スタッフエッセイ 2004年4月

「春」に想う・・・

小田 裕子

「春」、誰に教えられたのか分からないけれど「春が来る」と言えば何か新しい始まりのような、「心機一転して頑張らないと」という気にさせられる。学校現場ではその思いをさらに掻き立てられるような行事がまっている。卒業式、入学式、始業式、クラス変え・・・すべてが新しくなり、そこにはどれにも「心機一転さぁ頑張ろう!」というようなメッセージがくっ付いているかのように感じられる。でも本当に「春」は新しいはじまり、心機一転の季節なのだろうか?確かに自然界を見てみても春は、冬眠から覚める目覚めの季節であり、寒さに耐え忍んだ蕾が咲きほころぶ季節であり、喜びや前向きな節目の意味合いを含む。しかし、実際はもっとモヤモヤしたり不安だったり、季節の華やかさと自分の内面とのギャップを感じてうつうつ(憂鬱)モードになりやすい季節なのではないかと思う。それは1つには、「春」が"さよなら"と"こんにちは"を併せ持つデリケートな季節にもかかわらず、慌しい季節だからではないだろうか。自分の中にある想いとしっかり"さよなら"ができないと新たに"こんにちは"なんて出来ないのに、春という季節には猶予がない。否応なしに季節は"こんにちは"の時期を迎える。それに拍車をかけるように学校でも職場でも"こんにちは"の行事が次々にやってくる。そうやって自分の気持ちの準備状況など感じる間もなく春が走り始め、GWを迎える頃にその歪がなんともいえないしんどさや無気力といった、どんよりした形でやってくるのではないかと感じている今日この頃である。
「始まりの春」「るんるんの春」といったプラスのイメージが全面に出やすい「春」だが、その春を迎えるには、どうやら自分の中での振り返りを経て、別れや喪失体験をくぐり、しっかり"さよなら"の儀式を済ませるのが重要なようだ。それをするにはやはりある程度まとまった時間(休暇)が必要だと思う。年の変わり目にはお正月休暇が大々的にあるのに、実質の年度の切り替えに休みをとらないのは何でなのだろうと大人になってふと思う。「桜休暇」があれば、もう少し自分のペースで生きる(自分を取り戻す)きっかけが得られるのではないかなと思う。自然界の春は1年に1度のペースでやってくるけれど、人間界の心の春はその季節どおりにはやってはこない。それぞれの春をそれぞれのペースで迎えるために皆さんは何と"さよなら"しますか?"さよなら"と"こんにちは"は隣あわせにあることを頭のかたすみにおきつつ、自分のペースでよい時期に(現実の春に振り回されることなく)私なりの春を迎えられることを願いつつ、今年はマイペースでやっていこう♪

(2004年4月)