スタッフエッセイ 2004年6月

ウージの森

渡邉佳代

 私は年がら年中、沖縄!沖縄!と言っているような気がする。日増しに日差しが強くなるこの季節になると1年のうちで最も沖縄に思いを馳せ、いてもたってもいられなくなる。「沖縄・離島情報」を開き、「ハイサイおじさん」でお馴染みの嘉納昌吉のCDを聴きながら、温存しておいた貴重なゴーヤー茶、さんぴん茶、グァバ茶をもったいないくらいガブ飲みしてしまう。体が沖縄を求めるのだ。
 那覇空港に到着し、飛行機から降り立った瞬間のあのムッとするような湿気と暑さ。日差しが目に見えそうなくらい強烈に、体に食い込んでくる瞬間・・・ブーゲンビリアの花々の出迎え・・・両手を上げて叫びたいほど、「帰ってきた!」という錯覚に陥る。
 初めての沖縄で牧志の公設市場に行き、心臓が飛び出るような胸の高鳴りを始めて感じた。原色に近い色とりどりの魚が並び、豚の顔皮がぶら下げられ、活気に満ちたオバチャンたちが次々と声をかけてくる。・・・私が沖縄に恋した瞬間だった。
 次の沖縄旅行は、必死でアルバイトを掛け持ちしてお金を貯め、それが尽きるまでの「沖縄のんべんだらり旅」だった。リュックに洗濯洗剤と洗濯ひも、2,3枚の着替えとシャンプーを詰め込んで、本島付近では渡嘉敷島に滞在し、離島への連絡船に乗って石垣へ。石垣を拠点に竹富、黒島、波照間、西表・・・と転々と移動し、結局沖縄には、3週間ほど滞在した。連日のシュノーケリングで真っ黒に日焼けし、その間で2回も脱皮(?)した。
 シュノーケリングと言っても、私の場合はとても原始的で、ほとんど潜水に近い。息の続く限り、そして鼓膜が水圧の痛みに耐えられる限り潜る。潜っている間は瞑想に近く、自分がどんどん形を変え、そして固まっていく感覚を味わう。時には潜りすぎていて、グラスボートにひかれてしまったことも、気づいたら引き潮になっていて岩場にオットセイのように打ち上げられていたことも、今では懐かしい思い出だ。日差しが強くなるとシャワーを浴び、午後からはサイクリングで島探検を楽しむ。民宿のオジサンにヤシガニやハブの捕獲を見学させてもらい、黒島の牛たちと仲良くなった記念に写真を撮り、野ヤギ(?)の突然の出現に肝を潰す。滞在中は、何度か台風で民宿から出られなくなったこともあったが、そんな時は、他の滞在客との会話を楽しむ。
 またまた突然だが、私はタイも大好きだ。活気に満ちた市場、世界各国のバックパッカーたちの集うカオサンロードの熱気、怪しげなパッポンロード、屋台に色とりどりに並んだフルーツを愛してやまない。バイタリティに溢れた生命力、静と動の混在は、さながら万華鏡のようだと感じる。どこか沖縄に似ていると長らく思っていたが、この度の年報14号の企画で沖縄の歴史を紐解いていくうちに、沖縄とタイの交易の歴史は長く、沖縄の泡盛はタイのラオ・カオにルーツがあるという説も知った。沖縄とタイの人は、活気に満ちていて、それでいて人を包み込むような温かさを持っている。沖縄のタクシーのオジサンとタイのトゥクトゥク(三輪バイク)のオジサンにも、どこか共通点と親しみを感じるのは、私だけか?!
 今回は、沖縄戦の取材・調査のため、那覇周辺や本島南部を中心に旅をした。今回も沖縄の人たちとのたくさんの出会いに数多くのことを学び、感謝した。国際通りの居酒屋のお兄ちゃんに、沖縄の人たちの温かさについて私が力説していると、「それは、特に沖縄の人が優しいのではなくて、ここに来る人たちがそういうものを抱えて来るからだと思いますよ」と仰っていた。でも、やっぱり、沖縄には人をそうさせる力があると思う。美しく、温かい沖縄の島々。しかし、沖縄のウージ(サトウキビ)畑の下には、先の沖縄戦の遺骨が未だにたくさん眠っているという・・・。
 次は、沖縄文化と米軍基地の文化が混ざり合い、オキナワン・ロック最大拠点地にもなっているコザに行ってみたいな。私の沖縄へのあくなき探究心はまだまだ続く・・・。
(2004年6月)