スタッフエッセイ 2004年12月

困った年賀状

下地久美子

 お正月の一番の楽しみは、なんと言っても年賀状。元旦の朝、郵便受けに年賀状の束を見つけるのは、ワクワクする瞬間だ。もう、十年以上もご無沙汰している学生時代や会社時代の友だちから年賀状をもらうと、思い出の糸がつながって、温かい気持ちになる。文は人なりとはいうけれど、普段はお笑い系の人が年賀状ではロマンチストだったり、逆に真面目な人がユーモラスな一面を覗かせてくれるのも、十人十色で面白い。

 先日、朝日新聞に、姫野カオルコが「子ども写真の年賀状」を出す人の心理がわからないと書いていた。確かに、会ったこともない子どもの写真年賀状を送られても困惑するというのは、わかる気がする。「ねぇ、見て見て、うちの子可愛いでしょ?」というメッセージに、どう反応すればよいやら・・・。その親とは知り合いでも、子どもとは、友だちでもなんでもないし。そう言われると、チクリと胸が痛む。

 というのも、私も、毎年、子どもの写真を年賀状に使ってきたからだ。アンパンマンと合成して「それいけ!アンポンタン」とか、サッカーの日本代表やハリー・ポッターと合成したりして、ずっと子どもをダシにしてきた。自分では気に入っていたが、もらった人は、親の自己満足に映っていたかもしれない。さすがに、最近は、子どもたちが「肖像権の侵害」とかなんとか偉そうに言うので、写真を使わせてもらえなくなった。しかたなく、今年は、酉年だから、ペンギンの写真にしたが・・・。干支の写真というのも、味気ない気がしなくもない。

 賛否両論あるが、個人的には、「子ども写真の年賀状」をもらうのは、イヤではない。よその子の成長ぶりも微笑ましいし、「うわぁ〜、親とウリ二つ」などと、密かに思うのも楽しい。それよりも、もらっていちばん寂しいのは、裏も表も印刷のみで、一筆も書いてない年賀状だ。「別に出したくもなかったけど、印刷しちゃったから、どうぞ」と言われているようで、悲しい。たとえ社交辞令でも、「今年こそ、会いましょう!」とか、「モチの食べすぎに注意!」とか、せめて「今年もよろしく」ぐらいは、書いてほしいものだ。

(2004年12月)