スタッフエッセイ 2004年1月

関西STRUT!

渡邉佳代

♪おばちゃん なんぼこれ? 「はい、おおきに、三百マンエーン」 ナニはなくともナニワはサイコー 他に比べりゃ外国同然 OSAKA STRUT!♪
・・・空言だと思っていた。まさか、吉本じゃあるまいし。どこにこんな価格破壊な「国」が存在するんだ!?おそらく、関西に来る前の私なら、ドリフばりのとぼけっぷりで知らなかったことにしたであろう。世間を知らないとは、恐ろしいことだ。
 上の歌詞は、ご存知の方も多いだろう。ウルフルズの「大阪ストラット」である。私はこの歌を単に自分の名前が歌詞の中に入っているというだけで好きだ。関西で一人暮らしを始めて、気づけば、自分の生きてきた人生のうちの3分の1以上をこの地で過ごしてしまった。この春を迎えると、一体幾度の桜舞う京の季節を越えてきたことになるのだろう。
 何年か前、ただ「修学旅行の時に親切にされた」という理由だけで、この地に移り住んできた。その時のカルチャーショックったらない。一人暮らしを始めた当初、哀しき哉、私にとって唯一心安らげる友はテレビだった。しかし、夕飯時には、上沼恵美子。日曜の昼下がりには、やしきたかじん、もしくは新喜劇が放映中!街を歩けば、上がるだの下がるだの東入るだの!歩道を歩いている歩行者なのに、何故か爆走してくる自転車から強烈なベル連射!信号が信号の役割を果たしていない!車は何故、あんなにもブーブーとクラクションを鳴らすのか!何故、人はエスカレーターを駆け上がるのか!何故、人はラーメンとご飯を一緒に食べるのか!アメージング・ワールド・関西!もともとのんびり体質の私が、この地に慣れ親しむまでには、枕を涙で濡らす夜を幾度となく越えることとなる。
 「家の近くのカフェにね、CHARA夫妻(夫はご存知、浅野忠信)とキムタクが、黒いラブラドールを連れてよく来るんだよ〜」という、東京に行った友の黄色い声を電話で聞きながら、「私もね、家の近くで最近、バスコロの取材見ちゃったんだよね〜。ひさうちみちおもいたよ〜」と受け応える私。「何それ・・・」と冷たくあしらう友の声にも、違和感を抱かなくなった頃、私は衝撃的な、ザ・関西を体験することになる。
「はい、勉強しといたし、300万円!」
・・・確かに目の前にいる、年配の、女性が、そう、言った。黒門市場でたこ焼きだか何かを買った時だと思う。勉強?マンエン?・・・愕然とした・・・というよりも、むしろ感動に近かった。アメージング!アメージング!本当だったんだ!危うく「もう1回言って!」と地団駄を踏みそうになりながらも、私はその店を後にした。その時、私はカルチャーとカルチャーの間を乗り越えたのだと思う。きっかけは、そんな風に些細なものだ。どんなことで自分にとっての危機を乗り越えるのか、人生分かったもんじゃない。
 実家に帰り、弟に「あんた、よく見るとシャンプーハットの顔が濃いほうに似ているね」と言って「誰それ?」という答えが返ってきた時。信号待ちやエスカレーターの上り下りがもどかしい!と感じた時。普通に歩いているのに「歩くの速いよ〜」と言われた時。碁盤の目の道じゃないと方向感覚が麻痺する時。うどんとご飯を一緒に食べる私を気味悪そうに家族が眺めている時。ふと強烈に、私は関西を、そして京都を身近に感じるのだ。

(2004年1月)