スタッフエッセイ 2004年7月

夢の不思議

森崎和代

 わたしは夢を見るのが好きだ。 誰もが今まで無数の夢を見、忘れ、そして今日に至っていると思う。夢は記憶がさまざまな形で再生されて生まれるらしいが、わたしの夢にはいくつかの不思議がある。
 今から10年ほど前、亡くなった祖父が夢を介してわたしに法事を知らせた事があった。
その日の夢は白黒で、着物を着た人が大勢集まっていた。もやっとした中に多くの人がいてにぎやかだった。そしてわたしは何故か、その夢のことを祖母に話した。最初は何気なく聞いていた祖母。しかしその数日後「よう言うてくれた!今年おじいちゃんの33回忌やった。忘れるところやったわ、あんたに知らせに行ったんやなぁ」。
 数年前、又同じような夢を見た。以前のことがあったのでこれは誰かに話さねばと母に話した。「そんなこと2回もないわ。該当する人もおれへんし」と、つれない返事。それもそうかと思ったがその1〜2ヵ月後、今度は今まで見たことのない母方の祖母の夢を見たのだ。やはり気になり、再度母に話す。もしそうなら、連絡があるはずと言う母を説得して調べてもらうと、やはりその祖母の33回忌だった。
 3年程前には、友達の亡くなったお父さんの夢を見た。一度も会ったことはないが、なぜか顔を知らなくても判るのだ。とにかく亡くなった人の夢は何かの知らせと思っているので、彼女にお父さんの夢を見たよと電話をした。すると彼女は急に泣き出し「心配してカーちゃんの所へ行ってんな・・・」と誰にも言えなかったと、つらかったことを話してくれた。
 場所にまつわる夢も不思議だ。それらの夢はいつ見たのかも解らない。しかしいくつかの場所の夢はふっと頭にに蘇り、忘れることがない。そして、このうちの2箇所は妹が住むことになったところ、もう2箇所もわたしが移り住むところとなった。これらの場所は必ずしも、夢と現実の場所が一致するわけではない。しかし、その場所に立つと記憶の奥から夢が蘇り、「あの夢の場所だ!」と解るのだ。何かがカチッと合う感じがするから面白い。
 この夏、わたしは1月から夫が単身赴任している上海へ行く。前々から私の記憶にあるひとつの夢、赤くて太い柱があり、見上げると赤い大きなちょうちんのある寺院。その中をまっすぐ進み外に出ると、リヤカーが2台綺麗な扇子を売っている。カチッと合えば又ひとつ夢が現実になる。「そうか、ここに来ることになってたんや!」と。

(2004年7月)