スタッフエッセイ 2003年7月

麦畑に想う

渡邉佳代

 私はFLCのスタッフをしている他に、ある県の中学校でスクールカウンセラーをしている。その中学校へは、電車で1時間、さらにバスで30分、そこから徒歩15分をかけ、のんびりと通学している。1週間のうち、私はこの15分間の徒歩が大好きだ。バスから降り立つと、あたり一面麦畑が広がり、私はその畦道をゆっくり味わいながら、学校へ向かう。この時期の道端には、アザミやシロツメ草、名も知らぬ青や黄やピンクの花々が咲き誇り、モンシロチョウがそこで羽を休めている。それらの風景と土の湿った匂いから、私は幼少期に夢中で田んぼの畦道で野草をつんだことや、虫をつかまえたこと、父や母の背に負われて蛍を見に行った夕暮れを懐かしく思い出す。
 実を言うと、私は大学時代に英米文学を専攻していたという経歴を持つ。卒業論文は高校のときから好きだったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(原題:The Catcher in the Rye)」を選んだ。「ライ麦畑でつかまえて」という題は、思春期の主人公ホールデンが、通りすがりに耳にした幼い少年の歌の詞からきている。大人になることへの葛藤を抱えたホールデンは、無心に歌う少年の姿に心が澄みわたるような気がし、人間のもつ矛盾や弱さを認めながらも生きていく決意をするが、私はその場面が一番好きだ。
 その後、私は英米文学から心理、対人援助の道を選び、現在の自分に至っているが、その軌跡を何とも不思議に思う。様々な人と出会い、支えられて今の私があると思うと、振り返る私のエピソードは個々のものではなく、一本の道筋となって続いているように思う。
 ちなみに、「ライ麦畑でつかまえて」は18世紀のスコットランドの詩人、ロバート・バーンズの詩に曲がつけられて、スコットランド民謡として親しまれているものだが、実は日本でもお馴染みの歌である。オヨネーズやドリフターズが歌う「誰かさんと誰かさんが麦畑」である。通学途中の麦畑を歩くとき、いつの間にか、このメロディを口ずさんでいる自分に気づいた。この道を歩く15分の間で、私は幼少期、思春期の自分に戻っていき、現在の自分を見つめている感覚に不思議と陥る。私が出会い、支えられてきた人たちとのつながりの上に、今の自分があるという奇跡を思いながら、何度もこの麦畑で私は私であることを確認する。

(2003年7月)