2005年5月 (スタッフの日記バックナンバー)

5月29日(日) 村本

今日は、司法臨床の集中講義第2日目。前半に当たる今回までが、司法の方からの講義で、次回から私の担当。だから、前回と今日は、基本的に学生に混じって、講義を受ける立場。時々、口を挟んでコメントさせてもらうが、司法と心理が交差する部分での論点がいくつか見えてきて、とても、エクサイティング。「司法は一義的」に改めて納得する。実際には、現実は多層であり、多義的であるというのが心理の側からの感触だが、社会という共通の土俵で紛争解決をはかろうとする時、多義ばかり言っていたのでは、問題解決に到らない。そして、人生には、納得がいかない部分が残っても、「エイヤッ!」と振り切って、先に進まざるを得ない時というのがある。そういう場合、法的援助は、なにがしかの役に立つだろう(「なにがしか」では怒られるかな?)。予想に反して、受講者数が多く、大学院の授業とは思えないほどで、議論したり、個別の意見を聞いたりする機会があまりないので、学生たちの反応がどんなものか、未知数の部分もあるが、受講動機は大変に高い印象である。あとの2回は、私の担当になるので、楽しみに、準備しよう。

5月29日(日) 津村

 久しぶりの日記だ。元気に仕事して、食べて寝ているのだが、このところもやもやしていたことに、光が射した感じがして、フランクルを手にとって読んでみた。ずしりと響くなあ。

 私は決して器が広くないし、成熟した人格ではないので、しっかり大人として地に足がつくまで、もうひと踏ん張り要る感じ。それでも働いて、微力ながら、元気でやれることをやってる私は、そんなに悪くもないのだろう。

 人間の自立には「精神的自立」「経済的自立」「身辺の自立」の3種類があるといわれるが、深谷和子氏によれば、「人のためにしてやれる能力」を自分の中に備えたときが、人間の完全な自立なのだとか。ふむふむ・・・・まだまだだな(笑)。

 自分自身の面倒もしっかり見つつ、他者のことにも暖かく目配りできるような大人を目指して、いっちょやってみるかな。

5月27日(金) 村本

 原稿書きを着実にやっている。この3月から、MTRRについての英語論文、日本語論文、アメリカ視察をもとにした「心理と司法の接点を求めて」、「女性のライフサイクルにおける子産み・子育て」、そして、今は「司法臨床」。お金に結びつかない仕事ばかりだが、精神的満足度は高い。やはり、自分にとって、文章を書いて表現することは、とても重要らしい。パソコンの前で、ふと見上げると、あら、3時間も経っていたなんていうことがしばしば。お陰で、肩首の凝りが再びひどいのだけど。書きたいことが、まだ次々ある。嬉しいことだ。

5月25日(水) 村本

 今夜も大学の講演会。帰り、JRの4人掛け座席で、仕事帰りのおじさんたち4人組と乗り合わせる。おじさん同士の会話を聞くという機会は日常にあまりないので(聞き耳を立てていたわけではないけど、大声でしゃべっているので、どうしても耳に入ってしまった)、何となく面白かった。内容は、一人のおじさんの娘さんの結婚が決まり、つい先日、相手が挨拶に来たという話。嫌なやつだったらどうしようと心配していたが、思った以上に好青年で安心した(皆もどうなったか気になっていたらしい)、身上調査をしてわかったことや(許容範囲)、本当は大阪市内の商売人が良かった(テリトリーに置いておけるから)・・・云々、それに対して、「それは良かったですねぇ」「いや、たとえ離れても娘の方がいつまでもあてになると言うじゃないですか」「商売人よりエリート銀行員の方が将来考えると安心ですよ」・・・などと、相づちを打ちながら、励ましたり慰めたり・・・、何だかほのぼのとした感じだった。「なんや〜、おじさんたちだって、ちゃんとコミュニケーションしてるわ〜」と妙に安心したりして(偏見持ってたかもな)。

5月24日(火) 村本

 今日は午後の授業の後、ニューヨーク在住のカメラマン、トシ・カザマさんの講演会に参加する。トシさんは、少年犯罪の死刑囚を撮り続け、世界中で講演活動をしている。講演会のチラシを見て、写真を媒体にして死刑問題を訴えるとは、何てパワフルなアイディアなんだと、その発想に感動して参加してみることにした。少年死刑囚の写真は、モノトーンで等身大に引き伸ばされてある。どこにでもいそうな、かわいらしい子どもたちばかりだ。ちょうど自分の子どもたちと同じくらいの年齢層だから、余計に胸が詰まる。アメリカでは、子どもたちも死刑になるのだとは知らなかった(この3月から18歳以上になったそうだ)。しかも、死刑になるのは、弁護士が雇えない貧困層で、冤罪も少なくないという。そうか、人々は、世の中の秩序を信じたいがために、生贄を必要とするんだと腑に落ちるものがある。私はもともと死刑反対派だが、「死刑に賛成であろうが、反対であろうが、そんなことは僕には全然興味がない。第1、死刑がなくなったからって、明日から犯罪がなくなるだろうか」と言う言葉は新鮮だった。彼が、主義主張を持って、この仕事をしているのではないこと、とにかく、ただひたすら、自分自身の感性を頼りに、つまり、写真を媒体にというよりは、自身を媒体にして行動していることが理解できた。また、死刑制度は自分たちが選んでいること、死刑執行者は自分たちの代表であり、死刑は自分たちが行っていることだというスタンスを取っていた。なるほど。自分は死刑に反対だし、死刑に関わっているのは自分とは無関係の人々、死刑に賛成でそれに関わっている人たちとは無縁だという考えがいかに傲慢なものかわかった。「愛は行動することだ」という。彼は、静かなアクティビストなのだ。生死の境界周辺で貴重な仕事をしているトシさんは、集合的なものを背負って、突き抜けているように見える。自分はあそこまではできない。でも、小さなことでも何かひとつ受け継いでいけるといいなと思った。

5月22日(日) 前村

 今年、約10年ぶりに学生になった。10年前も2回目の学生生活で、仕事と育児を両立しながら(ん?ホンマに両立できてたのかどうかは別として・・・)「地歴・公民」の教員免許を取得したが、今回は、「情報」の教員免許取得を目標としている。期限は一年間。とはいえ、科目履修生なので、11月上旬に実施の試験がラスト。そのため、日々、レポート作成と試験勉強に追われている。8月には、一週間ぶっ続けのスクーリング(対面学習)が待っている。噂では、このスクーリングこそが恐怖の6日間なのだとか。専用ソフトを使わずに動画を作成するとかしないとか・・・あな恐ろしや。

 それにしてもこれまでの10年間、教壇に立つ立場が続いていたので、いざ学び直すとなると、集中力もやる気も、なかなか付いて来ない。全く畑違いの学問履修とはいえ、一本目のレポート提出は、期限ギリギリ。今日の午前中に実施された試験も、たった一科目なのに、青息吐息。この先、まだまだコンピュータに関する専門知識が山積である事実に愕然としているこの頃だ。日々受験勉強に勤しんでいる我が教え子たちって、スゴイんだなぁ。

 でも、一度レポートと試験を体験して、若干ではあるが10年前の勘が戻ってきた(ように思う)。この勢いをかって、来月からは2教科ずつ挑戦していこう!(と、今は思っております)

5月22日(日) 村本

 最近は結構、元気にしていたが、ゆうべはどういうわけか、久しぶりにぐったりと疲れ、動けないほどだった。思い切って、夜の仕事はやめにして、早めに床についたが、今朝、眼を醒ますと、なんと11時!若い頃は、寝るのに困ることなどなく、何時間でも眠れていたが、ここ、数年は、どんなに疲れていても、そうそう長く寝られない、これも年齢のせいだろうかと思っていた。それが、最近、徐々に、朝寝ができるようになった。年齢のせいではなく、過労による緊張のせいだったのだろう。昨夏の「オーラの翳り」以来、回復のためにかなり努力してきたが、ようやく、今頃、過度の緊張が緩んできたようだ。嬉しいな。せっかくだから、今日は、あまり仕事をしないようにして、家の掃除などやってみた。夫には、「今日、誰か来るの?」と尋ねられてしまったが(掃除するのは、お客の時だけの情けない我が家・・・)、ちょっと人並みの気分(!?)。パワー回復のためか、最近はピアノの練習にも熱が戻ったし、良い兆候だ。

5月21日(土) 津村

 兵庫県多可郡黒田庄町へ。

 JRの脱線事故で迂回が必要なので、阪急・梅田駅から宝塚駅に向かい、JR福知山線に乗り継ぐ。阪急電車の振り替え輸送地点にあたる駅には、今もJRの腕章をつけた職員が何人も出ており、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」というアナウンスもひっきりなしに流れる。

 JR職員に対する乗客の暴言や暴力が今も続いていると新聞で読んだが、無表情で誘導に従って流れていく人々の態度は一様に無言、むしろ淡々としていてホッとした。少なくとも険悪な雰囲気は感じ取れない。

 さて、この町へ伺うのは3度目。今回は保育園の保護者向け講演会だが100名余りの保護者の方が来られ、熱心に耳を傾けてくださった。こちらのスタッフの熱意にはいつも頭が下がる。また阪急で迂回して大阪に戻る。

 朝早かったものだからJRの中で、うとうととまどろんでしまう。宝塚で阪急電車に乗り換えたら、今度は隣の人が正体なく眠りこけ、何度もこちらへもたれかかってこようとしては、ハッと姿勢をただし、また深いコックリコックリを繰り返す。うわー、よっぽど疲れてはるねんなあ。私もさっき、こんなだったのかと思うと、人知れず赤面した(笑)。

 定期券の駅名を買い間違えてしまい、自分で唖然としたのが3日前。昨日の帰り道に駅の定期券売り場に行き、いったん払い戻して買い直した。最近の私は本当にやばいかもしれない。しっかり睡眠をとろう。

5月19日(木) 津村

 突然ですが、足の指に力を入れて、5本の指をパッと開くことができますか?

 これができるのが私の数少ない自慢で、「グーチョキパー」もできれば、落とした物を親指と人差し指でつまんで、持ち上げることもできる。手先はともかく、私の足先は結構器用なのだ(笑)。

 家族の中で、この「足の指パッ!」が軽々とできるのは私ひとり。つまらんことだと思いながら、「こんなんできひんやろー」とイバってみせる私(情けな・・・・)。

 これができない夫は、1日中靴をはいていると足が疲れるといい、足の指を広げるゴム製のグッズを愛用している。その姿を見ていて、ふと日記でも自慢してみようと思いついた。くだらな〜いと笑ってください。お粗末様でしたー!

5月17日(火) 津村

 昨日の日記です。最近アップが遅くてすみません。

 あれこれと課題を抱えていて、余力がまったくないという感じ。でも、余力がないときに限って、エネルギーをとられることが起きるのは、なんという法則だっけ?

 食事と睡眠だけはきっちり確保。健康には気をつけ、とにかく目の前の課題をひとつひとつこなすしかない。

 食べ物はおいしいし、眠れないことはないから(というより、クタクタで、日付が変わるまで起きていられない・・・健康じゃん・・笑)、まあ、大丈夫かな(笑)。クタクタな一方、40代って意外と元気に過ごせるんだな、働けるんだなと思ったりしている。

5月17日(火) 村本

 これも大学の同僚間で話題になった漫画『夕凪の街・桜の国』(こうの史代)を借りて読んだ。一見、それらしくないが、広島の原爆を扱ったもの。噂には聞いていたが、あまりに素晴らしい作品で唸ってしまう。ここ数年、ずっと、日本の戦争とトラウマについて考え続けてきたが、広島について私なりに見えてきたことが、きちんと漫画で表現されていた。ひとことで言ってしまうと(漫画家である団さんには、「あんたの理解は直線的すぎる」と言われてしまったが・・・)、「60年、3世代を経て、ようやく語り始めることのできる」重みである。それを、ほわ〜っと漫画で表現している凄さ。昨年、広島・長崎を一緒に回ったメアリー・ハーベイさん(その体験は、年報の14号に掲載されている)に、「こんな作品が生まれているよ」ということを是非、紹介したいなぁと思った。わずか800円、すぐに読んでしまえるので、みなさんも、是非、読んでみてください。(私も自分で持っておこうと注文しました。)

5月15日(日) 津村

 村本の日記を読んで・・・って、直接話せよって感じだろうが、お互いあちこち飛び回り、会う機会がしょっちゅうある訳ではないのだ。会えたらそれは貴重な時間!村本がお昼を食べていようが大変そうだろうが、「何か確認しておくことはなかったか?」とあれこれ考えて、「ちょっといい?」と、つかまえる(笑)。

 過去には隣の整骨院で施術してもらいながら話したりすることもあったりして、スタッフのお兄さんたちに、どんな仕事場やと思われてるだろうか(笑)。

 で、話は戻って、確かに村本は時間に厳しい。しかし私も時間には厳しい人間なのだ。たぶん村本も知っていると思うが、私は絶対に遅刻しない、早め早めの行動を心がけるタイプなのだ。寝坊して青ざめたなどという経験はない。若い頃から、親に起こされなくてもきちんと起きていた(たった一度、高校生の頃、親子で寝坊して青ざめた体験を覚えているくらいかな。父親が車で駅まで送ってくれて「遅刻でも、クヨクヨしないで行きなさい」と慰めたほど、私は遅れない子だった・・・笑)。

 良くないのはスケジュールを詰め込まざるを得ない上に(朝と昼の講演の移動がちょっとギリギリということが日常茶飯事・・・)、根っからドンくさいので、乗り継ぎをミスしたりして、時に困ることがあるのだ(涙)。それも視野に入れて行動せねばいかんね。気をつけよう〜。最近の私は特に、どうにもゆとりがなさすぎる。反省、反省。

5月15日(日) 村本

 今日から、立命館で、「司法臨床」の集中講義(各週の日曜まる1日×4)。この授業は、結構楽しみにしていたし、今日は、自分にまったく責任がない日なので、ウキウキ・ヒラヒラ(服装を表す形容)出かける。前半2回は弁護士の段林先生の担当なので法学寄りだったが、考えるべきポイントがクリアになって、おもしろかった。予想外に人気で、大学院の授業にしては人数が多く、講義スタイルになってしまったので、あまり議論し合うという雰囲気ではないが、少しずつでも、フロア同士(弁護士の卵とカウンセラーの卵)のコミュニケーションがはかれると良い。私たちの時代は、学ぶ機会もなかったし、試行錯誤で遠回りもしてきたけど、こうやって一緒に学んだ人たちが、将来、どこかで良い連携のもとに、被害者支援を展開してくれるんじゃないかと楽しみだ。

 ところで、津村の日記を読んで。「私はいつも遅れを視野に入れて、行動してるぞ〜〜〜〜!」と得意げに叫んでみたくなった。もともとJRは、事故でしょっちゅう遅れるものと認識しているし、飛行機も、何かあれば、1〜2時間遅れるのは普通だと思っている。いざとなったら、「交通機関のせいで」の言い訳で遅れてもいいかと思う時には(通常、人は、この言い訳に抵抗しない)、ちょうどに行くけど、まったく初めてで緊張を要するところや、何があってもポカしたくないなと思うようなところへ行く時は、1時間早めに行って、近くの喫茶店で準備などする。田舎の方なんかだと、時々、受講生と一緒になることもある(と言っても事前なので、もしかして?なんて思いながら、後で確認できる)。そうやって作ったコーヒータイムは、私にとって、天から授かった「ゆとりのひととき」のようなもの(大げさか!?)。それにしても、次々と明らかになるJRや日航機の安全管理のずさんさには、ある程度、覚悟している者も改めてあきれさせられる。今や、いったい、何を信頼できるのか?

5月14日(土) 津村

 アップが日曜日になったが、これは土曜日の日記です(笑)。

 ちょっと前に、JR西日本の会見における、記者の不遜な態度について書いたけれど、週刊誌ネタになり、社名暴露まであり、騒ぎになってきたそうだ。私が購読している新聞社だったとのこと、新聞にお詫びと釈明のコメントが大きめに出ていた。

 週刊誌の取材は必ずしも正確ではないことを指摘しつつも、あるべき冷静さを欠いた対応を社員が行ったことについては深く恥じ入り、今後善処するという内容だった。

 それでもこの新聞社が言うように、「全体的に詰問口調」という雰囲気はテレビからも感じ取れたし、1社だけの問題でもないのだろう。

 記者のあまりに感情的な態度が不快で、この問題には関心を持っていたが、なぜ、気になっていたのか。それは、被害者とその関係者以外の第三者である誰が大上段からJR西日本を責められるのか?「無事故は当然、しかしダイヤは乱れさせるな」というメッセージを乗客である自分が送っていたという思いがあるからかもしれない。

 私は仕事柄、電車での移動を繰り返しているが、基本的に「電車のダイヤは乱れないもの」という前提に基づいて動いており、遅れが生じようものなら内心イライラして時計とにらめっこしている。何かの故障や事故で不通ともなれば、悲壮な気持ちで駅員に状況を尋ねたりする。講演前に、電車の事故による足止めをくらったことは一度や二度ではないが、その度に心臓に水をぶっかけられたようになり、ひやひやしている。

 「車とは違い、電車は安全で時間も正確」、それは私たちに共通した認識だ。数分の遅れにも苛立つような現代人の奢りが自分自身の中にも息づいていることを感じるし、それが安全より効率優先に拍車をかけてしまったのではないかと思えてならない。自分自身も電鉄会社を追いつめる側に無自覚に立っていたのだろう。痛みを感じるし、無関係なこととは思えない。だから気になってしまうのだろうか。

 ただし、安全最優先という大前提がこの会社にはかなり疎かだったことも現実問題らしい。他の電鉄会社には、JRが使う「回復運転」(遅れを取り戻すためにスピードを上げること)という言葉すらないのだという。JR西日本には猛省と誠実な保障、改革を何より期待したい。

 この路線を利用して出かけるはずだった講演の依頼先から次々と、迂回指示のメールが届く。あの事故の影響での小さなスケジュールの乱れなど何のその。人生そのものが狂ってしまった方たちのご冥福とご回復を祈るばかりだ。

 明日も仕事。また電車で移動だ。早め早めの行動を心がけよう。

5月14日(土) 村本

 いつもの面接の後、NPOの面会支援プロジェクトのミーティング。今日は、当事者をお招きして、DVがある場合の面会支援のニーズを聴くという回だった。面会支援プロジェクトは、最初、一般離婚家庭の親子面会支援を考えてスタートしたのだが、途中、DVがらみの面会支援への期待があちこちから寄せられ、正直、戸惑い、常に、自分たちのスタンスを問いながらミーティングを重ねてきた。暴力があるケースで親子の面会を勧めるのが良いとは、単純に思えなかったからだ。アメリカで面会支援が普及している背景には、別れても親子は会うべきだという前提がある。面会支援とともに、この前提が、そのまま輸入されることには疑問を感じていた。今日、当事者の話を聴いてわかったことは、親子だからと言って必ずしも会わなければならないわけではないというメッセージを発しながらも、基本的には子どもの意思が尊重される形で、少なくとも子どもが会いたいと思った時に、もしくは、現実のさまざまな条件の中で会う必要性が生じた時に、利用できる面会支援システムの確立を目指すべきだということである。そして、子ども主体の親子面会が保証されるような親教育、親支援のサービスが必須である。アメリカからそっくりそのまま輸入するのでなく、日本の土壌にあった形で、子どもの権利を保障できるような支援体制を整えることができたらいいのだ。DV家庭と言っても多種多様。ひとくくりに何が良く何が悪いと言うこともできない。個別のニーズにあった柔軟なシステムが必要だ。またひとつ、今日はスッキリした。

5月14日(土) 津村

 朝から日記というのもナンだが、ここ2日くらい、ものすごい勢いで仕事をしていて、息つく暇がなく、日記も書けなかった。私のばたばたのせいで、村本の予定も変更を余儀なくされ、恐縮至極。会社設立時の恐ろしいばたばたを彷彿とさせるものだった。心残りな部分もありつつ、仕上げは終わった。力不足ながらも、ちょっとは頑張ったかな。

 ホッとする間もなく、締切の迫っていた原稿を書く。娘がひょいと部屋に入ってきて、「食べる?」と生八ツ橋を差し入れてくれた。「おっ、これはどうしたん?」と聞くと、嵐山に遠足に行った彼氏のお土産なんだそうだ。娘が試験前なので、「勉強したいから」と、玄関で帰されたらしい(なぜか試験前になると、普段のダラダラはどこへやら、娘はストイックになるのだ)。生八ツ橋、おいしかったよ。

 原稿を書き上げ、ひと仕事終えた安堵感で良い気分になり、ベッドに入った。昨夜はよく眠ったけれど、「まだ残っている原稿が何本あるか?講演の準備もしなくては」と、チリチリと頭が休まらないことが多く、いかんいかん。メリハリをつけることが、もっと上手になりたいものだ。

 今日も元気だし、朝から食欲もりもり。さあ、始動だ。

5月13日(金) 村本

 今日はオフの予定だったが、結局、気になる仕事から目を離せず、1日仕事に追われてしまった。最近は、気持ちに余裕を持って仕事ができるよう大変な努力をしてきたし、それなりに成功してきたが、ここ2〜3日、久しぶりに、神経細胞全開状態で過ごしてしまった。こうなると、まったく家族の姿は眼に入らなくなってしまう。やばい、やばい。それでも、完璧主義と責任感の塊になってしまわないよう、相当に努力した。週末までに片づけなければならない面倒な仕事がひとつ片づいたので、気分的にはホッ。週末はハード・スケジュールの上、片づけなければならない雑務が複数残っているので、まだまだ気を抜けない。ゆとりを持ちつつ、楽しみながら主体的に働く。今年は、理想的なワーキング・スタイルを確立するべく頑張るのだ!

5月10日(火) 村本

 今日はNPOアドボケーター・プロジェクトのミーティング。このプロジェクトも、勉強を重ねるにつれ、だんだんと企画が練られてきて、今後の展開が楽しみ。それに、いつも、ミーティングの締めはメンバーの一人がリラクセーションをやってくれる。グループのみんなとユラユラ、トントン・・・とやることが、とっても愉快で心軽やかな気分にしてくれる。仲間がいるっていいなぁと・・・。ところが、家に帰ると、息子が柔道で前歯を折ったと、まだ止血が必要な状態でかなり悲惨な顔をしていた。なんだか、可哀想でたまらない。今や骨折は慣れっこなので、「しばらく痛かろうが、そのうち治るさ」と思えるが、大人の歯はもう生えてこないもんね・・・。まっ、私も虫歯で前歯が一本ないけど普通に生活しているし、何とかなるか。それにしても、スポーツに怪我はつきものとは言え、修復可能な怪我に留めてくれと祈るばかりだ。

5月9日(月) 津村

 1日遅れの母の日のプレゼントということで、レストランでディナーをご馳走してくれるという娘。仕事帰りに喜んで出かけたが、夫も一緒で彼氏も一緒・・・ん?これは初顔合わせ?

 それにしても思春期の男の子の食欲というのは気持ちが良いものだ(娘よりひとつ年上の高校3年生で178cmの長身、「1日何食?」と聞いたら、「1日中食べてます」と言っていたが、すらりと細身)。「丼ご飯なんてペロリ?」と聞いたら、「はい」だって。すごいねー。

 おいしいディナーをご馳走になって、気分も上々。さあまた明日から頑張ろうー。

5月8日(日) 村本

 今日は母の日だったらしい。驚くべきことに、子どもたち2人からプレゼントをもらった!娘からはかわいいクロスのペンダント、息子からはピンクと赤のカーネーションの花束。うっれし〜い!私は子どもの頃から、家族の中で唯一、必ずプレゼントする人だった。他の人たちは気が向いた時だけしかやらないので、もらう側としてはたまにという感じ。だんだん馬鹿らしくなってきて、ここ十年くらいは、必ずあげるというのもすっかりやめ、気が向いた時だけになった。そう言えば、私は母の日のプレゼントしてないな・・・。

5月7日(土) 津村

 今日もばたばたの1日。高槻市に行った後、守口市に行くため、阪急電車からモノレールに乗り継ぐ。しかし私は高所恐怖症。ホームにいるだけで、ぞぞぞーっと腰が抜けそうな感じに襲われる。乗車してからも、なるべく外を見ないように本を読む。情けな〜い(笑)。

 ところでJR西日本の「不適切な事象」が出るわ出るわ状態だが、記者たちの偉そうな態度がとても気になる。決してJR西日本側の態度は納得できるものではないし、企業の隠蔽体質を何度も目の当たりにすれば、事の重大性を認識しているのかと腹立たしい気持ちにはなるのだろう。だが、それにして不愉快を通り越してみっともないと思うのでやめてほしい。それが誰の利益になっているというのだろう。

 確かに重大な事件だ。尊い人命が多数奪われている。けれどこれからあの会社にとって大切なのは、なぜこのような大惨事が起こったのか徹底的に検証し、誠心誠意償い、二度とこのような事故を起こさないように努力することだろう。記者が感情をむき出しにして徹底的に吊るし上げすることで、それは叶っていくものなのだろうか?

 「不適切な事象」を長時間責め立てる作業以外に聞いてほしいこともある。遺族や負傷者に対する対応は十分なものか(遺族に付き添う社員は本当によくやっていると遺族が認めるほどだと聞くが)。遺族会を結成したいという遺族の呼びかけに、誠意ある対応をしていないのはなぜなのか。被害を受けたマンションの住人とはどのように話し合い、どのように保障をしていくつもりなのか。・・・・・・真摯な反省は当然必要だろうが、いま彼らがなすべきことに力を注がせることが必要なのではないか。

5月7日(土) 村本

 今日は夕方から、大学で、アメリカ視察報告を中心としたリーガル・クリニックのシンポジウム。私は、「心理と司法との連携」について報告したが、結構、おもしろかった。参加者の大半が法学関係者だったようだが、学生が心理と司法をつなぐ質問をしてくれたので、それに応えることができたし、ロースクールの社会貢献についての質問に対して、横槍ながら、あれこれ考えていることを発言する機会も得て、自分としては結構満足。後の懇親会でも、私の発言に対して、反応して対話に来てくれた先生方がいて、知的にエクサイティングな晩だった。その後は、「女性と人権クリニック」に関わる先生方と弁護士さん(段林先生)と実践経験に基づいた連携の問題点や課題について議論した。専門家のための(司法のための、あるいは心理のための)援助ではなく、あくまでも、当事者のための援助、司法や心理の専門家はそのツールとして使ってもらうものというような発想の援助学を作っていくことを考えている。来週から、段林先生と共同で「司法臨床」という新しい科目をスタートさせる。試行錯誤だが、どんなものが作られていくのか、私自身、とても楽しみ。

5月6日(金) 村本

 キャンセルがあって、面接の合間に時間ができたので整骨院へ。念入りに座骨神経痛の治療をしてもらう。「相変わらず体を酷使していますね」と言われ、「え〜っ、今は、比較的、時間に余裕があるから、労っているつもりだったけど!?」とびっくり。肩と座骨周辺の筋肉が固まって慢性化してしまっているらしい。今月後半から徐々に忙しさが加速されていく予定だから、気をつけないと。それでも、連休中、ハイキングに行ったことは褒められて、疲れている時は動きたくないものだけど、思い切って自然の中に出かけると体も喜ぶし、そうやっての疲労はむしろ良いのだと。そうそう、心だって喜ぶよ〜。やっぱり、今年は、月1のハイキング+温泉を自分に義務づけることにしようっと!

5月5日(木) 村本

 連休中に仕上げるべき原稿1本は完成!もう1本もあと少し。今日、明日で何とか仕上がるだろう。でも、もうひとつ小さなものだけど、締めきり間近のものがあることに気づいた。これは週末回し。ひとつひとつ仕事が片づいていくのは気持ちいいものだ。

5月4日(水) 村本

 1日ぐらいは外へ出かけようと、今日は、るり渓まで行ってきた。去年から、連休は、おにぎりとお茶を持って、登山をするのが一番良い!と気に入っている。人も少ないし(GWの山には、ほんと、不思議なくらい人がいない)、お金もかからない。去年は北山だったが、今年は深山登山。登山というにはちょっと物足りなかったが(行ってみると、2時間程度のコースだった)、るり渓温泉は充実していて、なかなか良かった。また、近いうちに行きたいものだ。帰りのバスが4時を逃すと7時までなかったので、夕飯を済ませ、大阪へ戻るが、ふと、今日は水曜日であることに気づき、絶対見ようと思っていた"Shall We Dance〜"の最終に駆け込む。信じられないことに、今年に入ってから、まだ2本目の映画。オリジナルがとっても良かったから、ハリウッド版がどんな出来か気になっていた。さすがに日本版より格好良く出来上がっていた。配役も良い。ただし、最後は、アメリカらしく、カップル幻想が強化されていて、何となく嘘くささが残る。アメリカでは、秘密を作った男の方が、妻に罪悪感を持って謝らなければならないのだ。「何も悪いことをしていないのに、なぜ!?」と疑問を持ってしまった。最後、安易に、たくさんの幸せなカップルが出来上がってしまうところが、ハリウッドらしい。楽しませてもらったから、まぁ、よしとしよう。

5月4日(水) 津村

 10年以上、現在住む町にいる。地域の自治会にもわりと積極的に参加していたし、地元には馴染んでいるつもりだった。昨秋、同じ町内に引っ越したが、まったく景色が変わったような気がした。徒歩10分ほどの近距離だというのに。

 ここ最近は仕事帰りに毎日、違う道をうろうろしている。同じ町内ながら、駅からの帰り道の方向も以前とは違うのだ。ちなみに私は自転車に乗れないので(乗り物は3輪以上ないとダメ!)、暑かろうが寒かろうが、ひたすら歩く。

 すると、知らなかった景色に出会うこと、出会うこと。小さなフランス料理屋さん、おしゃれなパスタ&ケーキの店、クラシック音楽が流れる喫茶店、焼きたてパンを売るお店、可愛いお洒落な住宅など、眺めるだけでも楽しいのだ。私は何も知らなかったんだなあ〜としみじも思う。あれこれ探検して楽しむ気持ちを持ってこなかったのかもしれない。

 

運河沿いに住んでみて半年、川の表情が時間によって変わることも、はじめて知った。先週行われたNPOの「春の交流会」では、「学びだって仕事だって、わくわくすれば、遊びなんだ!」と驚いたのだが(私の「遊び」に対するイメージが貧困なのだと思う)、普段の生活における、自分自身の「遊び心のなさ」を思い知ったので、「なんでも面白がっちゃえー」というのが、ここのところの私のモットーになっている。今日も面白かったよ!

5月3日(火) 村本

 きのうは大学の授業日。M1の院生とオフィスアワー。最近、立て続けに、ガッツのある若い学生たちとの面談やメールのやり取りがあって、何だか、とてもエンパワーされる。若い子たちが元気だと嬉しい。それだけに、消極的で自信もなく今ひとつ元気のない学生たちをどうやって励まし、引っ張っていくかは大きな課題となっている。その後は、学内実習の担当で、学生と状況について少し話を聞き、ここでも、積極的にちょっと何かやってみようかなという気になる。晩の授業は、M1を対象としたクラスター紹介で、私たちの家族クラスターが担当日。各教員の自己紹介的な話とクラスター全体の紹介をする。自己紹介用に、思いついて、過去に書いた文章のタイトルをずらっと並べたリストを作ってみた。この20年あまり、どんなことを考えてきたのかが見えてくる。一方で、考えていたはずなのに、文字にならなかったものたちのことを思う(私は、基本的にそんなおかしな事を思う人間で、いつも、「見られ損ねた夢たちはどこに消えていくのだろう?」と考えている)。書いた物の大半は、依頼によるもので、ある種、時代の要請に適ったものだ。案外、多くのことを語らずに(書かずに)きてしまったかもしれないと改めて思う。私のこれからの課題だ。

 別れ際、話題の(クラスター教員3人の間で)「A」「A2」のDVDを中村さんから借り、ゆうべ遅くから今朝にかけて、観た。森達也がオウム真理教の信者たちを5年あまり追いかけたドキュメンタリー。ふたつ合わせると5時間ほどもある長いもので、1本目では、途中、ウトウトしてしまうが、なかなか面白い。脱会カウンセリングの是非が論じられているが(脱会カウンセリングもマインドコントロールに他ならないなど)、森達也のカメラが入ったことが信者たちに与えた力は大きいと思う。ちょうど、『24人のビリー・ミリガン』にダニエル・キイスが関わったように。専門的関わりではない人と人との出会いの力を感じさせられる。いろいろと考えさせられることが多かった。オウムの幹部たちは、事件のことを世間に詫びるかどうか迷っていた。事件発覚後とは違い、4年も経った頃には、信者たちは、オウムの起こしたことを事実として認めたようだ(彼らは、オウムに関するほとんどすべてのマスコミ情報、ワイドショーから週刊誌までチェックしていた)。ただし、今も残るほとんどの信者たちは、当時も今も事件にまったく関わっていなかったし、知らされてもいなかった。そんな自分たちにどんな種類の謝罪ができるのか釈然としない思いが残る状態で謝罪してよいのかどうかというのが迷いの理由だ。私たちにとっての戦後責任とちょうどパラレルな関係。結局、松本サリンでえん罪に問われた河野さんに説教され(彼自身は謝罪などいらない、ただし、信者仲間を守るために、どういう態度を取るのかはっきり決めるようにと)、離れを借りて、仲間どおしで話し合った上で、謝罪というセレモニーを成す。社会への責任について森達也に問いかけられ、答のない宙ぶらりんのまま、ドキュメンタリーは終わる。マスコミ報道のあり方についても、わかってはいたものの、改めて、その無責任体制がどんどん悪化していることをひしひしと感じさせられる。それは、とりもなおさず、私たちが、どんどん馬鹿になってきていることを意味する。この状況に、いったいどうしていけるのか?

5月2日(月) 津村

 連休中は、夕食材料の配達がお休み。昨夜もその前も夫が買い物をして夕食をこしらえたので、今日は私が仕事帰りに買い物に出た。

 近所の友人から、田舎でとれたという新鮮な葱をたくさんもらったので(強烈に新鮮な香り!私は葱の香りが大好き)、急に食べたくなったのは、うどん(笑)。天ぷらうどんの材料を買ったけれど、物足りないかな?

 あれこれ考え、不思議な取り合わせと思いつつ、豚肉のレモン焼きに決定。豚肉を一口大に切り、細切りの玉葱とあえて、レモンをたっぷりとしぼりかけ、少し時間を置く。これを炒めて、さっと醤油をかけて食べるだけで、抜群に美味しいのだ。私の自慢の「安くておいしいメニューレシピ」に入っている一品。

 娘は今日は、はじめて彼氏の両親に会い、和食をご馳走になるとかで夕食は要らない。夫とふたりきりだ。昨夜は娘から、私がうら若き頃、はじめて夫の両親に会ったとき、どんな気持ちだったかを聞かれた。20ン年前の話だ(笑)。ふふ、ドキドキしているのかな?そういや私もそうだったんだろうなあ。「大丈夫、おいしくご馳走になっといで!」と送り出した。

 私はといえば、本の原稿、論文・・・何ひとつきちんと進まなくて、いいかげん自己嫌悪にさいなまれているが、連休中にはどうにか目鼻をつけたいものだ。やるぞー!

5月1日(日) 村本

 連休中に仕上げなければならない原稿が2本あって、ひとつは6割、もうひとつは9割ほどできている。冴えまくりの中でここまで書いたものを完成させてしまわなければならないのだけど、残念ながら、冴えが過ぎ去ってしまい、今ひとつ冴えないまま、ダラダラとやっている。あんまり冴えないので、夫のDVD鑑賞の一部につきあわせてもらう(夫は趣味で、いつも家で、取り貯めたオーケストラ、オペラや古典劇やら何やらのDVDを楽しんでおり、娘からは、うちらがお笑いや歌を観るのと一緒やんと言われている)。今日のは小澤征爾のオーケストラ。私は詳しくないが、何でも、小澤の師、斉藤何とかいう人の弟子の同窓会的な演奏で、その斉藤さんという人が、非常にすぐれた教育者でもあり、優秀な音楽家を多く育てたということらしい。指揮者というのは、メンバーの力を最大限引き出し、全体として最高のものを創り出す能力に恵まれた人なのだろう。やっぱり、そういう才能というものがあるものだ。最近、自分の仕事の見直し作業をしているが、ようやく結論に近づいている。カウンセリングの仕事も、原稿書きも、講師も、そして、大学で教えることも、どれも好きで楽しんでいる仕事なのだ。唯一、好きでもないのにやってきたというのが、「長」としての仕事。チームで仕事をすることはどうやら嫌いではないが(昔は嫌いだと思っていたが)、どうしても、いろんなことがちょっと人よりできてしまうために、人の分の責任まで負うハメになることが多く、消耗してしまう。それで、ここ十年ほどは、あきらめて、その仕事を積極的に引き受けてきたのだが(最初の何年かはジタバタと逃げ隠れしていた)、やっぱり、人様のお世話をするのは、柄じゃないことがわかってきた。指揮者のような才能があって、それが好きで、全体を取りまとめ、メンバーの力を引き出し、大きなパワーにしていく役割を持った人はいて、それ自体は、素晴らしい仕事だと思う。でも、やっぱり、私の柄じゃないのだ。その人に合った仕事は、やればやるほどパワーを与えるようなものなんじゃないかと思う。私は本来、自己中なので、自分の面白いことにもっと没頭したいのだ。最近は、スタッフ研修も、お世話するというより、自分が面白いことをやるプロセスに人をつき合わせるという発想でやれないものかと模索している。ある程度までできてしまうからという理由でやってきた仕事は、どうしても動機が「責任」にあり、負担感が伴うのだ。しばらくは、「責任」の動機でないところから、その仕事もこなせないものかどうか試してみるつもり。