スタッフエッセイ 2003年11月

ヤンキー先生

下地久美子

 全国から中退者や不登校生を受け入れている北海道の北星学園余市高等学校の卒業生である義家弘介さんが、母校の教師になって生徒たちと奮闘する有り様が、いま、本やドラマになって話題を呼んでいる。
 義家先生自身、喧嘩で高校退学、家からも絶縁され、児童相談所を経由して里親に引き取られるという、札付きの不良少年であった。社会に絶望し、傷だらけになった彼が、北星余市高校で、はじめて信じられる教師や仲間と出会い、少しずつ心を開いていく。その後、大事故で命拾いし、紆余曲折の末、母校の教鞭をとることになる。
 この北星余市高校というところが、一筋縄ではいかない生徒たちばかりで、飲酒喫煙はもとより、自殺未遂、薬物中毒、家出、いじめなど、さまざまな問題を抱え、それでも、もう一度やり直そうと再起を誓って、北の果てまでやってきた個性派集団。大人たちの狡さには、人一倍敏感で、傷つきやすく、まやかしの愛情など通用しない。だからこそ、本音と本音がぶつかり合い、納得がいくまでとことん話し合う。そうやって、生徒の気持ちに寄り添いながら、問題を乗り越えている姿は、事なかれ主義の学校が多い中で、異彩を放っている。
 いつの頃からだろう。「熱血」というのは、ダサくて、格好が悪いことの代名詞になってきた。みんながなんとなく学校へ行き、波風が立たないように振る舞い、それが出来ない者は、落伍者のレッテルを貼られて、容赦なく切り捨てられていく。教師も生徒も、当たり障りなく、与えられた役割を淡々とこなしているに過ぎない。信じられるものなんてなにもないと、みんなシラケきっている。そんな中で、教師と生徒の信頼関係なんてうまれるはずがない。
 義家先生の「不良少年の夢」と「ヤンキー母校へ帰る」の2冊の本を読んで、何年かぶりにウルウルしてしまった。何かに熱くなったり、夢中になることに、抵抗があった自分が恥ずかしくなった。今までは、相手も自分も傷つかないようにと、そればかり考えていた。一度ぐらい裏切られてもあきらめちゃいけない。本気で立ち向かえば、相手も変わり、自分も変わる。そのことを教えられたような気がする。人はどんな窮地にあっても、生き直せるということにも、力づけられた。もちろん、熱意だけではどうしようもないことも山ほどあるが、少なくとも、長いものに巻かれない勇気だけは失いたくないなぁと、思う。
 最近どうも、心がかさかさに乾いちゃって・・・という方、また、子どもの気持ちがわからないと悩むお父さんお母さん方に、ぜひ読んでいただきたい本である。

(2003年11月)