スタッフエッセイ 2005年4月

危機一髪

津村 薫

先日、地下鉄のホームで、見知らぬ若い男に線路に突き落とされて男性が重傷を負った事件が報道されていた。被害者の荷物が邪魔だったというのがその理由らしいが、駅の防犯カメラにその模様が映し出されていた。線路に飛び降りて救出を試みる人の姿がはっきりと見てとれる。緊急ボタンを押した人もいたため電車も停止し、最悪の事態は免れたそうだ。ちなみに容疑者はこの映像をテレビで見て観念し、父親に付き添われて自首したと後に報じられていた。

「電車がきたら死ぬだろうと思った」と容疑者は供述しているらしいので、未必の故意があったということか。自分がとった行動がいったいどんな結果を生むのか、想像力が広がらないのが悲しい。被害者が助かって本当に良かった。

その事件でふと思い出したのが、うら若き20代前半の頃の話。一度どこかに書いたような気もするけれど、あまりに衝撃的だったので、今も記憶が鮮明なのだ。ある駅で電車待ちをしていた、晴れた夏の朝。私はどこに行こうとしていたのか、それは記憶にないのだが、ラッシュの時間帯も終わり、駅のホームは人影もまばらだった。

見るともなく視界に入っていた反対方向のホーム。そこで信じられないことが起きた。中年の女性が貧血でも起こしたのか、突然意識を失い、線路に転落してしまったのだ。どさっ!という鈍い音。女性は身じろぎもしない。一瞬、体が凍りついた。もっと信じられないことに、電車がそのホームに近づきつつあったのだ。「きゃー!!!」と悲鳴があがる。これは反対側のホームにいた、中年の女性グループ3人の悲鳴。彼女たちはジェスチャーで「止まって!」と運転士に必死にメッセージを送る。運転士はただならぬ気配を察知してか、既に手前で停止することに成功していた。被害者はラッキーだった。電車はこの駅に停車する急行なので徐行しており、停止できたのだろう。この駅が急行停車駅だったのも幸運なことだ。しかしこれが、この駅を通過する特急電車だったなら、恐らく彼女の命はなかっただろう。

程なくして中年男性が線路に飛び降り、意識のない彼女を何とかホームに上げようとするが難しく、ホームの窪みに彼女を引き入れれて、緊急避難をさせようとしている。なんという偉い人だろう!固唾を呑んでその光景を見守る私に数秒後、疑問が湧いた。

待てよ、後続の電車はどうなるのだ?この人たちは本当に助かるのか?私は咄嗟に走り出していた。下の改札口にいる駅員に知らせようと思ったのだ。

ところが私はあまりに気が動転していたのだろう。世にもボケたことを言うのだ。

「あの!人がホームに落ちました!」・・・・ホームじゃなくて線路でしょうが(赤面)。

しかも「何番線ですか?」と聞かれて、答えが出てこないのだ。「き・・・京都方面の、大阪方面に向かい合ってる側!」

こんな稚拙な説明で、よく駅員は理解してくれたものだ。

ひとりの駅員は、てきぱきとどこかに連絡をはじめ、別の駅員数人がホームに飛んで行く。人が揃ってようやく、彼女はホーム上に助け出されていた。その頃にはホームには人だかりができていた。後に協力してくれた人たちもいたらしい。安堵したけれど、私の体はまだガクガクと震えている。それにしても良かった・・。まだ震えながらも、ホッとして電車に乗った。

30代前半の頃、もう一度驚くことがあった。

家族で買い物に出かけ、ショッピングセンターに入るために、大きな横断歩道を渡り終えた。信号は青が点滅していた。私たちとは反対側から急いで横断しようとしている買い物帰りのお客が数人。大荷物を持った女性と、その母親らしい年配の、これまた大荷物の女性。そして信じられないことに、まだ小学校に行っているか否か程度の小さな女の子が、妹らしき2歳くらいの女の子を抱いて走っていたのだ!危険すぎる!近寄よろうとした手前で、女の子は転倒してしまった。ゴン!という大きな鈍い音。抱かれていた小さな女の子はまっさかさまにアスファルトの歩道に落ち、後頭部をしたたかにぶつけてしまっていた。

母親は気が動転したのだろう。「アンタ!何やってんの!」とお姉ちゃんをひどく怒鳴りつけた。瞬間、私はカッとする。信号ひとつ遅れたぐらいでどうだというのだ。こんな小さな子が妹を抱いて、大人と同じスピードで走れるものか。こんな危ないことをさせておいて、まだ子どもを叱るのか?

しかし次の瞬間、気を取り直す。母親もパニックを起こして、何をどうしていいのやら訳がわからないのだろう。子どもを見ると意識がない。目をパチパチと白黒させている。両耳を見てみた。大丈夫そうだ。ここから出血していたら頭部に損傷を受けていると、子どもの救急の本にあったような気がしたから・・。「○○ちゃん!」と子どもの名前を呼び、揺さぶろうとする母親を「動かさない方がいいんじゃないですか」と止めて、「救急車を呼びますね」と携帯電話を取り出した。

ところが、落ち着いていたつもりが、やっぱり気の小さい私は動転していたようなのだ。道順の説明をするのに、よく知っている道について、いつものようにうまく言葉が出てこないのだ。「あの、落ち着いていただいて・・」と電話の向こうの人に言われてしまう始末。何とか説明がつき、程なくして救急車は到着。

言葉をなくしていた小さなお姉ちゃんに、もっと何か言葉をかけてやりたかったが、「びっくりしちゃったね」と言ってやるのが精一杯だった。母親たちは私にお礼を言い、救急車に同乗して去っていった。あの子の怪我がたいしたことがなければ良いが・・とずっと気がかりだった。不謹慎かもしれないが、そこに買い物に行くたびに、「まさか花など置いてないだろうな」とキョロキョロしてしまったほどだ。

危機一髪のとき、すぐに体が動かないこと、うまく表現ができなくなること、年を重ねてもそれは変わらないのだなと実感した(私のおっちょこちょいな性格に、向上がないってことかも・・・汗)。でも私にとっては、その場にいる社会の一員として、できることをするのは自然なことだった。よく思い出してみると、私の両親がそういうタイプだけれど、父親が誰かを助ける場面を子ども時代によく見かけた記憶がある。エスカレーターから転落したお年寄りを助けたり、具合が悪くなった人の介抱をしたり、交差点で立ち往生していた若葉マークの人のために交通整理を買って出て、うまく流れに入れてあげたり。70代を過ぎた今でも、お年寄りに席を譲ってしまうらしい(笑)。

危機一髪の事態に遭遇することは誰の身にも起こり得る。お互いに助けたり助けられたりという行為が自然である社会だといいなあ。

(2005年4月)