スタッフエッセイ 2005年1月

こだわりの○○

津村 薫

以前住んでいた地域で自治会主催の盆踊りがあったときのこと。

自治会長は80代と高齢ながらそれは矍鑠としている女性だが、踊りのお師匠さんだと聞いていた。無事に夏休み恒例の盆踊りが終わり、やれやれ。役員をしていた私は仲間と一緒に集会所で、ヨーヨー、あてもの、ミルクせんべいなど、素人ながら皆で頑張った出店の収益を計算していた。

すると、浴衣姿の自治会長が足を伸ばして床にぺったりと座り込んでしまっている。「よういわんわ、この格好」と照れながら。確かに会長は全体に気を配りながら踊りの輪にも殆どいるので休む間もなく、さぞお疲れだろうとは思っていた。

すると、会長が皆と雑談しながら、こう言うのだ。「誰が見ているやらわからへんのやから、みっともない格好だけは絶対できん」。踊りのプロフェッショナルとしてのプライドか、最初から最後まで気を抜かずに踊ったのだろう。私のように踊りの心得のない者にはただの「盆踊り」なのだけれど、会長にとってそれは、プロの心意気を見せる場でもあったのだ。なんだか会長がとてもカッコよく見えた。

昨年暮れに、ひとりで新幹線に乗って千葉から泊まりにやってきた姪っ子が、年賀状を持参して、コタツでせっせと書いている。姪っ子は漫画家志望でイラスト部。年賀状はさすがにこだわり、1枚1枚違った手描きのイラストだ。

そのうちの数枚を私に見せ、「これはイラスト部の友達に送るもの。だから必死になるんだ」と言う。相手もイラストが得意な友達のこと、やはり絵心のある人に向けて出すイラストは、他の友人に出すそれよりは緊張するのだろう。「ほ〜、それは腕がなるねえ〜」と返すと、えへへと照れ笑いをしながら、色鉛筆を動かした。ちょっぴり得意そうで魅力的な笑顔だ。

夫は細かい作業が得意なので、家族が困っていると、ちょっとイバって登場してくる(笑)。自転車がパンクしたとか、家のどこかや道具が壊れたとか、小さなトラブルだけど。小さな頃は天体望遠鏡を覗くことが大好きな少年だったらしいので、空の話が得意だし、台風の行方を解説してくれるときは、とりわけ頼りになる存在だ。昨年は台風到来が多かったので、夫も大活躍だった。天気図を見たり、修理に励む姿はいつもカッコいいよ、これからもよろしくね!

娘はごくごく平凡なタイプなのだろう。群を抜いて優れていることではないけれど、親から見ていて上手だなと思うことは髪の手入れやメイク。父親譲りなのだが、手先が器用なのだ。お花の生け方も素敵だし、お点前の作法もなかなかだ。踊りのセンスもあると思うし、歌もうまい(絶対音感があるのだ。これは私譲りか)。おしゃれで小器用なタイプなのかもしれない。ファッションにも結構なこだわりを見せる。でもそれは単なる趣味であって、それを仕事にする気は全くないのだと言う。教科書とにらめっこしながら、合間に鏡ともにらめっこする忙しさ(笑)。何をしていても、たまらなく可愛い。誠実で頭の良い子なので、どんな進路を選んでも頑張っていくだろうと思う。何を考え、どんなふうに生きていくのだろう。楽しみにしている。

さてさて、私のこだわりといえば・・・・。

小さな頃から私は得意なことと不得意なことの差が激しく、決して優等生街道を順調に歩いてきたタイプではなかった。教師も「こんなに個性的な成績をとる子はそういない」といつも困惑気味だったので、実は「何でもできる優等生」というのに憧れていた(笑)。

数少ない得意技は、泳ぐこと。何キロでも平然として泳げるほど水が好きだ。

これは水を怖がる私を心配して、両親がスイミングスクールに通わせてくれたからだが、「速さや泳法ではなく、水に馴染むこと」という方針がとても合ったのだと思う。スピードは出ないし、カッコいい泳法もできないのだが、遠泳力だけはしっかりと身についた。

それから本を読むスピード。これは幼い頃から周囲の大人を驚かせるほどだったが、買っても買ってもすぐ読み上げてしまうので、「本代はケチらない」主義の両親は、さぞ大変だったと思う(笑)。時間も忘れて本を読みふけり、強い近視になるという笑えないオマケもついたけれど、これは今も私のささやかな仕事上での大きな力になっているし、講師として活動する時にも役立っていると思う。

思いつくのはそんなもので、特に華やかなものではない。それ以外に、「これはちょっとこだわってます」というものがある訳でもない。理数系は大嫌い、料理は苦手、掃除も下手、裁縫はまるでだめ、運動音痴、美人と褒められたこともなければ、気もきかない。私の辞書に「才色兼備」という言葉はない(笑)。でも、それが本当の私なのだと思う。

「こだわりの○○を持つ人」のカッコよさに魅せられながら矛盾するようだが、最近私は「決して特別ではない」「ありふれた」ものに対する感謝や評価が深まってきたので、「ごくごく平凡な」「どこにでもある」というものに、大きな安らぎを覚える。イヴリン・バソフはそれを「オートミールをかきまぜること」と書いた。ごくごく日常的で平凡な作業に意味を見出すことの大切さを、そう記していたのだ。

それでも、どこにでもありがちな普通の日々に、ちょっと私なりのスパイスをきかせられたら一番かな。誰も知らないと思うけど、私の鶏の手羽先の煮込みは絶品だよ。唐揚げはお店のよりも美味しいって家族がうなるよ。私の作る白味噌のお雑煮は涙モノのおいしさだよ。私の洗濯物の干し方はなかなか工夫できてるよ。四角い部屋を真ん丸く掃除して、いかにも片付いたように見せる技はまかせてちょうだい。芸能界にもちょっと詳しいぞ。ああ・・・・私って、平凡(笑)。

(2005年1月)