2005年7月 (スタッフの日記バックナンバー)

7月31日(日) 村本

 きのう今日と、神戸でストレスマネジメント学会。久しぶりにポートライナーに乗って見るポートピアの風景は、すっかり様変わりしていた。震災から十年、その傷跡はあちこちに隠されているのだろう。今回は、災害時のストレスメネジメントの話を多く聞いたが、やはり、動作法による緊急支援の話が面白かった。言語化を避け、身体症状化しやすい日本の文化においては、体から入る動作法がもっとも適しているのではないかと私は考えているからだ。まだまだ修行中の身だが、もっと自由に使いこなせるようになりたいものだ。スマトラ沖の写真も見たが、海岸に遺体が山と流され積み重なっている様は、かなりショッキングだった。遺体が異臭を放つ中を歩いていくサバイバーたち。それはそれはトラウマティックな体験に違いない。世界の狭さを感じるとともに(リアルタイムで世界のあちこちの状況を眼にすることができる時代)、戦争などの状況では、これが日常になるのだと思うと空恐ろしい。それにしても、事が起きるたびに、日本中、どころか世界各地を飛び回らざるを得ない先生方のことは心配になってくる(「トラウマおっかけ」とでも呼びたくなるくらい・・・)。トラウマケアを専門にしている人は、果たして長生きできるのだろうか?もちろん、マネジメントはどんどん上手になっていくのだろうけど、自分のことで言えば、やっぱりリミットを設定しておかなければ対処しきれないような気がする。人類の歴史はトラウマの連続だ。それを生き延びる現代的な術のひとつとして、ストレスマネジメントがあるわけだが、伝統の知恵に学ぶことも考えてみたい。

7月28日(木) 森崎

 昨夜あれ?っと思い、今朝日記を見直してがっかりした・・・。というのも、朝から左腕の付け根が痛いのだ。『そうか、やっぱり雑草退治をした時の筋肉痛か』と思い、日記を見直すと、雑草退治は25日(月)・・・。遅いやん!反応が!!

 最近、大好きな田んぼの中の散歩を再開したが、とても気持ちよく早足で30分歩けるので、『よしよし体力は衰えてないぞ』とよろこんでいたのに。雑草退治の翌日も、1時間半もガリガリやったが、身体のどこもなんともないので『いや〜やっぱりまだまだ若い』と、こっそりほくそえんでいたのに・・・。あ〜、忘れた頃にやってくるなんて、ほんとにがっかりだ。

7月27日(水) 村本

 きのう・今日と、福岡で、芸術教育研究所主催の夏の保育士研修。毎年やっているものだが(福岡でやるのは今年初めて)、いつもは丸二日の研修なので、他の先生方の講座を覗く時間がなくて悔しい思いをしていたが、きのうは総合講座の1コマで午後はフリーだったので、かねてより聴きたかった松浦龍子さんの絵画指導、櫻田素子さんのリズム遊び(櫻田さんはガムラン奏者)、大森靖枝さんの劇ごっこ、藤本和典さんの保育ナチュラリスト、そして今年初登場だった村中季衣さんの絵本講座を少しずつ聴講させてもらう。あらためて、ここの講座は、本当にいつも、質の良い遊びと芸術教育を提供しているなと思う。この情緒不安定な社会・家庭の中で育つ子どもたちに、質の高い遊びを保証してやることほどパワフルなことはない。小手先の「心のケア」など到底かなわない。もっともっと根底の生きる基盤を成すものだ。そして、それぞれの講師が、本当に楽しそうに生き生きと講座をやっていることも印象的。毎年、ここに関わらせてもらっていることを有り難く、光栄に感じている。

 いつもは福岡に出張すると、そこしか知らなかったので、空港近くの「万葉の湯」で妥協してきたが、今回は、薬院に「しろやま乃湯」というのがあることを発見。宿泊していた天神から徒歩15分ほどの街中にあるのに完全に別空間で、かなり満足。ポイントとしては、露天風呂の広さと演出。滝の音で都心の騒音が完全に消され、植えられた木々にあちこち簾をうまくかけることで、ビルの窓がまったく遮られるように考えられている。雰囲気も洒落てると思ったら、鹿児島の城山観光ホテルが経営しているのだそう。9月の出張の時もここにしよう!あっ、それから、また、アルベロベロでブタのカーディガン買ってきた(ラッキーなことにバーゲン価格だった)。充実して、楽しい出張だった。

7月25日(月) 森崎

 今朝は少し涼しい朝だった。そこで、気になっていた雑草退治をやることにした。時間はちょうど8時。猫の額程の庭ともいえない空間だが、あっちこっちに伸び伸びになっている枝をバシバシ払い、はびこった雑草を小さな鎌でガリガリ退治し、後片付けを済ますとなんと9時半!こんなことは時間を忘れ、夢中で出来るもんだと、我ながら感心する。

 しかし、雑草退治と一言に言っても、実は雑草好きな私。小さな花をつける好きなものもあって、わざわざ公園から取ってきて植えているものもある。勝手に生えたものでも好きなものはそっとそのままにし、増えている。いや、増やしている。すごい、えこひいき(笑)。

 作業していると、狭い場所なのでお尻がラベンダーやチェリーセージにあたり、ほのかに香り立つ。雑草を刈ろうとガリガリやっていると、地下茎で伸びていたミントの根に鎌があたり、またまた香りに包まれる。なんとも幸せな雑草退治。作業が終わって、すっかりきれいになった庭をよしよしと何度も眺める。家の中にいても、なんだか風の通りがよくなったような気さえする。あ〜幸せな休日だ〜!?。いやいや、このあとは、家での仕事が目白押し、だった・・・

7月24日(日) 村本

 今日は、NPOのアドボケイト・プロジェクトの企画で、VOVでアドボケイトをしている春海葉子さんを招いて、お話を伺った。アドボケイトについては、この間、概念整理や自分たちのスタンスを考える上で、ちょっと勉強もしてきたし、自分なりの考えがまとまりつつあったのだけど、実際に活動している春海さんの意識に触発されて、さらにはっきりしてきたことがある。なかでも、一番大きなことは、これまで、VOVについて、さまざまな角度から書かれたものを読んだり、講演を聴いたりする機会があったが、アメリカ社会で有色女性として生き、活動している春海さんならではの視点が感じ取れた。やはり、アドボケイトも統一主義ではなく、多文化主義であるべきなのだ。専門家としての教育訓練はある種、一義的で、画一主義になり得る。日本文化の土壌において、さまざまな立場からアドボケイトに当たる活動をしてきた方々が、実は、たくさんいると思う。アドボケイト・プロジェクトの次の段階は、その方々のお話に耳を傾けることと考えてきたが、やはりそうなのだと改めて確信した。もちろん西欧の蓄積に学ぶべき点も多いと思うが、日本文化には、さまざまなサブ・カルチャーがあり、西欧に倣うだけでは、こぼれていくものが少なくないだろう。参加者のアンケートに、「FLCは、立場の違う人を何げに呼んできてはこんな企画をするので、おもしろいと思う」みたいなコメントがあり、そう思った根拠はわからないのだけど、でも、そう感じてもらえることは嬉しいことだ。多義的な支援活動を考えていけたらと思う。そのうちのひとつが、体への働きかけで、私はここ数年、「臨床動作法」に注目し、学んでいる途上であるが、今日、会員の栗岡多恵子さん(Brisaブリーザ主宰)がやってくれたリラクセーションも、そのうちのひとつだろう。最近、疲れ気味だったのだけど、今後の活動へのエネルギーがわいてきた。(今回の内容に関しては、また、NPOのホームページやニュースレターなどで、追々、お伝えできると思うので、関心のある方は、NPOの方に是非、ご注目ください。)

7月22日(金) 村本

 サウナのおばちゃんたちの会話。間接的な知り合いに自衛隊がいて、イラク派遣予定者名簿に挙がっているのだと。一番下っ端でも、給料の他に、1日3万円の手当が付加され、万が一、生命に支障があった場合は、何億なのだという。「思わず、息子に自衛隊行ったら〜と言いたくなったわ」「お〜、怖〜」「もちろん、冗談やで〜」。そして、「いったい、あれに私らの税金、どのくらい使われているんやろ?」「ホンマや。下っ端で3万いうことは、上だとすごいやろな」「私ら、誰も、行って欲しい言うてへんのにな〜」。今のところ、誰も殺していないし、誰も殺されていないが、本当に命懸け、命を売っているようなものだ。アメリカなどでも、兵士は貧困層ばかりで、すでに数百人死んでいるはず。しかも、7人に1人は自殺と報じられている。いったい、そこにどんな意味を見いだせるのか、悲しい現実だ。派遣された自衛隊隊員の人たちは、いったいどんな状況に置かれているのだろうか。「息子が・・・」の会話に、急に現実味を感じてしまった。本当に人事ではない。この今や小さな世界、飛行機に乗って何時間か飛ぶと、そこは戦場なのだ。先日の映画でも、「すべての戦争は自衛の名の下で行われている」とのコメントがあった。状況は泥沼化するばかり。1日も早く平和が訪れて欲しい。

7月20日(水) 村本

 先日、15周年記念シンポが終わったが、私自身は、終わった感じがせず、あれから、ひしひしと責任の重さを感じる毎日である。戦争の問題に取り組むことを宣言したものの、いったい何から手をつけていけばいいのか、本当にやれるのか、さまざまな可能性を頭の中で模索し続けている。戦争を語り継ぐ小さな市民向け定例会を細々と続けていくのがいいのだろうか?戦争体験者の語り研究をナラティブ・アプローチでやるのがいいだろうか?その場合、対象は、原爆、沖縄、空襲、あるいは加害兵?ドイツに倣って、子どもたちへの歴史教育のあり方の大規模調査がいいのか?現代、問題を抱える人たちに親世代、祖父母世代の戦争体験を聞くのがいいのか?まだ、答は出ない。とにかく、やるとスローガンを掲げたまま、何もせずに十年ということにだけはしてはならないと思う。でも、何だかちょっと重い。

 今日は、立命館大学で行われた映画「日本国憲法」の上映と対談のイベントに行ってきた。とにかく、孤立せず、さまざまな人やグループとつながること。せっかく立命館に勤めているのだから、とにかく行ってこようと思った。憲法の意味を考え直すこの頃である。折しも、先日のシンポに合わせ、会員の方から、中川いちろうさんによる「あなたの平和憲法を知っていますか?」の紹介があった。とてもわかりやすく書かれた冊子で、HPからダウンロードすることもできる(http://earth-citizen.org/top.html)。憲法と言えば、思い出すのは、高校時代、「政治経済」で、日本国憲法をノートに書くという宿題が出たこと。誰が思いついたのか、あまりに大変なので、頁が重なってめくれて飛ばしてしまったことにしようということになって、皆でズルをしたのだった。そしたら、何と、先生は、一人ずつのノートに飛ばした部分をすべて自ら書き写して返してきたのである!本当に良心が痛む恥ずかしい思い出だ。憲法の重みを教えたかったのだろうか。

 映画「日本国憲法」については新聞で読んでいたが、日高六郎さんの憲法「改正」は国内問題ではなく、国際問題だという視点にあらためて、その意味を気づかされる。つまり、日本は酷いことをしたアジアの国々に正式には謝罪していないが、それでも、9条には、「二度とこのような過ちを犯さない」という謝罪の意味が含まれていたのであり、それを放棄するならば、一挙に近隣諸国の不信と怒りが吹き出すだろうというのである。また、日本国憲法はGHQによって押しつけられたものと言われるが、政府草案の他に、非常にすぐれた憲法研究会の人たちの草案があり、それとの摺り合わせがなされたのだという。あの当時でも、希望を持って未来に夢を託した人々がいたことは誇りでもある。日本という国は、国としてはダメでも、草の根に素晴らしい人たちがいつもいたことを忘れてはならないと思う。そして、憲法改悪のプレッシャーと闘い(アメリカは早くも朝鮮戦争の時には9条を変えたかったのだ)、60年間平和を守ってきたという事実に改めて驚く。

 対談は、平和ミュージアムの安齋先生とプロデューサーの山上徹二郎さん。山上さんは、「チョムスキー9.11」を作った人だと今回知ったが、若いのに精力的に社会問題に向き合ってきたすごい人だなと感心する。そう、あちらこちらに立派な人たちはいるものだ。「自分の足下から始めること。そして、連帯していくこと」という山上さんのメッセージを、そのままに受けとめようと思う。自分の足下を見据えつつ、他の誰か、他のグループがやっている活動にもアクセスしてみよう。

7月18日(祝) 森崎

 夏祭りのシーズンだ。わが町でも県下最大といわれているらしい夏祭りが昨日一昨日とあった。毎年、駅前付近や神社周辺の数本の通りにはちょうちんや飾りが張り巡らされ、お祭り気分を盛り上げている。

 高校生の娘は小学校以来久しぶりに浴衣に袖を通した。浴衣を着せて帯を締めてやると、自分でお化粧をし、髪もふわふわと上手にまとめ、すっとかんざしで止める。見事だ!!こんな時はお化粧もいいかと思い見ていたのだが、かわいい!!!夫に思わずメール。親バカちゃんりん・・・

 一方中学生の息子は、制服に名札をつけてお祭りに行かなくてはならない決まり。先生に、何で、名札がいるのか?と聞くと「悪いことをしたらすぐ分かるから」という答えだったと怒っていた。その答えに納得できない息子は、息子は名札を付けず、携帯して行った。まあ、それもいいだろう。

 お祭りの後、友達と川で花火をする予定だという息子。『子どもだけで花火か・・・』と思いながら、ついていくわけには行かないし、後始末をちゃんとして、10時(学校で決められた時間)には帰宅すること、を確認すると「え〜、祭りの時ぐらいええやん」と息子。「いやいや、10時でも充分遅い時間。火を扱うし、10時には帰ること」をしぶしぶ了承させ、「お母さんの携帯なんかかっこ悪い」と言ったが、携帯を持たせる(数週間のバトルの末、彼にはまだ携帯を持たせていない)。10時、電話が鳴る。息子からだ。「もうチョットしたら帰るから」。帰宅は10時を30分過ぎてはいたが、10時ちょうどに電話があったということは、時間を気にしていたという証拠。花火の燃えカスも持ち帰っていたし、まっいいか。思春期の子どもとの付き合いはなかなか難しい・・・。

7月17日(日) 村本

 団さんが貸してくれたDVD「トラベリング・ウィズ・ゲバラ」、明日には中村さんに渡すことになっているので、今日中にと、観てみた。これは、「モーターサイクル・ダイアリーズ」の撮影状況を追っかけたドキュメンタリー。ゲバラと共に旅をする親友アルベルトが同行し、撮影に助言する。さまざまな次元で、深い感動に満たされる。

 まずは、何と言っても、南米大陸の魅力。広大な砂漠や奥深い密林、はかりしれない巨大な泥沼が流れ出したような川。ほぼ紺色の青空に浮かぶ雲。輝く夕陽の照り返し。イースター島へ渡ろうとしたが、次の船は半年待たなければならないと聞いて断念したというアルベルトによって明かされたエピソード。「どうして、イースター島へ行こうと思ったんですか?」と問われ、アルベルトが、「政治を目的とした旅だったわけじゃないからね。ただ、世界が見たかったんだ」と答える。「世界が見たい」、この想いは、とてもよくわかる。搾取労働の巣である銅山で、「あなたたちも仕事を探して旅をしているのでしょ?」と問われ、「違うんだ。旅のための旅をしてる」と恥じ入りながら答える二人。「いつも何かを探していた」と形容されるゲバラ。世界を知りたかった好奇心旺盛な若者たちの旅。そして、「誰かが苦しんでいるのに、何も感じず、何もしないのなら、人生はなんてむなしいんだろう」と、バックで歌が流れる。私も、まだまだ世界が見たい。見るだけでなく、行動しなければとも思う。そして、どうしたら、子どもたちに世界を見せることができるんだろうと考える。まだまだ囲われた中でのほほんと暮らしている我が子たちだ。このドキュメンタリーでは、ゲバラの両親の背景も語られている。やっぱり、親たちが偉かったと痛感する。ゲバラの母親役を演じた女優が、「彼女自身、何度も危険に身を曝してきた。でも、自分の身を危険に曝すことと、息子を旅立たせることとは違う」と語っている。本当にそうだ。今や81歳のアルベルトは、出発前、ゲバラの母親に、「あなたが年上だから言っておくけど、息子をちゃんとここに帰してね。医学部の最終学期が残っているから」と言われた、「僕らが本当に旅をやり遂げることを信じていたのは彼女一人だった」と語る。息子も娘も、もうじき手元から社会へと背中を押し出さなければならない。決して、子どもたちに劇的な人生を望んでいるわけではないけれど、彼らが、「むなしくない人生」を生きていけるような応援が必要なのだと思っている。

 それから、ドキュメンタリーのあちこちに流れている「尊敬」という感情や、「影響」という現象。撮影隊一同がアルベルトに深い敬意を抱いていることが、ひしひしと伝わってくる。単なる役割や儀礼ではない人々の心の奥から沸いてくる尊敬の念によって、誰かを大切に大切に扱うということ。それほど尊敬される人生を生きてきたということが素晴らしいのはもちろんだが、それほどまでに尊敬できる人物が存在するということの素晴らしさを感じる。生きること、年齢を重ねることは素晴らしいことなのだと思える場面だ。また、ゲバラたちが、あちこちで出会った人々、出会った場面によって、大きな影響を受け、人生を転換させていくさま。影響を受けるというのは、なんて素敵なことなのだろうと思う。アルベルトが、「人生はたくさんのものを与えてくれた」と語り、「人生よ、ありがとう」の歌が流れる。人生はたくさんのものを与えてくれるが、受け取るためには、大きく手を差し出すことができなければならないのだ。人生はたくさんのものを与えてくれる可能性に満ちているのに、存分に受け取れない自分たちには、考えさせられる話だ。尊敬に値する素晴らしい人たちと出会っていくこと、さまざまな可能性に自らを閉ざさないこと、変化を怖れない勇気・・・。

 長くなるからもうやめるが(自分の仕事をちゃんとしなければ)、久しぶりに元気が出た。

7月16日(土) 村本

 何を隠そう(実は、ずっと隠してきた)、今日はお初天神の夏祭り。そう、バリ舞踏奉納の日だった。ただでさえ一番の劣等生が、今年はあまりに忙しくて、自主連にもリハーサルにも一度も行けず、かなりやばかった。それでも、細かいことにこだわらないこのおおざっぱ、と言うか、厚かましい性格は、案外と舞台に強いのかも。生ガムランでルジャンを踊るのは初めてだったが(いつもはテープ)、違和感はなかった。完全に覚えられず、チョロチョロ人のを見て踊るので、ワンテンポ遅れたりもするのだけど、普段の実力のなさから言えば、まあまあ、こんなもんだろう。眼、顔、指、手など、細部まで、とても表現豊かで娘とともに憧れている人から、「去年、親子でペンデット踊ったでしょ。すごくエクスプレッシブで印象深かったよ」ととても褒められ、すご〜く気を良くしている。あんなに表現豊かな人から「エクスプレッシブ」と言ってもらえるなんて!それと、今年、感じたのは、先輩や後輩たちの踊りを見ながら、少しずつ、何がよくて何が悪いかがわかるようになりつつあること。やっぱり、続けるもんだな。いつも人の踊りを見ると、「頑張るぞ!」とやる気に燃える。頑張るぞ!(長続きすることを・・・)

7月16日(土) 津村

 12日からマレーシアとシンガポールに修学旅行に行っていた娘が無事帰宅した。楽しんできたようだけれど、昨夜は機内で過ごしたため、帰宅して、軽くお昼を食べた途端に夢の中。5時間は眠り続けている(笑)。ここ数ヶ月、ゆっくり話す機会を数えるほどしか持っていなかったが、たまたま今日、私が仕事がまったくない日(こういう日が殆どないので・・)で良かった。

 一番面白かったのはナイトサファリだそうで、なかなかの迫力だったのだとか。クアラルンプールでろうけつ染め体験をしたりと、楽しい5日間だったようだ。

 ちなみに、私は海外旅行体験すらなく、夫も勤務先の慰安旅行でグアムへ行った程度なので(私たちの新婚旅行は沖縄!)、旅支度で大笑いになった。軽い気持ちで、自分のカバンを「貸してあげようか」と言ったら、そんな小さなカバン(といっても2〜3泊の旅はこれで十分という大きさの物)で行く人は誰もいず、皆スーツケースを買ったり親に借りたりしているのだそうだ。

 買えば高いものだから、あわててレンタルサービスをネットで探した。そのうち娘が大手ディスカウントストアーで8千円程度で販売していると誰かから聞いてきた。それならレンタル料金とそんなには変わらない。あわてて夫が娘と買いに走り、エメラルドブルーの大きなスーツケースをふたりが抱えて帰ってきた。「えーっ、こんなに大きいもの?」しかしスーツケースには、「5〜7泊用」とある。ふーむ、そうなのか。

 この子が偉いのは、このテの支度を小学校高学年あたりからは、きちんとひとりでしてきたことだ。足りない物はリストアップして、安いところを選んで揃えていて、その丁寧さに、がさつな私は我が子ながら天晴れと舌を巻く。手先も器用だし、コツコツやる夫の良いところを受け継いだのかな。

 油っこい食事が多くて、日本食が恋しくなったそうだ。「今日は普通のご飯とか、お寿司が食べたい」とのこと。了解、純和食にします。「明日はさ、夏野菜カレーにして」(娘の大好物。牛肉、玉葱、トマトや茄子が入る)、ハ〜イ、わかりました。犬と猫も嬉しそう。夫も「無事帰宅したら連絡してな」と言っていたから、心配していたのだろう。

 去年の今頃、娘はベッドで寝たきりだった。元気になって、こんな旅行に行けるようになったんだもんな。まだあどけない表情をして眠っている娘を見ると、しみじみ嬉しい。

7月12日(火) 村本

 もう日付は変わってしまっているが、今日は(正確にはきのうは)、グループ・アプローチの最後の授業で、夜は打ち上げだった。今年は、インドネシアからの留学生がいるので、木屋町にある「ハチハチ」というインドネシア料理店で。「チタチタ」に続き、インドネシア料理って、意外にも日本人の口によく合って、とってもおいしいものだと学んでいる(辛そうなだけの印象だったが)。ビールも爽やか、マンゴージュースもおいしかった。何より、ほとんど全員が参加してくれ、楽しいひとときを過ごせたことに感謝。毎年、グループの授業は、人数は多いものの、演習部分が多いこともあって、メンバー間の交流が深まり、私にとっても楽しい授業のひとつである。そして、いつも不思議に思うのだけど、年齢に関わらず(つまり、自分より年輩の人であってさえ)、自分にとって、学生たちはかわいい存在なのだ。

7月12日(火) 森崎

 今年は散歩する時間もなく、毎日毎日あちらこちらへ仕事で飛び回っているが、田んぼ好きな私にはそれが今、とても残念だ。例年、散歩しながら田を耕す作業に入る頃からワクワクし、水入れが始まり、何日もかけてじわじわ田に水が入っていくのを見るのも楽しみなのに、今年はとうとう田植えさえ見れないまま梅雨を迎えてしまったのだから。

 しかし、電車での移動の時には必ずドア付近に立ち、せめて車内からでもと、早苗の成長を楽しみ、喜んでいる。一面に、敷き詰められた柔らかな緑、赤ちゃんだった苗も少ししっかりしだした。あのなんとも言えない輝くばかりの緑色には目ばかりではなくも心も奪われてしまうのだ。あ〜田んぼの中を歩きたい!しかし、こんなにも田んぼを、稲を、いとおしく思うのはいったいなぜだろう?

7月10日(日) 森崎

 女性ライフサイクル研究所15周年記念シンポジウム「戦争・ジェンダー・トラウマ」が盛況のうちに終わった。梅雨空の中、それも明日からまた仕事が始まるという休日に、多くの方々にご参加いただいた。本当にありがとうございました!

 スタッフとなってまだ2年目のわたしは、今回受付を担当した。日ごろお世話になっている方々もお祝いの思いを込めて多数お越しくださったし、また、九州、鳥取、広島など遠方から来られた方もいらして驚いた。有難くうれしいことだ。

 そして15年間、丁寧に誠実にコツコツと仕事を続けてきたスタッフにも大きな拍手を送りたいと思った。お疲れ様でした。20周年に向けて、また歩んでいきましょう!!

7月10日(日) 津村

 今日は女性ライフサイクル研究所15周年記念シンポジウム「戦争・ジェンダー・トラウマ」の日。悪天候の中、たくさんのお客様がおいでくださった。本当にありがたいことだ。シンポジストの大越先生、内藤和美先生、中村正先生のそれぞれのご発言には、ただただ圧倒され、学ぶことが多いことを痛感した。シンポジウム終了後の交流会でも興味深いお話を伺えて、自分の不勉強にあらためて恥じ入りながらも、今後の課題について考える機会をいただき、本当にありがたかった。

 嬉しかったのは、日頃からお世話になっていて、支えてくださる方々のお顔があちこちに見えたことだ。多く方々の暖かいご支援のおかげで今日があるのだと思う。ひたすら感謝。

 そして、こんな大きなイベントが無事できたのも、個々のスタッフたちの頑張りがあったからだ。実習生やボランティアたちの尽力も大きい。仲間たちに感謝。

 そういえば私は久しぶりに日記を書いているけれど、ここのところ本当に迷路の中にいるような思いだったけれど、ふと思うのは、ギリシャ神話の女神・ヘスティアーのこと。『女はみんな女神』(ボーレン著・村本詔司+村本邦子訳、新水社)という本を私たちスタッフは昔から学び、大切にしてきた。ギリシャ神話の女神7人に見る女性の元型について書かれたこの書物の中で、「匿名性」を特徴とするこの女神は、ギリシャ神話のいかなる恋愛沙汰にも戦争にも何かの役割をとることなくきたので、最も知られていない女神だといわれている。

 実は私には、このヘスティアー的要素があまりない。そして最も今、育てなければならないと感じている部分だ。ヘスティアーは苦難の中でも決して心は貧しくならない。静かな静かな自己充足。自分にとって何が大切かをじっくりと内省する力。今の私には最も欠けているものなのだろう。ああ、育たなくては。そんなことまで考えた1日。くたびれた。でも感謝。

7月9日(土) 森崎

 連日、県内あちらこちらへ出向いて、地域でNPO(子どもへの暴力防止)の活動をしているが、最近わたしは、ようやくこの活動を自分の中で「仕事」と位置づけた。

 活動を始めた9年前は、子どもも小さく、「自分のやりたいことを、やりたい時に、やりたいだけするボランティア」という意識だったが、ここ数年、自分のやっていることはなんなのだろう?(ボランティアという言葉と自分の活動内容のギャップだったのだろう)と考えることがあり、忙しくなればなるほど、何かもやもやとしんどかった。思えばこの数年間で子どもを取り巻く状況は大きく変わり、社会の子どもの安全への関心が高まり、この活動への依頼が増え、期待され、責任が伴い、プライベートの時間も削らなければ対応できなくなってきていたのだ。

 しかし、不思議なもので「仕事」と自分の中で位置づけたことによって、自分に対しても、家族に対してもとてもすっきりした。ただ、残念なことに費やす時間、労力はまだまだ収入には見合わない。ここだけは、いまだに有料ボランティアの域を出ないのが悲しいが、活動を通じて子どもたちに接することで子どもの力を感じ、まだまだこの世の中捨てたもんじゃないな、とうれしいことにも出会え、なにより仲間にも恵まれ、時にはFLCのスタッフにも支えられ、この仕事に出会えた幸せを感じている。

7月7日(木) 村本

 今日は七夕、娘の誕生日。ゆうべは、零時になるのを待ち構えていたように、娘の携帯におめでとうメールが次々と入ってきた。今時は、こんなふうに誕生日を祝うのかと感心する。夫は海外出張、子どもらも私もそれぞれに忙しく、夕飯はバラバラなので、とりあえず、ケーキを買って帰り、3人揃って食べたのは、夜も十時半を回ってから。娘は「おいしい、おいしい」と満足していたが、息子は、柔道で折った前歯の治療が今だに続いており、今日は歯茎を切って、歯の根本を引っ張り出すという、切ったり縫ったりの、結構大変な手術だったらしく、「せっかくのケーキも味がわからない」とブツブツ。どちらかと言えば、あんまり冴えない誕生日だったが、この年頃では、友達に祝ってもらう方が嬉しいのだろう。それにしても、家族揃って食事する機会がめっきり減ったものだ。物足りないような、寂しいような。あと数年もすれば、二人とも出ていってしまうのだろう。子育ては、本当にあっという間だ。

7月4日(月) 森崎

 単身赴任中の夫からメールが来た。「今夜は本部長が来て駐在員と夕食会がある。しかし、所長にハメをはずさないでとくぎをさされた」と。何事も一生懸命に取り組む人だけに、夕食会でもハメをはずすくらいがんばってしまうのかと思うと笑ってしまった。しかし、その後がよかった「今夜は、ゆるゆるやる」。ほ〜いいじゃん!「ゆるゆるやる」という言葉。何かとっても気に入った!そうそう、ゆるゆるやってくれたまえ(笑)

7月4日(月) 村本

 考えなければならないことがたくさんありすぎて、頭の中が忙しく、破裂寸前。とにかくこのひと月を何とか乗り越えなくちゃと、文字通り、歯を食いしばって頑張っている。バリダンスの先生からは、いつも「顎を緩めるように」と注意されるのだが、つい先日、「お母さんほど(娘と一緒なので、皆からこう呼ばれている。慣れないので、最初はかなり戸惑ったが、今ではすっかり慣れた)歯を堅く食いしばっている人も珍しいけど、注意したら、自分の意志で即座に緩められる人も珍しい。お母さんの場合は、ちょっと気をつければ絶大な効果があるのだから、いつも意識して気をつけるように」と言われた。実に言い得て妙。実際、寝ている時に歯を食いしばりすぎて前の差し歯がしょっちゅうはずれるので、長い間マウスピースをはめて寝ていたほどだ。無意識に頑張りすぎてしまわないよう、忙しい時ほど、意識するようにしなくちゃ・・・。

7月3日(日) 村本

 今日は、日本臨床心理士会の第7回被害者支援全国研修だった。私はDV支援の分科会のシンポジストだったが、午前のシンポジウムを含め、興味深く刺激的な研修会で、結構、満足して帰ってきた。「こころのケア」のスタートとなった震災から10年、第1回目の研修会から、あっという間にもう7年・・・感慨深い思いがある。そして、何と言っても、年々、被害者支援について、より成熟した議論が可能になったなという手応えがあるし、少なくとも不愉快に感じることがなかった。「こころのケア」という概念についての批判や反省もしっかりと含まれていた。

 災害や事件は昔も今も、あちこちでひっきりなしに起こってきたが、そこに臨床心理士が関わっていく機会が格段に増えたため、心ある臨床家たちは、着実に現場から学び、より良い援助を目指して努力していることがよく伝わってきた。さすがに大きな組織で取り組んだ知恵の集大成は、個人レベルでの頑張りだけとは比べものにならない。また、新たな収穫として、伝統的には内向的だった心理士たちがコミュニティに出向くようになり、専門家としての社会性に目覚めつつあるようだ(まっ、自分もそのうちの一員だけど)。これには資格問題も絡んでいる。真空の面接室の中ではなく、自分たちも社会の土壌の上にいるということだ。

 冨永先生たちが兵庫の学校の先生たちと継続しているスマトラ沖地震への支援の取り組みについても若干報告があり、また今月に行かれるそうだが、今回は是非、直接、寄付金を持って行きたいとのことで(心だけでなく)、義援金の呼びかけまでされていた。こんな行動力が発揮されていることも励まされる(でも、募金箱が眼につかず、義援金を入れるのを忘れて帰ってきてしまった!冨永先生、ゴメンナサイ)。また、分科会では、専門家でもある被害者の話題提供があり、フロアからは、遠い過去の被害男性からの話題提供があり、専門家と当事者があたかも別人種のようなふりをしていた時代から、着実に一歩前進したことが感じられた。敬意を表したい。

 まだまだ課題は山積みである。でも、「臨床心理士」であることを嬉しく思った貴重な1日だった。