うの?と反発をした。人が当たり前だと思っていることに対して、違う選択するときに、こういった批判はつきものなんだろうと思う。

 私が別姓をすることになったのは、そんなに深い考えがあったからではない。周りの友達が結婚をして当たり前のように、夫の姓になっていく中で、私にとってはそれは当たり前のことではなかった。男女平等ということに敏感で、当たり前を疑うのが好きだった私は、「なんで、男の姓になるの?」という気持ちだった。どっちの姓にするかじゃんけんで決めようと夫に提案したが、夫は自分の姓が変わるのはいやだと言ったので、ならばその気持ちも尊重して別姓をすることになった。私にとっては、姓を決める過程が平等であればそれでよくて、自分の姓の継続ということには、当時、それほどこだわりはなかった。

 その後、昔の女性は結婚によって、姓を変えるだけでなく、名までも違う名で呼ばれることがあったと知った。姓も名もかわってしまうことは、自分は何者かという、その人のアイデンティティを揺るがすのではないだろうか。それは生まれ育った家族との絆を切り、嫁ぎ先の人間として生きさせるための手段だったのではないだろうか。ナチスに捉えられたユダヤ人捕虜が名前を剥奪され番号で呼ばれたように、昔の女性もいわば嫁ぎ先に捕らえられた捕虜のようなものだったのかもしれないと思う。ある新興宗教のカルトでも、信者に、これまでの人との絆を断ち切らせ、カルト内だけど通じる別の名前をつけさせていた。映画「千と千尋の神隠し」にも、名前を剥奪されるというくだりがあった。一方で、虐待的環境に育つなどして、親とは違う姓を名乗ることがとても大きな意味を持つ人たちもいる。名前には、思うより深い意味があるのかもしれない。

 はじめは姓を決める過程にこだわっただけの別姓だったけれど、今は姓を継続できたことに、当時は思わなかった副産物があったと思っている。結婚しても、夫家の人間となったのではなく、私という個人であり続けることの一つの表現にもなったようにも思う。結婚したことを、もしくは離婚することがあったとしても、名前の変更で伝わるのではなく、伝えたい人にだけ伝えることができる。今は交流してない人が、どこかで私の名前を見たときに、思い出してくれるかもしれない。そして、何より同じ名前を名乗り続けることは、自分の気持ちがすがすがしい。本当は、これが一番嬉しい。

(2005年5月)