スタッフエッセイ 2003年10月

運動会

窪田容子

 自分の幼稚園の時の運動会は、そんなに印象に残ってはいない。小学校の運動会と言えば、当日のことは余り印象にはないが、先生の注意が飛び交う中、何度も行進や団体演技の練習をさせられ、しんどかったなーという記憶が残っている。予行演習で、最初から最後まで当日と全く同じように通しでした時には、「じゃあ、本番はいったい誰のためにあるの?親が見るためにあるの?」と、子ども心に疑問を持ったことを覚えている。

 我が子に保育所の運動会に、保護者として参加するようになり、運動会の印象が変わった。保育所の運動会は、親に見せるための運動会ではなく、子どもが楽しむための運動会だった。見せるための練習に重きを置かないので、見た目がそんなに美しいわけではなく、ハプニングも付きものだ。でも、多少失敗しても、そんなことはおかまいなく、子どもの表情がいきいきと輝き、子どもがのびのびと楽しんでいる。その姿に親も楽しくなってくる。
 年長クラスになると、運動会で何をしたいかということも、子ども達が話し合いで決めていく。普段遊んでいる「竹馬」「縄跳び」、そして、昨年の年長さんの演技で見ている「パラバルーン」「太鼓」などをしたいという声が出れば、それを全部取り入れた演技を先生が考えてくれる。リレーがしたい、したくないと意見が分かれれば、したい子たちが「一人で走るんとちゃうで!」「みんなで、がんばろうやー」と一生懸命したくない子たちの説得にかかる。チームに分かれて、何度かリレーをしてみて、負けたチームはまた作戦を練り直して当日に向けて備える。そして待ちに待った当日。そんな、子ども達の一生懸命な気持ちを、お便りを通して親も知っているので、応援にも熱が入る。子ども達の、真剣な顔。勝敗が決まったときの、勝ったチームの子ども達の飛び上がって喜ぶ姿、負けたチームの子ども達の泣きじゃくる姿。その姿に、親も感動して、もらい泣きとなった。 5、6歳の子ども達が、何かにこんなに一生懸命になれること。心の底から喜んでる姿、心の底から悔しがって泣いている姿。こうやって、体と心をフルに使って、一つ一つの出来事を仲間と共に、しっかりと深く体験していくこと。なんて素晴らしいのだろう。こうやって、深く体と心と体験できるのは、主体が子どもにあるからだ。

 そして、我が子の初めての小学校の運動会。保育所の時ほどには、楽しみにはしていない様子の子ども。演技は、ひょっこりひょうたん島。近隣の2校でも、一年生の演技はひょっこりひょうたん島だったようだ。どうやって決めたの?と尋ねると、先生達が決めたと。間違えたらどうしようと、子どもは若干緊張しているようだった。綺麗に揃った演技ではあるけれど、踊りを教えてもらって、そのとおり練習してきただけであり、見ている私にとっても、少し物足りない。もっと、子ども達の力を信じて、もっと子ども達に任せて、もっと子ども達の意思を取り入れて、子ども達が主役の運動会となれば良いのに・・・と、大きくなった我が子の姿に目を細めつつ、少し残念な気もした。

(2003年10月)