スタッフエッセイ 2004年10月

秋の運動会

下地久美子

 先日、息子の小学校最後の運動会に行ってきた。長男が、幼稚園のときから数えると、かれこれ12年間、運動会に行った計算になる。最近では、中学校の運動会も派手になっていて、保護者がビデオカメラ片手に押し寄せるが、やはり、小学校最後というのは、感慨深い。
 次男は、小学校4年生ぐらいまでは、ポッチャリ系で、ズボンのウエストは、いつも総ゴム。どこから見ても、小さいドラえもんという感じだったが、ここへ来て急に背が伸び、スネオぐらいの体型になった。幼児から、すっかり少年ぽくなった姿は、嬉しくもあり、寂しくもある。
その姿を一瞬たりとも逃さず、ビデオに納めておこうと、腕がつりそうになりながら頑張った。特に、組体操は、何日も前から、連日の特訓で、その成果を見てほしいとはりきっていたので、力が入る。家へ帰ってきてからのビデオ鑑賞会では、息子の顔のアップばかりで、全体がわからないと怒られたが・・・。♪どこから見ても、うちの子一番可愛いな♪、という、あのCMの心境だから、しかたない。
 自分自身の運動会を振り返ってみると、あまりいい思い出はない。運動神経が、人一倍鈍かったので、徒競走はいつもビリだったし。ダンスをすれば、一人だけワンテンポずれているという格好の悪さ。私が子どもの時代に、ビデオがなくて本当によかったと、つくづく思う。
 テレビでやっていたが、いま、体育の家庭教師というのが、話題になっているそうだ。逆立ちができない子や足の遅い子を指導して、運動会で恥をかかないようにすることが目的らしい。世の中、ここまで来たかという感じがした。
 別に運動ができなくても、個性と思えばいいし、休みの日に、父親が教えてもいい。私の父は、マイホームパパからはほど遠かったが、休日は、逆上がりのできない私を、よく公園に連れて行って、逆上がりの練習をしてくれた。また、グローブでボールが取れなかった私と夕方まで、キャッチボールをしてくれたこともある。そのとき、父の投げたボールが、私の鼻を直撃し、鼻血が止まらなくなってしまったのは、悲しくもいい思い出だ。
 親子が、ふれあえる時間というのは、本当に短い。できないことは、すぐに専門家へという前に、運動でも勉強でも、親がちょっと見てやるという手もあるんじゃないだろうか。
そんなヒマはないし、効率が悪いという意見もあると思う。でも、子育てが、システマティックになり、どんどん親の手から離れていっているようで、心配になる。指導するのは、プロの方がうまいに決まっているが、親から教わるものには、技術以上のものがあるのではないか、そんな気がする。

(2004年10月)