スタッフエッセイ 2005年3月

サクラ咲く

下地久美子

 あと1週間もすれば、桜の季節がやってくる。私は、1年のうちで、とりわけ桜の季節が好きである。名所でもなんでもない桜並木を歩くだけで満足だし、電車の窓から、桜を眺めるだけでも幸せを感じる。

 逆に、「花見」というイベントは、いただけない。はじめて、「花見」の宴会というものを経験したのは、某広告代理店入社1年目の春だった。会社が、桜の名所の「靭公園」の裏であったため、新入社員は、昼過ぎからブルーシートを持って、場所取りをさせられた。そこまではいいとしても、飲めや歌えの乱痴気騒ぎは、醜悪を通り越して、悲しかったのを憶えている。大人の世界では、「花見」というのは、桜を愛でる会ではなく、アウトドアの宴会であるということを知った。確かに、桜には、人の心を浮き立たせる魔力があるが、あれは桜に対する冒 涜だよねと思ったものである。それでも、会社勤めの5年間は、イヤイヤながらも「花見」の行事に参加した。

 それ以降は、いわゆる「花見」には、出かけたことがない。通りがかりに、桜を観賞するぐらいがちょうど良い。人が押し寄せる場所へ、わざわざ出かけていく気はしない。それでも、わりと好きなのは、近所の学校に咲いている桜を見ること。独断だが、学校ほど、桜が似合う場所というのも少ない気がする。

 ここまで書いて、どうして桜の季節が好きなのか、ふとひらめいた。たぶん、桜の花が咲くのと新しいスタートとが重なっているからなのではないだろうか。私にとって、新しい年というのは、元旦ではなく、桜の季節なのだ。桜の花を見ると、新しい自分に、生まれ変わったような新鮮な気持ちになる。さあ、また一から頑張りましょうと、励まされる。人は、時に、新しい気持ちを深呼吸する必要があるのだろう。そのきっかけが桜であるというのは言い過ぎだろうか。「花の命は短い」という。しかし、季節が、巡り巡って、毎年同じように桜が咲くというのは、当たり前のことだけど、すごいことだと思う。春は、誰にも、平等にやってくる。そうやって、桜は、再生を繰り返しながら、人の心に「希望」という花を添え、新しいスタートを祝福してくれる。

(2005年3月)