2004年10月 (スタッフの日記バックナンバー)

10月30日(土)

 今日はハードな1日だった。晩ご飯を食べ、「ブロンクス物語」を観る。『モラル・・・』の本に紹介されていたもの(著者は子どもたちにこのビデオを見せて善悪の判断について話し合うために使っているという)。考えさせられる暖かい映画だった。カルチャー(もっと正確に言えばサブ・カルチャー)によって共通したり、相矛盾したりする善悪の基準。ゴッド・ファーザーの世界と、堅気の庶民(ロバート・デ・ニーロがこちらを演じるところが面白い)、2人の父なる存在から受けとってきたメッセージを自分なりに再構成していくという思春期から青年期へと移行する息子の発達課題である(古い映画なので、当然のごとく、ここでは女は規範を表さない)。文化が交錯し、多様な基準のなかで、自分なりの価値観を築き上げていくのはなかなか大変だ。(村本邦子)

10月30日(土)

雨の土曜日。地震や台風の被災地の方はさぞ大変なことだろう。過労やストレスなどでの死亡も伝えられ、なんとも胸が痛む。さらなる人質事件も起こり、ニュースから目が離せなくなる。(津村 薫)

10月29日(金)

来週やる講座のレジュメ・資料づくりを3日がかりで終えた。講師が多くて忙しくなると、どうしてもやっつけ仕事になってしまうが、今年はかなり数をコントロールしたので、ひとつひとつにじっくりと取り組める。私は、本来、多くの仕事を効率よく片づけるより、少ない仕事を納得するまでやりたい方だ。原稿を書くにせよ、講師をするにせよ、もちろん内容にもよるが、基本的に、実際に使うものの3〜5倍の準備をすることを理想としている。そういった無駄が自分の栄養になると思うから。十分に準備ができていると、仕事も楽しみになる。現実には、なかなか理想どおりに運ばないけれど、うまくいくと、メンタルヘルスが向上し、自己評価が上がるのだ。私にとって、結果や出来よりプロセスが大切なのである。(村本邦子)

10月29日(金)

寝屋川市へ行く。遠足日和の天気、本当に遠足へ向かう幼稚園の園児たちと電車で乗り合わせた。先生から事前にしっかり注意されていたのだろう。友達同士で話すのもひそひそ声。電車が動いている時は手を後ろにまわし、足を踏ん張る「休め」の姿勢できちんと立とうと必死。なんだかいじらしくて可愛い。次の駅でドアが開き、乗り降りの邪魔にならないようにと先生方がとても気を配っている。でも乗り込んできた中年女性はたいして邪魔になっているとは思えない園児たちを見て、「アーもう」と小声で言い、先生にわかるように舌打ちをしてみせた。先生が「すみません」と謝る。車両を見渡すと、好意的な視線を送り、子どもたちを微笑ましく見ている姿が大半だったので安心したけれど、あの態度は不愉快。子どもにやさしくない社会に未来はないぞー。(津村 薫)

10月28日(木)

寝屋川市と住吉区へ。急に冷え込んできて、帰り道の電車の暖房にほっとする。風邪をひかないようにしないと。普段健康には無頓着にしていたが、昨年の娘の受験期を思い出す。「インフルエンザの予防注射は必ず受けるように」と塾からお達しがあり、家族全員風邪をひかないように、うがいと手洗いを欠かさずした(普段は欠かしているということよね・・ぷぷぷ)。そろそろ風邪の季節。気をつけなくては。(津村 薫)

10月27日(水)

午前中は川西市。夕方は南河内郡へ。毎朝ひとつ講演をすませてダッシュで事務所に戻り、レジュメ作成を慌しく済ませてまた夕方、次の講師先に向かうというハシゴの毎日。この時の私はいつもより、とてもおいしいものを食べることにしている。スタミナをつけて忙しい毎日を元気で乗り切ろうという訳だ。ようやく最近食欲も戻ってきたので、もりもり食べている。うう・・運動せねば!(津村 薫)

10月27日(水)

朝から「モーターサイクル・ダイアリーズ」へ。若者2人がおんぼろバイクで南米大陸を縦断するという話。私は、単純に南米の自然と冒険に心惹かれただけで、革命家チェ・ゲバラという神話的人物についてはまったく知らずに観たのであるが、久しぶりに素晴らしい映画に出会ったという感じ。こんな旅ができる男たちが羨ましい(私が男を羨ましいと思うのは、ヒッチハイクの旅だけなのだ。もちろん、そういう旅をする女たちもいるが、どうしても、その手のリスクに飛び込みたくないという防衛心が働く)。富裕階級の若者が旅をし、さまざまな人と出会い、体験を重ねていくなかで、社会に眼が開かれ成長していく様は見事だ。彼らにとって、これは、一種のイニシエーションの旅なのである。とくに、喘息持ちのゲバラが真っ暗な中、誰も泳ぎ切った者はないというアマゾン川を泳いで渡り、ハンセン病患者の元へ行き着くところは圧巻。それにしても、彼の親は偉い。この無謀な旅を実行するに当たって、母親は、眼を細めて賛成し、最初は、医学部をきちんと卒業して医者になれと説教していた父親も、見送りに際して、「お前が羨ましいよ。私もお前の年なら、そのバイクにまたがっていたのに」と応援するのである。自分がゲバラなら平気で出発したろうと思うが、ゲバラの母親なら出発を応援できたろうかと考え込んでしまう。いつ、どこでのたれ死んでも不思議はない旅なのだ。きっと、そんな親の柔な根性が子どもをダメにするのだろう。私も、もっとタフにならなければいけないのかもしれない。勇気をくれる良い映画だった。そのあと、梅田近くのお洒落なカフェ・レストランで、卒業生たちと仕事の打ち合わせ、3時間も話し込んでしまった。寒かったけど、暖かい良い1日だった。(村本邦子)

10月27日(水)

数年ぶりに、昔、おはなし会をしていた仲間とお茶の時間を楽しんだ。みんな少しだけ私より年上のベテランだったが、新米だった私に、「私がわたしである、そのことがすばらしい」ということを、活動を通じて感じさせてくれた人たちだ。今日も、あの頃のような居心地のいい、ふんわり包まれるような時間だった。しかし!あろうことか、その中の数人のメンバーが「冬ソナ」にハマっていると言う。その話し振りは、まるで少女のようにはしゃいで、お騒ぎ。かつて在籍していた5年間に見たことのない信じられない姿だ。「冬ソナブーム」はこんなところにまで・・・とちょっとびっくり。でも、とってもかわいい!そんな中、その波に乗れないという人が、「『どうしてあなたは冬ソナにハマるのか?』っていう講座やってよ。どんな人がハマりやすいのか、ハマらないのか分析して欲しいわ〜」って。内部でもこの変化にびっくりし、戸惑っていてるようだなぁ(笑)。本当に、一生大事にしたい人たちだ。私のこと忘れんといてね!(森崎和代)

10月26日(火)

大学で健康診断。今年から「疲労蓄積度チェック」というのが導入され、「職場のストレスマネジメント」の冊子が配られた。労働条件との相関なども分析するようだ。幸い、現時点では、「疲労度ゼロ」だった。この夏、ずっとバテていたので、ずいぶん仕事を減らし、ようやく回復したが、気づいてみると、だんだん忙しい生活に戻りつつある。年明けに差異件したら、疲労度がアップしていることだろう。例年、秋はもっとも忙しい時期なので、仕方がないのかもしれないが、ゆとりの生活を維持するのはなかなか難しい。(村本邦子)

10月26日(火)

午前中は寝屋川市。夕方は宝塚市へ。隣家の友人に昨日「明日は宝塚に行く」と話したら、「テーマは美しいラインダンスとか、そういうこと?」とからかわれ大笑いしていたのだが、先方の差し出された名刺には宝塚歌劇団のステージの写真が!あでやか〜!一度も舞台を見たことはないが、あまりに華麗でうっとりするのだそうだ。講演終了後、大きな花束をもらってびっくり!15年FLCにいるけれど、これは初体験。音楽家かなんぞになった気がした(すぐソノ気になる私)。(津村 薫)

10月26日(火)

豊中市の幼稚園で講師。演題は「絵本を通して楽しく子育て」。雨の中、中には赤ちゃん連れの人もいて、30人ほどのお母さんたちが集まってくださった。お母さんが来ていたからだろう、保育園の先生と一緒に(幼稚園と保育所が同じ園舎にある)2人の子どもたちも参加してくれていた。話の合間に、3冊絵本を読んだ。絵本を読み始めると、1冊目は、おそるおそる先生に連れられて前に来た子どもたち。2冊目、3冊目は、後ろのおもちゃのところから走って前に来て立ったまま、じっと絵本に見入っている。大声で笑ったり、言葉をまねて発してみたり・・・絵本を全身で楽しんでいる子どもたち。その様子を見て、会場のお母さんたちからも笑い声が・・・会場が和む。短いけれどゆったりとした時が流れる。今日、絵本の楽しさをお母さんたちに伝えてくれたのは、この子どもたちだった。幸せな時間をありがとう!(森崎和代)

10月25日(月)

東大阪市へ行く。講演会場の幼稚園の園庭を歩くと、とても甘い良いにおいがするのだ。何だろう?くんくん探していたら、りんごの木が!丸い可愛いりんごがたくさん実をつけているのだ。何とも幸せなにおいだこと。実は私は幼稚園に行くのが大好き。手作りの絵や工作がたくさん貼られていて、眺めるだけで楽しいのだ。手先が不器用な私には羨ましい限り。(津村 薫)

10月24日(日)

金・土・日と臨床動作法学会で博多へ行っていた。毎日、朝から晩までびっしりとスケジュールが詰まっていて、かなり集中的に勉強した三日だった。ここ数年、私は臨床動作法に注目している。言葉でのカウンセリングが合う人たちはひとつの層を成し(うちに来られる方はそういう方々が多いが)、そうでない層に働きかける難しさを感じてきた(とくにコミュニティ・ワークにおいて)。そういう点で、体に働きかけるというのは人を選ばないアプローチだと思う。とくに癒しブームでマッサージが繁盛している昨今、お手軽な癒しを買うより、能動的リラクセーションと人生への主体的構えが強調されることは重要ではないか。学会発表でも、ADHD、アスペルガーの子どもたち、高齢者、女性外来での不定愁訴、その他、適用範囲が広く、と言うか、健康な人を含め、人にとって姿勢や動作がまったく共通の基盤であるから、そこに働きかけるのに対象を選ばないと再確認した(もちろん、固有の問題に関する理解は必要だろう)。それにしても、これを職人技のレベルにまで身につけるには、日常の研鑽を積みながら、5年は毎年学会に通って、発表もシンポジウムも研修も、すべて体験する必要がありそう。
 研修では自分たちが動作法をやったり、やられたりするのであるが、一日目、自分の背中上半分があまりに堅く、「こんな肩の人はめったといない」と言われて、ショック。夏休みには、アボリジニのヒーラーから「オーラが翳っている」と言われ、夏は2ヶ月毎日整骨院に通い、少し良くなったなぁと感じていた矢先、「う〜ん、まだまだか」とがっくり。かつては、美容院へ行くたびに、「肩フニャフニャですね。全然凝ってないですね〜」といつも感心されていたというのに・・・。でも、二日目の膝立、軸立てはとっても上手(!)にやることができて、自信回復。そして、タテ系をうまくやれた結果、何故か背中上半分も緩んだようだ。たぶん、座った姿勢だと、どうしてもパソコンに向かっているおかしな力の入れ具合が癖になっているのだろう。
 スケジュール的に遊びに行く時間はなかったが、ちゃんぽんと刺身を食べ、温泉へ行く(と言っても、遠出できないので、「万葉の湯」という湯布院と武雄から毎日お湯を運んでいるという市内のお風呂)というおきまりのコースはこなした。ついでに、駅へ戻る途中、学会で仲良くなった人から教えてもらった福岡にしかないというかわいいセーターの店に寄って、自分のおみやげを買った。学会でいろんな人と知り合い、仲良くなったのも楽しかったな。(村本邦子)

10月23日(土)

茨木市に講師に行く。子育て支援がテーマだったが、子育てボランティアの方々、子育て中のお母さんたちがたくさん集まってくださった。皆の熱心な思いが伝わってくることが嬉しい。さて夜・・・新潟でも大災害が起きている。阪神淡路大震災が思い起こされるテレビ映像。住民の方々がどんな思いで一夜を過ごされようとしているのか、胸が詰まるような思いがする。苛酷な現実の前に言葉を失う。(津村 薫)

10月22日(金)

台風の影響で、野菜の値上がりがすごい。キャベツが1玉500円以上していたり、白菜も品物がないので小さいものをさらに1/4にして売っている。困った!おなべのおいしい季節なのに・・・。ご近所でも、顔を合わすとこの話。しかし、定番味噌煮込みうどんの季節でもある。今回のように葉物が高騰している時にもお役立ちメニューだ。時間のないとき、野菜不足を感じる時、わたしは冬場良くこれを作る。材料は豚肉ときのこ類、根菜(大根・にんじん・ごぼう・小芋・たまねぎなど)を中心に何でも良い。あれば、うすあげ、わかめ、ちくわ、こんにゃくなども入れる。いわば超実だくさんの豚汁。これをしょうゆとお砂糖を隠し味に濃い目の味噌汁に仕立てる。忘れてならないのは、しょうがのすりおろし!これをたっぷりいれる。後はうどんを入れて煮込み、青ねぎを散らして出来上がり。ほかほか温まり、野菜ときのこのうまみがいっぱいで、子どもにも人気がある。どんどん切ってはおなべに入れるだけ。お手軽なのに栄養満点でおいしい。後片付けも簡単。なにより、私が一番うれしい!(森崎和代)

10月22日(金)

今度の日曜に予定されていたK町の子育てフェスティバルの基調講演とシンポジウムのコーディネーターという仕事は、イベント中止の一報が入った。役所は全員体制で町の復旧作業に追われているとのこと。せっかく予定を空けていただいたのにと先方はひたすら恐縮しておられたが、事情が事情なだけに、本当にお気の毒なことと思う。心からお見舞い申し上げたい。この次、開催にこぎつけられた時にはご一緒しましょうということで電話を切った。1日も早く、住民の方の安心できる暮らしが確立されるよう祈りたい。(津村 薫)

10月20日(水)

暴風警報のなか、「モンスター」へ(お陰で帰りは悲惨だった・・・)。実話と言うが、胸の痛む話。彼女は、どこでどんなふうに道を立て直すことが可能だったのだろうか?最初の殺人は正当防衛だったはずだ。そこで自主したとして、その後、彼女が「クリーン」に生きていく道はあったのだろうか?売春は2度としないと決めて就職活動をしている時、親切な人に出会えていたら?買春をする男にも、卑劣な人もいれば、ごく普通の心を持ち合わせている人もいる。まったく善意の人もあったが、善意から彼女に関わったがために殺されてしまった。やるせない。そういうことって、実際あるものだけど。人は、いったん悪事に手を染め始めると、良心の痛みを封じるために、さらに悪事を重ねていく。それにしてもである、サラ(だったかな?)が状況を悪くすることに加担したことは間違いない(彼女も巻き込まれた被害者だったと言うのは簡単だけど)。彼女の方は、この後、どう生きていくつもりだろう。殺された男たちの家族や友人たちは?ただ1人、リーを理解し、助けようとするトムは、どうやら、戦争で残虐行為に関わっていたという過去を秘めているらしい。「あんたは罪悪感に苦しんでいるのだ。戦争も一緒だ。あんたに選択肢はなかった。生きるためには仕方なかったのだ」と言葉をかける。そう、戦争も、平和時の裏の世界も、表の世界とはまったく別個の論理で動いている。そして、表の世界の人々は、特権的立場から、裏の人々を裁き見下す。世界はつながっているはずなのに。(村本邦子)

10月20日(水)

台風のため、川西市の講師が延期に。こんなことは15年仕事をしてきて初めての体験。そのうち大阪全域に大雨暴風洪水波浪とすべての警報が発令されて、早めに自宅に。本当に今年多いなあ。もう次の台風まできているそうで、本当に慌しいことだ。そうそう、私も方向音痴。自己中なのね、納得(笑)。(津村 薫)

10月20日(水)

超大型の台風が来た。今年、日本に上陸するのはこれで10個目らしい。お陰で、どこかに出かけるとき、雨になったり、台風に遭遇したりということをほとんどの人が経験している事だろう。それなのに、自分が出かけるときはいつも雨だとか、又台風か、と思ったりする。実際わたしも一時は、自他共に認める「嵐を呼ぶ女」だった。しかし、あまり人からも言われるものだから、「そんなん、私の知ったことじゃない!」と考えを変えた。では、何が「晴れ女」をつくるのかというと、雨が降る日は気にせず、お天気になったら「私のお陰!」と思う脳天気な性格が「晴れ女」を作るのだとか。方向音痴も「自己中」の証拠らしい。ふむふむ・・・。そういえば、わたしはしっかり方向音痴だ。その上、自分を「福の神」だと思っている。私が行くところ気がつけば後から人がたくさん入ってくる、私がいれば仕事の依頼が増え繁盛する、「私のお陰!」と。これは学生時代、バイト先の所長から、「あなたが来る日はお客さんが多い」と言われたことがあるからなのだが、「そうなんだ。福の神なんだ!」とそれ以来、そう思い続けている(笑)。あきれるほど自己中で、脳天気な自分の性格に改めて笑ってしまった。(森崎和代)

10月19日(火)

奈良へ講師に行く。台風が近づいているが、中間試験前の娘は学校が休みになり、試験が延期されることを恐れている。「日曜挟んだら、もっとゆっくり勉強できて得じゃん?」と聞いたら、「こんな大変な毎日が延期された日にゃかなわない」と。なるほどなー。この子は試験前になると血相を変えるのだが、毎日コツコツやればいいのにと喉まで出掛かるが、昔の私も毎日コツコツなんてやってなかったのでやめとく(笑)。(津村 薫)

10月19日(火)

朝、1時間ほど時間ができたので、仕事をせず、面接前の瞑想タイムに当てることにする。ライトダウンし、アロマを焚いて、揺り椅子に座って、好きな音楽を聴く。今日はショパンのワルツ集。軽やかさと郷愁、切なさと高揚、ちょっとした異空間。こうすると、心が澄み、落ち着いて、より統合された状態で面接にのぞむことができるのだ。(村本邦子)

10月18日(月)

今日は大学の日。学部の精神分析の授業では、フロイトの「ヒステリー研究」を取り上げる。休日振替授業だったおととい、ヒッチコックの「めまい」を観せた。今日はその感想を含めミニレポートを書いてもらったが、少なくとも書いてくれた学生たちの評判は良かったようだ。次の2回は「夢判断」を取り上げ、「シックスセンス」を観せる予定。精神分析のアイディアがどのように現代文化に影響を与えているのか、理解と批判的視点を養って欲しいと思っている。晩の大学院のゼミは、いつものように、学生の発表を通じて、またひとつ、新しい世界について学んだ。学生たちには本当に勉強させてもらっている。(村本邦子)

10月18日(月)

今朝、パソコンに電源を入れようとしたら、画面は真っ暗!再起動しても何をしても無反応。どよ〜んと暗い気持ちでメーカーに電話してサポートを受けたが、「これはもう工場に修理に出してもらうしかありませんね」と言われて、頭は真っ白に。諦めきれずにあれこれと試していると突然起動!小躍りせんばかりの気分。何だったのかわからないが、とにかくあ〜よかった。残る半日は、たまっている講演のレジュメ作成を死に物狂いでやる。これからは週8〜9本の講演をこなすハードスケジュールが待っている。気合いで乗り切らなくては。(津村 薫)

10月17日(日)

秋晴れの行楽日和というのに、1日パソコンに向かって過ごしてしまった(今、「フロイト入門」に没頭している)。仕事ばかりの日曜とはパッとしないな。そろそろ秋のハイキングを企画したいのだが、周囲は皆忙しそうで遠慮している。近いうちに、山歩きでもするか。(村本邦子)

10月16日(土)

日記で合唱が話題になって以来、スタッフ(の一部)で、「FLC合唱団♪」の話が盛り上がっている。前にも一度、「やろっか」と盛り上がったが、忙しさの中で虚しく消え去った。今回こそはと、早速、楽譜を注文した。昔ながらの簡単な曲集とジブリアニメのコーラスコレクション。ちょっとだけ娘と合わせてみたが、いい感じ。FLCスタッフには、合唱の覚えがあるメンバーが案外いる。と言っても(ママさんコーラス、大学コーラス部の人たちは良いとして)、私は一番古く、小学生の頃だから、30年以上も昔の話だ。私はカラオケをまったくやらないので(実はFLCにはカラオケ好きも少なくない)、声を出すのは本当に久しぶり。かなり楽しみ。問題はいつ皆で集まって練習できるかだ。(村本邦子)

10月16日(土)

カラオケ好きの津村です。十八番はですねえ〜、誰も聞いてへんか(笑)。熱唱系や軽快なテンポで元気が出る歌が大好きだ。絶対音感が備わり、音程が比較的安定している私は、「ハモリならコイツにまかせろ」とカラオケでは重宝がられるのだ(笑)。その昔、「絶対音感」という本が評判になった時代があったけれど、「小鳥のさえずりや救急車のサイレンが音階で聞こえる人がいる」と帯に書いてあったのだ。あ、私のことだ!と感激。その分、不正確な音に対するストレスが強いともいわれる。そうなのだ。昔のヒット曲を懐かしの歌手が歌う番組なんかがあると、大抵ムッとすることがある。当時よりキイを低くして歌う歌手が多いからだ。「あ、2つもキイ下げてる!」と思う。昔とキイを変えていない歌手?松田聖子ですね。今日は奈良に講師に。帰りに、聖歌隊の歌うクリスマスキャロルのCDを買った。「荒れ野の果てに」や「神の御子は今宵しも」が大好き。こんなのがいつか歌えると嬉しいなあ。FLC合唱団、楽しもうではないか。声が出せる機会ができて嬉しい。(津村 薫)

10月16日(土)

最近声も出なけりゃ、音程もめっきり悪くなった森崎です。そう、中学の頃は新設合唱部に選ばれていた(選ばれた理由は定かではないが)のに・・・。パートも、メゾソプラノやアルトでメロディーにあわせるのが好きだったのに・・・。カラオケも嫌いだ!『私って、みんなでわいわい言いながら、ひとつのものを作るのが好きなのかも』と最近思い始めていた矢先の、「FLC合唱団♪」の話題。ジブリの楽譜も届いたらしい。う〜ん、ジブリか〜この波に乗ってしまいそう。ちなみに、今夜、「お神楽の母」は太鼓を担当した。娘は私の太鼓に合わせてちゃんと舞っていたし、音程は悪いけどリズム感はいいかも!?(森崎和代)

10月15日(金)

稲刈りが始まり、田んぼの様子が一変した。きれいに刈り取られた小さな稲株が、整然と並んでいる様子が可愛い。脱穀された藁が、こびとの家のように束ねられ置かれている様子も微笑ましい。そして私は、稲刈りの終わった田んぼを見るたび、大地や自然の恵みと力を感じる。(森崎和代)

10月14日(木)

夕方急に曇りだし、にわか雨。電車の中から『困ったなぁ〜』と思い、空を見ると大きな虹!思わず娘にメール。「虹が出てる!見える?」「わぁー、すごいきれい!先生も絶賛!」と写メールで。私も見てるっちゅうねん、と思いながら写真を見ると校舎の上にきれいに弧を描いていた。私のところからは、ちょうど三輪山の山頂から虹がかかり始め弧は薄くて見えにくいものの、山から山にかかる虹の両端が太くはっきり見えた。虹って、結構広い地域で見えるのだということ、場所によって見え方が違うのだといまさらながら確認した。わたしは虹を見る時、いつもなにか神様からご褒美をもらったような気分になる。るんるん!(森崎和代)

10月14日(木)

今日はスクールカウンセラー、晩は、先生たちの自主勉強会におつきあいする。軽くテーマを決め、フリートーク方式で先生たちが日頃困っていることを語り合うというような会。時々顔を出させてもらうが、私は、結構、この会を楽しんでいる。先生たちが主導の会で、特別な役も責任もないが、思うことがあったら発言もする。常日頃、我が子たちを通じて現代の子どもたちの姿を見聞きするなかで、不思議に思うこと、どう考えたら良いのか迷うことが多いので、先生たちの視点から、現代の平均的な中高生の姿が知れて興味深い。それに、先生方の教育への情熱がまだ生きていることが感じられて励まされもする。今日のテーマは、子どもたちのモラルについて。ちょうど今、『モラル・インテリジェンス』という本を読んでいて、これが結構おもしろい。最近、フランクルを読んでいたので、「精神性」という次元についても考えている。私は必ずしも性善説に立つわけではないが、でも、どんな子どもの中にも、「善い人間でありたい」という気持ちがあることを信じることができる。その気持ちは、子どもたちの中から引き出され、応答されることを待っているのだとも思う。大人たちがそれを手助けできさえすれば。『モラル・インテリジェンス』の著者は、時に、心理学(彼は精神分析の立場にあるようだ)が、モラルの発達を妨げてきたのではないかと指摘する。そうかもしれない。今はただ、混乱している大人たちこそが、価値について語り合わなければならない時ではないか。心理学者を含めて。(村本邦子)

10月13日(水)

前村の日記を読んで。そう、「日曜日〜ひとりぼっちの祈り」の作詞者は「チコタン」と同じ人。どのような背景があったのだろう。合唱曲といえば、「モルダウ」も好きだったことを思い出した。どうしてもタイトルが思い出せない合唱曲があるのだが、♪光と風の中 私たちはいる〜♪ ♪長い手紙 空に書こう ルールルルー♪ ♪心と心 つないでくれる〜♪などという歌詞の美しい合唱曲!知っている方、教えてくださいませ。あれ、もう一度歌いたいなあ・・・。(津村 薫)

10月13日(水)

今日は「フォッグ・オブ・ウォー」。マクナマラ元国防長官のインタビューからなるドキュメンタリー映画。米国のリーダーの視点から、第二次世界大戦(とくに米日戦争)、キューバ危機、ベトナム戦争を捉え直すのは興味深かった。タイトルは、一度戦争の危機が起こると、賢明な政治家であっても、霧につつまれたように物が見えなくなるという意味。現在の状況については何も語らなかったことは残念。マクナマラは、「人間の本性は変わらない=戦争はなくならない」という考えの持ち主。だからこそ、戦争の釣り合いやルールを考えるべきだと。リアリストである。しかし、彼は感情を切り捨てないタイプのリーダー、ケネディの死の話に及ぶと涙も見せる。たしかに、戦争も虐待も暴力も人の世からなくならないのかもしれない。それを踏まえて、ではどうしていくかということになるだろう。(村本邦子)

10月12日(火)

津村が「チコタン」について書いていたので、私も懐かしい合唱曲を。こう見えて(どうも見た目には体育会系に見えるらしい)学生時代は合唱部に所属していた。歌っていて気持ちのいい曲はヴィバルディの「グローリアミサ」、それに「水のいのち」「大地讃唱」あたりでしょうか。校歌は、我が母校の「みーはーるかすー、ちぬーのーうーみー」という旋律より、「あ・か・き・ち・し・おー、むーねーにーみーちてー・・・・・りっつめい!」の方がノリが良くて好きでしたが。
 そんな中で、忘れられない曲(歌詞)は、「日曜日〜ひとりぼっちの祈り」という合唱組曲です。たぶん「チコタン」と同じ作家によるものと思われます。一曲目は軽快なメロディーと歌詞から始まります、大阪弁の。「おとうちゃん、はよ起きや・・・ええ天気やで・・・」と2番までは誠に軽快です。3番からは「でも・・・」と突然変化します。両親は交通事故で亡くなっていたのです。そして主人公は日曜日が来るたびに、ひとりぼっちで楽しかった日曜の朝を悼み繰り返す・・・という歌詞でした。一曲目で、涙があふれたのを覚えています。問題はその後です。実は主人公の両親は、交通事故で加害者として亡くなっていたのでした。飲酒運転だったようです。被害者の子に対して「ぼくが一生面倒みます・・・お父ちゃん、許してやってください・・・」。主人公はある意味加害者の家族でもあったという設定でした。20歳前だった当時は、ただ単に、「すごい歌やなぁ」としか思えませんでしたが、今、改めて歌詞を思い出すと、多くのことが織り込まれた歌なのだなと驚かされます。今度の週末あたり、時間が取れれば、楽譜屋さんに立ち寄りたいな、ちゃんとこの曲を歌ってみたいな、そんな気になっています。(前村よう子)

10月12日(火)

今日は「エキゾチカ」。前半はいかがわしい映画かと疑ったが、最後まで観ると深刻なトラウマ映画であることがわかった。癒しの幻想を買う現代を風刺しているかのようだ。「精神分析と映画24」のうち、ちょうど半分を見終えたが、かなり気に入ったのが「イングリッシュ・ペイシャント」。哀しくも美しい物語だった。「日の名残り」もなかなかの名画。私は本来、恋愛ものは観ないが、名画のなかに副次的に描かれるラブ・ストーリーはなかなか良いものだと新しい発見。授業で使う映画は限られているが、そのうち映画をテーマに何か書いてみたいものだ。(村本邦子)

10月12日(火)

大東市に行く。帰り道にダイエーに寄ってみた。優勝は逃したものの、「応援感謝セール」をしていた。ちらりと見渡して、やっぱり夕食の材料だけを買って帰る(笑)。セ・リーグの優勝を飾った中日ドラゴンズの落合監督は「オレ流」采配というのが有名だったそうで、型破りな監督ぶりでチームを優勝に導いた。コーチ陣に鉄拳制裁を禁じた、失敗から学ばせる、チャンスを与える、お金で有力選手を入れるのではなく、現在いる選手を伸ばすなど、これまでにはなかった方法だったそうだが、優勝時のビールかけには監督夫人まで参加していたので笑ってしまった。事情が許す選手の家族たちも招待していたそうだ。落合氏、打たれて負けたピッチャーのことでコメントを求められて、「人間が投げてるんだから打たれることもある」とさらりと言っていたのが印象深い。阪神タイガースが優勝できなかったのは残念だけれど、こういうリーダーシップが功を奏したというのは嬉しいことだ。(津村 薫)

10月12日(火)

びっくりした!津村、前村の日記を見てびっくりした!実は私も中学の時コーラス部にいた。というより勝手に入れられ、気がつくと歌っていた。ある日の昼休み、校内放送で(各学年、男女取り混ぜて何人ぐらいだっただろう?)名前を呼ばれ「○○さん、音楽室へきてください」「??」。そこから記憶はないのだが、新設コーラス部のメンバーになったようだった。勝手に決められたにもかかわらず、素直なわたしはお昼休み一生懸命コーラスの練習をしていた。そして、ある日授業を抜けて小さなコーラス大会に出場した。友達のうらやましそうな顔に見送られ、堂々と授業を抜けられたことがうれしかったなぁ!歌は、「い〜しや〜きいも〜」から始まる石焼芋の屋台の歌。練習している時はそうでもなかったのに、人前で歌うのは、なんかかっこ悪くてはずかしかった。もう一曲は、「昔、むかしバビロニアの、草〜原〜を〜、何とかの羊飼いた〜ち〜が〜、旅していきました〜〜〜」という歌だった。この曲はきれいなメロディーで複雑なパートの絡みが好きだった。これしか覚えてないので、やっぱりこのために結成されたのだろう。それから、そういえば結婚してしばらく、誘われるままにママさんコーラスもやっていた。ハハハ・・・すっかり忘れてたぁ。あ〜びっくりした!(森崎和代)

10月11日(月)

毛糸を探しにセッセへ。そろそろ何を編もうかなとワクワクする季節。子どもたちが小さい頃は、クマやら薔薇やらツリーやら、いろんな柄の編み込みセーターを揃いで編んでは、一緒に着ていたものだ。もはや息子は手編みなど着ないし、娘も趣味が難しいので、最近では、娘が自分でデザインしたセーターを編んでやることにしている。去年の秋は忙しくてほとんど家にいなかったので、ついパスしてしまった。今年は蝶々のアップリケのついたポンチョだと。淡い茶系のツイードにグリーンのラインを入れることにする。蝶々を何色で編むかは、本体が出来上がってからのお楽しみに。(村本邦子)

10月11日(月)

久しくお稽古事をしていないけれど、「歌」を教えている教室が近くの繁華街にあるので、そのうち習いたいもんだとちょっと憧れている。グループでも個人でも習えるそうだ。その昔、合唱が大好きだったので、グループで習うのが楽しそうかな。「どんな合唱曲が心に残っているか?」という話題が友人との間で出たのだが、歌っていて気持ちのよかった曲、あまりにハーモニーが美しくて感動に震えた曲、楽しかった曲、難しくて苦労した曲など、さまざまに思い出に残っている。衝撃的に記憶に残る曲というと、なんといっても「チコタン」だ。私と同世代で合唱部にいた人なら、よく知っているのではないだろうか。わんぱく坊主の男の子はクラスの「チコタン」が好きなのだ。でも男の子は魚屋の跡取り息子。魚嫌いのチコタンはプロポーズを断り、男の子はおおいにふくれる。しかし男の子は名案を思いつく。チコタンは「エビとカニとタコ」だけは好きだ。それだけを売ればいいのだと。チコタンも「オッケー」と。めでたしめでたし・・・ところがチコタンは車に轢かれて死んでしまうのだ。「チコタン」は子どものための組曲なのだが、ラストのあまりの悲惨さはショックだ。♪笑うな チコタン! 写真の中なんかで笑うな! ♪ ♪誰や 誰や ぼくのチコタン 殺したん 誰や アホー♪というメロディーはとても悲痛で、同世代の合唱経験者の多数が「トラウマソング」に挙げるのだと言う。作詞者・蓬莱泰三氏は「事故死」をテーマにした作品が他にもあるのだそうで、詳細はわからない。今も歌い継がれているのだろうか。(津村 薫)

10月11日(日)

きんもくせいが香りだした。この香りが漂いだすと子どもたちに聞きたくなる。「今年は遠足どこ行くの?」そして、その後連想ゲームのように、「お母さんな、秋の遠足って言うたらあの緑のみかん思い出すわ〜。いつも秋の遠足にはお弁当に入ってて・・」「そう言うただけで、食べんでも味思い出すねんやろ」「そうそう・・・」。きんもくせいの香りとともに、沸き起こる懐かしい感覚の数々。秋の遠足、緑色のみかん、すすき、どんぐり、色づいた桜の葉、秋の野山などなど。しかしうちの子どもが小学生のころの秋の遠足は、秋の野山ではなく「キッズプラザ大阪(?)」「海遊館」だったなあ。お天気に左右されないから?歩かない子が増えた?(小学生の体力・運動能力の低下の記事が新聞に載っていた)また最近、きんもくせいのかおり=トイレの香りと思っている子どもたちが多いとか。この子達が大人になった時、ふと漂うきんもくせいの香りで何を思い出すのかな?(森崎和代)

10月10日(日)

台風一過、ほっとしながら我が家で過ごす。貴重な休日だ。最近は休日も何もない忙しさだっただけに、穏やかに過ごせて嬉しい。今夜の夕食メニューは何にしようかなーとぼんやり考えていたら、試験前のために勉強に出かけた娘から、「晩御飯、夏野菜カレーにしてほしい」とメールが。牛肉、玉葱、人参の他にトマトと茄子を入れる手作りの夏野菜カレーが、うちの家族は皆大好物だ。冬でも「夏野菜カレーを」というリクエストが入る。「お宅、今夜は何すんの?」というご近所の会話で「うち、夏野菜カレー」と言ったら「冬やのに?」と突っ込まれたことがある。さあ、とりかかりますか、秋の夏野菜カレー(笑)。(津村 薫)

10月10日(日)

「精神分析と映画」の中から、今日は「チャイナ・タウン」。なかなかよく作られた映画だった。終盤に差しかかるまで、「一体どこがどんなふうに精神分析的なのだろう?」と疑問に思いながら観ていたが、背後にインセストが隠されていたことがわかる。ジャック・ニコルソンがまだ若き1974年の映画だから(映画の設定は1930年代のロス)、時代はそろそろ、インセスト告発が始まった頃だったのだろうか?依頼主イブリンと寝てしまうことで、真実を見抜くべき私立探偵ジェイクの眼が曇り、愛する女性を死なせてしまうという過去の悲劇が繰り返される結果となる。DVDの特典映像によれば、撮影開始の直前まで結末が決まらず、結局、悲劇として幕を下ろすことになったが、今ならハッピー・エンディングしか許されなかっただろうということだ。残念ながら、この映画は、悲劇として終わることに必然性があると思う。事件10年後の日々を描いた続編「黄昏のチャイナタウン」があるという。そのうち観てみよう。(村本邦子)

10月9日(土)

今日は、大阪YWCAのDV家庭に育った子ども支援の集中講座で話をするよう頼まれていたので、1日の面接を終えてから自転車で移動(朝はまだ台風の心配があったから、完全防備で出勤したが、外れてくれて助かった)。晩の交流会も参加したが、暖かく楽しい場で、行って良かった。宮崎、岡山、仙台など、結構遠方からも来ていた。なかに、FLCの年報の創刊号から愛読してくれているという方がいて、感謝・感激(先方も感動してくれていた)。以前、うちのスタッフを講師に招いてくれたことがあるとかで「とっても良かった!」と言ってくれた方、「ふだんは支援ばかりしているが、理論的に話してもらえると、そうだそうだと言葉を与えられる気がして嬉しい」と喜んでくれた方、「こんなふうにしてくれていることを知っただけで元気が出た」と言ってくださった方、本当に嬉しい夜だった。交流会の最後は音楽会、「上を向いて歩こう」の替え歌「前を向いて歩こう」をギター演奏とともに皆で合唱、じーんとくるものがあった(歌詞は長いので次の当番エッセイで紹介します)。
 さて、ひとつだけ、私の話を聞いて「直接に被害者を支援している立場から言えば、院生教育とか言って、被害者を研究材料にしているだけじゃないか」との批判があった。主催者が気をつかってフォローしてくれていたけれど、私の心はとても穏やかで、帰り道、この気持ちをどんなふうに説明したらわかってもられるのだろうと考えていた。そして、ぴったりくるのは、こんな感じかなと思いついた。私は、被害者のためにならない被害者研究は嘘だと思うし、被害者のためにならない援助者養成も嘘だと思う。私のなかには、被害者支援も、援助者支援も、研究も、そして加害者支援も、すべては被害者のためにあるという信念がある。それに、被害者と援助者が別の人口集団だとも思っていない。被害者のなかに援助者はいるし、援助者のなかにも被害者はいる。ある時は被害者として、ある時は援助者としての役割を持つかもしれないけれど、人間をどちらかに分けられるものではないと思う。だから、私は、自分が被害者ではなく研究者なんだなどと思ったことはない。たしかに、実際にやったことがどの程度まで被害者の役に立つのかと、援助者の自己満足ではないかと問われれば、援助した側としては、今の時点で何とも言うことはできない。ただ「なにがしか役に立ったらいいな」と願うのみである。少なくとも、被害者を研究材料にという考え方はそもそも理解不可能で、「何のために?」と首をかしげる感じなのである。だから、そんなふうに思う人がいるのかと思っても、とくに弁明したいとも思わない。もっと、しゃかりきやっていた時代だったら傷ついていたのだろうか?援助者として過ちをただの一度もおかさなかったかと問われれば、そんなことはあり得ないが、でも、そんな批判をもこうしてとても静かな気持ちで受け入れられることは、自分でも有り難いことだな、そんなふうに支援をしてくることができて良かったなとしみじみ思いながら帰った。(村本邦子)

10月9日(土)

奈良へ講師に行く。警報を気にしていたが、7時の時点で大丈夫だったので、急いで支度をして出かけた。近鉄電車の中で、「台風22号が近づいており、運休する場合はご容赦ください」と何度もアナウンスがあるものだから、無事帰れるのかといささか不安になった。ところが終了後、やはり近鉄に乗っていると、雨もあがり、風もそれほどではない。すっかり安心して某大手ショッピングセンターに寄り、買い物をして帰った。普段はショッピングをゆっくりする時間もないので、店内をぐるりと見渡したけれど、すっかり秋冬ものばかり。素敵なブーツや、秋冬の服、カバンなどに見とれて、買って帰ったのは夕食の材料(笑)。(津村 薫)

10月8日(金)

朝から強い雨と風。午前中は泉南市へ。いったん事務所に戻り、ひと仕事をして夜は住吉区へ。どちらも連続講座なのだが、悪天候の中、たくさんのお母さんが来てくれてありがたいことだ。明日は台風がやってくるとのこと。午前中は奈良へ講演に行くが、7時の段階で奈良に警報が出ていれば中止だと連絡が入る。今年は台風が頻繁にやってきたので、講演の実施が危ぶまれる事態に何度も遭遇した。「またきたか〜」という感じだ。(津村 薫)

10月8日(金)

前から気になっていた斉藤環の『心理学化する社会〜なぜ、トラウマと癒しが求められるのか』を読む。私が中高生の頃は、「心理学者になる!」と言って、「何それ?」と言われたものだ(下手すると学校の先生からも)。研究所を立ち上げ、虐待やトラウマ、それから子育て支援に取り組んでいた時も、多くの場合、馬鹿にされていた。ところが、今や時代は臨床心理士バブル、トラウマがメイン・カルチャーになるにつけ、自分自身の足場にとても居心地の悪さを覚えるようになった。本当にそれらが根付いたとは思えないからだ。上っ面だけのファッションの感が否めず、これは、ファッションとして、いずれ容易く過ぎ去ってしまう可能性がある。ファッション化の片棒をかつがされるつもりはない。おそらくは、斉藤環も、似たような境遇から、批判的スタンスを取るようになり、本書が生まれたのだろう(シンポで一度同席したことがあるだけで、彼のことは、ほとんど何も知らないけど)。ヌーボーやデーゲンの扱いにも共感が持てるし、本書の内容からは、彼がそれなりに臨床をやっている人であることがわかる。しかし、未来の展望となると、本当のところどうなのだろう?彼はラカンに頼るのだが。後戻りできない、予定調和的な古き良き共同体の幻想に浸っていられないことは同感なのだけど、着地点はまだ見えない。(村本邦子)

10月7日(木)

インターネット検索をしていて、偶然、「りぼん・ぷろじぇくと」の「戦争のつくりかた」というHPを見つけた(http://www.ribbon-project.jp/book/)。同名の絵本を無料でダウンロードできるようになっていて、面白い試みだなと思った。どんなふうにしたら戦争をしないと決めた国を戦争ができる国に変えていくことができるのかを追い、現実に起きている変化を対比させるという手法。非常にシンプルにできており、最後は、「わたしたちは、未来をつくることができます。戦争をしない方法をえらびとることも」と結ばれている。「ニュース」を見ると、少しずつ新聞や雑誌に紹介され、今なおアクセス数が増えているらしい。こういった「静かな運動」(内容は静かではないが)が現代にフィットするのだろう。個人的には、同HPに紹介されている伊丹万作の「戦争責任者の問題」がとても良かった。噂には聞いていたが、直接読んだのは初めてだったので。(村本邦子)

10月6日(水)

3日で治る予定だった風邪が4日目になっても引かず、頭痛と咳がひどい最悪の1日だった。それでも、予約指定券を買ってしまっていたので(我ながらセコい)、「スゥイング・ガールズ」を観る。出来は「ウォーター・ボーイズ」より落ちるが、ジャズは良かった。潜んでいた「ジャズをやってみたい病」がムクムクと湧き出る。音楽に乗ってすっかり気分が良くなった。気分を変えれば、体をどうにでも変えられるのが特技と言えば特技だが、私の問題の部分だ。(村本邦子)

10月5日(火)

帰国していた夫が、赴任先へ戻って行った。今までにも別れは何度も経験しているのに、数ヵ月後には又会えるのに、涙が出る。今回は子どもも勉強を教えてもらったり、将来の夢を話したり、私も夫と一緒に過ごす時間が長かった。私にとっても、子どもたちにとっても、夫の存在を十分に感じることのできたうれしい5日間だった。(森崎和代)

10月5日(火)

午前中、河内長野へ講師に行く。南海電車には乗り慣れたつもりだが、「本線」と「高野線」の区別がなかなかつかない。「えーと岸和田行くには、どっちに乗ればいいんだっけ」「貝塚は・・」「住吉は・・」「泉南は・・」と、一瞬迷う。隣家の友人に、「1年間のかおりん(私のこと)の移動距離って興味あるわ。1回計ってみたいよね」と言われた。確かに結構あちこちウロウロしているもんなあ。来年、計ってみるか(笑)?(津村 薫)

10月5日(火)

息子は秋休みだとかで、帰るなり「今夜は先輩の家に泊まりに行ってくる」と荷物をまとめて跳びだそうとする。先輩は、もうそこまで来て待っているらしい。まぁいいけど、高校生のお泊まりごっこに親がどれくらい関与すべきか。これまでは、親同士も知っている関係ばかりだったが、高校生ともなると、名前を聞いても家がどこにあるのかさえわからない。一応、子どもたちに嫌われながらも(相手の子も嫌がっているようだったが)電話番号を聞き出し、ご挨拶の電話を入れておく。通常はどうするものなのだろうか?(村本邦子)

10月4日(月)

大学の日。精神分析の授業準備がバッチリできているので足取りが軽い。その後、実習関係の仕事が今日はあまりなく、空き時間ができた。あんまり気持ちの良い季候なので、研究室に戻って本を読むのはやめ、大学のベンチで秋風を感じながら、学生たちをボーッと眺めていた。何もすることのないひたすら贅沢な時間。夕方、少し寒くなったので、生協でカップスープを調達し、体を暖めてから夜のゼミへ。今日の発表はかなりおもしろい内容だった。さまざまなバックグランドを持つ院生たちなので、本当に勉強になる。授業後は、団さんと遅い夕飯を食べながら映画談義。「あんた、ようそんだけ映画観る時間あるな」とあきれられる。だって、今は、これが仕事の一部だからね!(村本邦子)

10月4日(月)

娘が音楽のテストのための勉強だといって、長年押入れで眠っていたキーボードを引っ張り出してきた。なんと夫が一時ピアノを習っていた時期があり、練習用に買ったものだ。懐かしや〜。私は小さな頃からピアノに親しんできた。大人になって、電子オルガンに転向して、何年か習っていた。結婚後はあまり触っていない。ふふふ、あとでちょっと弾いてみようかな〜。(津村 薫)

10月3日(日)

肌寒さを感じて、夕食は久しぶりのお鍋に。鍋料理といえばいろいろあるのだが、我が家で最も好まれるのは、豚しゃぶ。野菜もたくさん食べられるし、特に豚肉とほうれん草というのはとても合う。娘も「わーい」と野菜をもりもり(この子は野菜が大好き、果物大好きという子なのだ)。日曜も出勤の夫が帰宅して、「おー」と嬉しそう。いよいよ、こういう季節だなあ。犬猫もクンクンと鼻をひくひくさせている。穏やかな日曜日に感謝。(津村 薫)

10月3日(日)

1日の日から、単身赴任中の夫が帰国している。土曜日、あいにくの雨で楽しみにしていた予定はキャンセル。「今日こそは、夫婦2人で遠出を!」と意気込んでいると、朝、息子がテニスの試合(町民大会)をビデオにとって欲しいという。「・・・・・・わかった!」雨の合間を縫って、律儀な父母は、自転車で(我が家には車がない)コートへ。一試合目、2年生を相手に勝利。「なかなかやるなあ」と元テニス部の父母は満足。そして雨で中断、不戦勝などを経て、2試合目(3試合目)で敗退。その後結局、近場で買い物をしたりして過ごす。夜ふと、夫の服(紺色のポロシャツ)を見るとほこりというか何というか、いっぱい付いている。片付け物などもしていたようなので訊いてみた。「何をしに、どこに入り込んだん?」「別に・・、2階で昼ねしただけやで」。ありゃりゃ、そういえばこのごろ、2階の掃除を満足にしていなかった事に気づく。これこれ夫よ、あなたの留守中いろいろ変わっているんだから、勝手にそこら辺で寝てはいけません!?(森崎和代)

10月3日(日)

どういう訳かひどい風邪を引いてしまった。薬を飲んで寝込む風邪は久しぶり。半分くらいはパソコンの前でゴソゴソ仕事をし(最近の私の仕事のペースたるや、自分でも驚くほど!)、半分は眠り、夜は「精神分析と映画」で取り上げられている「プライベート・ライアン」を観た。第二次世界大戦を扱ったものだが、残酷でリアルな戦闘の中にも人間の愛や光を描こうとするスピルバーグらしい作品だった。エディプス的なテーマを追求したという解説だが、精神分析との関係は「?」だった。明日に備えて、早く寝ようっと。(村本邦子)

10月2日(土)

今日は精神分析とは関係ないが「シーザーズ・ハンド」。不思議さと哀しみをミックスした印象深い物語だった。ナイーブで不器用なあまり愛する人を傷つけてしまう類の人たちの寂しい人生を表しているようで。きっと、人魚姫の男バージョンはハサミ男になるのだろう。人魚は地上で独り立ちできず、ハサミ男は社会的な場面で関わりを持つことができないから。どちらも自分の世界ではクリエイティブで魅力的なのに。そして、どちらも愛する者のために自分を犠牲にするのだ。それに比べ、「普通の人」とは冷淡で勝手なもの。(村本邦子)

10月2日(土)

久しぶりに休みで、午後から近くの街に出る。実に何年ぶりかで眼鏡を買い換えた(たぶん7〜8年ぶりくらいかな?)。ずっと行けなかったコンタクトレンズショップにも行き、検査をしてもらい、レンズを買い足した(私は使い捨てレンズ愛用者)。だんだんくたびれてくる自分の体を大事にしてあげないとなー。ひとりでぼーっとしながらバスに揺られ、帰りもうとうとしながら戻ってきた。帰宅すると犬猫が大喜びなので、しばらく遊ぶ。うーん、いい休日。さあ、リフレッシュしたところで、少しは家庭人として頑張ってみるか。いつもサボってるもので(汗)。(津村 薫)

10月1日(金)

朝は泉南市に。「きょうだいがいる場合、いない場合の親の対処を学ぶ」というテーマで講師に。また帰りにラピートに乗ってご機嫌。ラピートがしなやかにホームにすべりこんでくると、良い気分なんだよなあ。乗り心地も抜群。ちょっとリッチな気分で事務所に戻って仕事。そして夜は住吉区へ。ワーキングマザーのための子育て&自分育て講座。たくさんのお母さんたちに会うけれど、一生懸命に学ぼうとする姿勢には、いつもながら胸打たれる。私もトシをとったなあと思うけれど、若いお母さんたちが、とても可愛く思えたりする。(津村 薫)

10月1日(金)

すっかりマッサージ好きになった私(2年前までは嫌いだった)。今日はクタクタに疲れたので、お風呂上がり、自分でアロマ・マッサージを試してみた。貴重なアンサナ・スパのメロディ・オイル。技術的にはまったく素人だけど(一度だけ講習を受けたことある)、手足を揉むだけでも血行が良くなるのでは?それに、何と言っても香りが良い。お茶系の香りか、心身に染み入る。今夜はリラクセーション系のCDをかけて眠るとしよう。何とも平和な気分だ。(村本邦子)

10月1日(金)

早いもので、もう10月。カレンダーが残り少なくなってきた。今朝は「10月」というにふさわしい、さわやかな少し肌寒い朝だった。空も青く高く・・・やっぱり秋だなあ〜って思ったのはなんだったのか?と言いたくなるような昼間の暑さ!!30年前(すごい前だ・・)、高校生だったわたしなら、10月1日からごっついウールのセーラー服に衣替えしているはずだ。考えられない・・・。あの頃は何が何でも6月1日から夏服で、10月1日から冬服だったなあ〜。「何でカレンダーにあわせなアカンの!」と思いながらでも、何とか着られてその習慣は長く続いていた(良し悪しはともかく)。地球温暖化、異常気象何年も前から言われているのに・・・。(森崎和代)