スタッフエッセイ 2004年6月

イラク人虐待に思う

窪田容子

 米軍によるイラク人虐待の衝撃的な写真が世界中に報道され、ブッシュ大統領が謝罪するに至った。兵士による人権侵害。許されないことではあるけれど、ないはずがないだろうというのが率直な気持ち。ほんの氷山の一角が現れたに過ぎず、国際社会が大きく反応したために、謝罪がなされたに過ぎないのだろう。戦闘し敵を殺すことが任務に含まれる兵士。人権侵害の最たるものである人殺しを、平然と行うよう訓練がなされた人間が、殺すに至らない人権侵害など何とも思わないのは、当然の結果ではないだろうか。自分が攻撃しようとする相手にも人生があり、感情があり、心配する親がいて、愛している妻や恋人がおり、頼っている子どもがいるなんてことを考え、ためらいの気持ちが生じれば、兵士の任務が務まるはずなはい。そんなことを考えていれば、兵士としては失格だろうし、自分が命を落とすことにもなるだろう。兵士としての任務を全うするためには。相手への共感性をなくすことは、必要不可欠な要素ではないのだろうか。共感性をなくした人間は、他者の人権を侵害しても、痛みなど感じるはずはないし、報道された写真のように、虐待しながら笑っていられるのだ。
 イラク人虐待の報道がなされたことにより、国際社会の目が厳しくなり、少しでも人権侵害が少なくなればと思う。それと、同時に、人権侵害の最たる形態である戦争を正当化している中で、虐待などの人権侵害の再発を防止するということの矛盾を思わざるを得ない。戦争が始まれば、最も恐ろしいのは、他者への共感性を無くした人間が増えることだ。共感性を無くせば人はどんなひどいことだってできてしまう。太平洋戦争時の、日本人による、生きたままの人間の解剖、強かんとその後の証拠隠滅のための殺害、「慰安所」という名で呼ばれた強かんセンターの存在、生きた人間を使って人を刺す練習をしたとか、女性の乳房を切り取ったとか・・・そんなことを、一部の特別残酷な人間が行ったわけではないのだ。共感性をなくすように訓練された兵士の大多数が、似たようなことをしたのだ。それを、酷いと思える人間、つまり他者への共感性を持ち続けることができた人の方が、ごく少数派なのだ。人間は、他者への共感性を無くせば、そこまで残酷になり得るのだ。人権侵害の最たる形態である戦争を、人殺しを正当化しておいて、人権侵害が、虐待がなくなるはずはない。

(2004年6月)