スタッフエッセイ 2004年5月

タイムマシーンがあったなら

前村よう子

 私は読書が好きだ。とは言っても、日本語に限る(英語だと、ものの5分も経たない内にうたた寝を始めてしまう!)。それにミステリーやSFといったエッセンスが加わると、もう止まらない。いつもなら乗車駅から深い眠りにつき、降車駅直前まで目覚めないほどの睡眠をとる通勤電車内でも、ミステリー&SFがお供なら眠る時間すら惜しいくらいだ。
 そんなミステリー&SF好きゆえか、中学生の頃から何かある度に次のようなことを考えて面白がってきた。「もし今タイムマシーンに乗って過去に旅して、○○年前の人たちに、『将来、こんな乗り物ができるよ』とか『この人は、ものすごい発明をするねんよ』とか言っても、だ〜れも信じひんやろなぁ」と。で「私自身、こんなものができたり、こんな事が起こったりするとは思いもせーへんかったし、時が流れるってスゴイことやねんなぁ」としみじみ思うのだ。また、こんなことも思ってきた。「歴史で勉強することって、どこまでホンマなんかなぁ。本人にインタビューした訳でもないし、その人たちが生きてる所をテレビで撮ってる訳でもないし、誰かが実際に見てきた訳でもないし」と。そして「タイムマシーンが出来たら、あんな時代、こんな時代に行ってみたいなぁ。でも私が行くことによって、過去が変わったらアカンしなぁ」と本気で心配したり。
 今、非常勤として日本史を教えているが、自分で教科書に記載された内容を語りつつも「ホンマかいな?」と思っている私がいる。歴史の中の出来事を、「その時にあった事、生きていた人たち」ではなく、「その時にこの人たちは、どんな事を考えて、どんな事に悩んで、どんな生き方を選べたのだろう?」と思いを馳せるようになってからは、ますますその傾向が強くなっている。歴史を誰かの人生の積み重ねと見られるようになったのも、私自身が刻んできた人生に、歴史を重ねることができるようになったせいかもしれない。
 私の子どもの頃に東西、あるいは南北に分かれていた国は一つになり、冷戦状態だった国は手を結ぶようになった。さて、今ここにタイムマシーンに乗った未来からの客人が訪れたなら、その人は私たちに何を伝えたいのだろうか?良い知らせを聞くためには、私たちの努力が必要なんだなぁ。

(2004年5月)