2004年9月 (スタッフの日記バックナンバー)

9月30日(木)

今夜は「マルコヴィッチの穴」。世にも奇妙な物語だった。自分がマルコヴィッチなら、こんな映画の主人公に選ばれ演じて、頭おかしくなりそう。精神分析的解釈はいくらでもできそうな気がするが、何となく混乱しているので、頭を休ませるとしよう(多重人格を連想させる)。考える時間が必要だ。(村本邦子)

9月29日(水)

今日は仕事がはかどった1日だった。グズグズしていた原稿3本を完成、授業の準備として『精神分析と映画』の一部翻訳。時間に追われず、自分の関心を追求しながら仕事に没頭できるのはありがたい。夜は、やっと見つけた「野いちご」(これが『精神分析と映画』で取り上げられている第一話である)。名誉博士号の授与式への旅の途上で、死を間近にした老人が夢や過去のイメージに浸りながら(というか、むしろ、無意識の主体によって浸らされながら)、人生を振り返るというもの。立派な医者として生きる選択をすることで捨ててきた人生の半面を見つめることからずっと逃げてきたが、死を前にして、そこにどっぷりと浸かるのだ。取り返しがつかないことを受け入れ、郷愁とともに心地よく眠りにつく。(村本邦子)

9月29日(水)

多忙を極めて余裕がなくなると、他者を思いやる気持ちが希薄になってくるものだ。こんなにしんどいのは自分だけだという被害的な気持ちまで芽生えたりするから危ない、危ない。でも、私はひとりじゃないんだなあ、こんなにサポートしてくれる仲間に恵まれてるんだなあと実感する。感謝の気持ちを忘れないように、自分だってサポートできる人間でいなくちゃね。(津村 薫)

9月29日(水)

大雨の中、気分転換にと美容院へ行った(4ヶ月ぶり)。数日前、軽いめまいを起こし、おまけに口内炎もできて気分的にも弱っていたからだ。充分な睡眠をとったお陰で、結構早く元気になった。この勢いで、髪を切ったらさらにすっきりするに違いないと思ったのだ。思惑は的中、心も頭も軽くなり、おまけに店を出るとき雨は止み、青空まで顔を覗かせていた。体力も回復、気分のいいところで次回の講座の準備をしよう!(森崎和代)

9月28日(火)

今宵はNPOの被害者アドボケイト・プロジェクトのミーティング。どのような形で私たちにアドボケイト活動ができるのかを探るために『アドボケーターの理論と実践』の本を読み進めながら、参加者で議論する。今日は参加者も多く、にぎやかだった。まだ、形が見えてこないので、「?」という雰囲気もなきにしもあらずだったけど、少し展望が見えてきて嬉しい。(村本邦子)

9月27日(月)

久しぶりの大学。準備もバッチリ、機嫌良く1日過ごす。それに、最近、一番気に入っている服を何人かに褒めてもらって、ますますご機嫌。整骨院通いとなった夏以来、すっかりパンツ派になった私。パンツは基本的にすっきりしているので、それと組み合わせたTシャツ、セーター類だけでは、どうにも物足りない。もっとごちゃごちゃと凝ったもの(飾りとか柄とか)がいいのだ。結果、スカートとパンツを組み合わせるのが、今、一番気に入っている。今日は、黒のセーターと黒のパンツの上から、前半分だけのワンピースをエプロンのように後ろでリボン結びして留めるもの(見ないとちょっと想像しにくいと思うけど)。季節やその日の気分にマッチした服装をしていると、気分が良い。そして、それを褒めてもらうと嬉しい。単純な話だけど。(村本邦子)

9月26日(日)

いよいよ明日から授業。ゼミは準備がいらないが、学部の授業(精神分析論)のための準備に1日費やす。第1回目はオリエンテーションの予定だが、第2回目の印刷物を頼まなければならないので、2回分。私は基本的に不親切な講師であるが、今年は、ちょっと親切に資料を配ろうと思っている。フロイト関連年表に文献入手の情報を加えたもの。昨年は突然、ファイルを消してしまったので、ショックのあまり放置してあったが、このたび、全部、入れ直した。毎週、丁寧に準備をしていけば、年末には、晴れて『援助者のためのフロイト入門』を出せるはず。ガンバロー!そうそう、『精神分析と映画』の第二弾は「イル・ポスティーノ」。ゆうべ観たけど、とっても良い映画だった。イタリアの美しい小さな島が舞台だ。主人公の最後の死と、撮影を終えた翌日に主人公を演じた俳優の死が衝撃的。フロイト的というより、ユング的だと思う。そして、第三弾は「恐怖のメロディー」。これは怖すぎ。プロットは「危険な情事」と似ているが、こちらの方が美しい。「境界性人格障害」を言いたいのかと思いきや、解説を読んでみると、「ダーティ・ハリーの脱構築」という点でピックアップされていた。ハリウッドのマッチョだったイーストウッドは、その後、女性解放運動にも関わり、男らしさの脱構築をしたのだという。なるほど。(村本邦子)

9月25日(土) 

なかなか行く時間がなくなってしまった整骨院、今日は昼休みにちょっと抜けて簡略化コースに。行くなり、「風邪ひかれましたか?声かれてますね」。「ン!?風邪?今朝からやけにくしゃみが出る、そろそろ花粉症の季節かと思っていたが、風邪だったんだろうか?」考え込んで次の台に移行したら、また、別の整骨士さんから、「風邪ひかれました?熱っぽいんじゃないですか?」と手や首をチェックされて「微熱ですね」と言われた。そう言われてみると、熱っぽい。どおりで、ここ3日ほど頭痛がしてだるいと感じていた。でも、思い当たることがないので(最近はストレスもなかったし)、なぜだろうと不思議に思っていたところだった。ここらあたりが、やっぱり、我ながら、おかしなところ。多少のしんどさだと、つい、頭が、「今、しんどいはずはない。理由がないから」などと判断してしまう。「今、お客さんでも風邪ひかれている人、多いですよ」。考えてみれば季節の変わり目、眠る頃はまだ暑くて窓を開けて何も掛けずに寝てしまったり、朝、寒いから長袖を着て、昼間、汗をかいたりという時期だ。ずいぶん気をつけているつもりだが、まだまだ体の声に耳を傾ける努力が必要のようだ。(村本邦子)

9月25日(土)

夫の赴任に伴ってヨーロッパで15年間生活し、欧州伝統のペインティング「バウエルン マーレライ」を学び、最近帰国した友人が、カルチャーセンターで一日講習会を開くというので参加した。ドイツ・フランス・オーストリアと転勤するたび、先生につき各国の手法を学んだという。「他にすることもなく、これしかなかったからね」と笑う彼女と彼女の作品には、マーレライへの愛情と自信が感じられた。欧州の農家で、古くから家具や生活素材に描かれていたという伝統の花々。素朴で、しかし豪華だ。今回は、初心者向けとはいうものの、小さなお皿に取り組むこと約2時間半(練習時間も入れて)。筆一本で描くため、筆使いが難しかったが、しっとりとした色合いでシックな作品ができた。(森崎和代)

9月25日(土)

フランソワーズ・サガン死去のニュースに驚く。思春期の頃、はじめて読んだ「悲しみよこんにちは」に鮮烈な衝撃を受けたことを思い出す。「ブラームスはお好き」や「優しい関係」が好きだった。想像を絶する事件もいくつか起こした人で、少女時代からの奔放な生き方を本で読み、こんな生き方をする人もいるのかと、カルチャーショックだった。晩年の小説は、精彩を欠いていて残念だったけれど、「悲しみよこんにちは」のセシルと若き日のサガンのイメージが重なり合う。天国で、フレッシュなオレンジにかぶりついて、「5分したら泳ぎに行こう」なんて言っているだろうか。残念。(津村 薫)

9月24日(金)

今日は、『精神分析と映画』の第二弾で「クライング・ゲーム」。ゆうべ、TV放映で「es」を観たところなので、看守と囚人が非人間的関係を発達させていく条件と、逆に人間的関係を発達させていく条件が対比されて見え、おもしろい。精神分析との関係では、こちらは、おもにリビドー発達や性倒錯なので、授業で使う教材としてはボツにする。口唇期とか肛門期、ファリックな女性像とか言われても、どうも腑に落ちない。エディプス・コンプレックスは(批判を含め)詳しく説明しても、「性欲論三編」を扱ったことはないが、「フロイト入門」としては、やはり触れるべきだろうか?ちょっと迷っている。(村本邦子)

9月24日(金)

午前中は堺市、午後は寝屋川市とハシゴ。ここのところ、ばたばたと講師準備に追われ、今夜も自宅でパソコンに向かう。娘が横でお笑い番組を見始めた・・・。お笑い好きの私もついつい見てしまう。いかんいかん、仕事も残っているが、運動をしなくては。頭だけがチリチリと疲れるのはどうにもバランスが悪いと感じ、最近は、体を動かすように努めている。家でもできる身近な運動をと、ラジオ体操をすることにした。30分間、真剣にやると(ラジオ体操第一だと10回)、結構な運動量になる。さあ、やるか〜。(津村 薫)

9月23日(木)

今日は、ドン一家の観光案内。有馬も行ったし、貴船・鞍馬ハイク+鞍馬温泉もすでにクリア、保津川下りを考えていたので(私の好きなコースばかりではないか!どうも、ドンとは行動パターンが似ているらしい)、それに決め、嵯峨駅で待ち合わせ、トロッコ列車で亀岡へ抜け、保津川を下って嵐山へ。いつもは川下りに2時間かかるが、今日は水かさが多く、1時間半だったので、スリルもあって楽しかった。一番早い時は1時間、遅いときは3時間かかるというが、次は、1時間の時に下ってみたいものだ。心配していたお天気も問題なく、心地よい自然のエネルギーに満たされた。その後、天竜寺、竹林、野々宮神社(音楽祭でちょうどオカリナ演奏をやっていた)を回り、おもしろい和風茶店で一休み。京福嵐山駅にできたという「足湯」で締めた。ちょっとした小旅行だった。(村本邦子)

9月22日(水)

水曜、今宵は「父と暮らせば」。原爆を扱ったものなので、また、やりきれない気持ちを抱いて帰途につくことになるだろう、でも、やはり観ておかなければと、どちらかと言えば、気持ちを奮い立たせて自分への課題のつもりで行ったのだが、何はどうして、非常にシンプルで明るく暖かい作品に出来上がっていて驚かされた。井上ひさしが原作を書いたのがいつ頃なのかよくわからないが、はっきりと、サバイバーの「心」を描いている。とてもわかりやすいので、学部の臨床心理学の授業にも使えそう。彼は、これを書くために、ヒロシマの手記をできる限りたくさん読んだと言うが、もしも、トラウマ心理学の知識なしに、数多くの手記から抽象化して導き出したものがこれだとすれば、驚くべきことだ。登場人物は3人。たった3人にヒロシマを語らせることができるのかと自問した井上は、「とにかく人間は生きなければならなぬと娘に訴える父、その訴えを自分に取り入れようと苦心する娘、すべてを忘れまいと努力する恋人、この3人の誰か1人に観客がなってくれたら」と願って書き進み始めたと言う。父親の存在感がいい。きっと、彼は、自分に正直に生きてきた人なのだ。私が、こんなふうに生きれたらと憧れる類の人だ。彼の語る言葉はごくごく当たり前のことであるが、第三者には決して語れない、被爆して亡くなった人として初めて語れる言葉である。平気で死者を登場させて語らせることができるところが、心理学と違う芸術の力だ。残虐なシーンが皆無に近い(唯一出てくる場面は必然的なものなのか?)ことも良い。戦争物がポピュラーに成り得ないのは、ひとつには、これでもか、これでもかと残虐性を見せつけられるからだと思う。多くの人に、入門として観てもらうことができるのではないか。宮沢りえの演技が抜群、原田芳雄の存在感も。やはり、一度、舞台で観てみたいものだ。(村本邦子)

9月22日(水)

今日は、フリーな1日。4〜5日かかっていた原稿2つもできたし、ひとやすみ。うまい具合に今日は水曜日。朝一番、今話題(FLCの日記で)の「ヴィレッジ」を観に行くことにする。実は、一人で映画を見に行くのは初めての経験。いつぞやFLCの日記で読んだように、熱いコーヒーを持って、鼻歌を歌いながらワクワク自転車を走らせて!(この近くにも、2駅分走れば映画館があったのだ)。映画は、心のひだに染み入るものだった。一人で映画を見て、一つ一つの場面を心の深いところで感じている自分に、『私も大人になったなあ』と思った。往復の電車賃と駐輪代金も浮いて(現実的な私・・)、前後左右誰もいない席で映画を満喫し、帰りは自転車をこぎながら映画の余韻に浸る・・・。「はなまる100点」の午前のひとやすみとなった。(森崎和代)

9月21日(火)

京都文教で、オーセンティック・ムーブメントの1日ワークショップ。ファシリテーターのバーバラは、先日から来日しているドンのパートナー、ユング派でありボディ・ワークのセラピストでもある。体とイメージのつながりが実感できて、とても楽しいワークショップだった。バーバラは、ムーブメントとアクティブ・イマジネーション(ユングの能動的想像)を組み合わせるが、私も、イメージワークは若い頃にかなりやったので、とても馴染みがある。でも、体の方は比較的新しい傾向。最近、とみにボディ・ワークに啓かれつつあることを感じる。肩こり知らずだった若い頃、体のことなどほとんど意識していなかったことを考えれば、不調は恵みと言えるだろう。帰り道、肩や首の疲れ、背中の重さをじわじわと感じ、今日は遅くなるので行かない予定だった整骨院に寄って帰った。大急ぎで帰宅し、子どもらの好物をたんと作り、パソコンに向かおうとすると、子どもらが、録画した「世にも奇妙な物語」を見て見てとうるさいので、3編だけつきあう。多重人格を扱ったものには憤りを感じたが、地獄が定員オーバーで極道が生き返る話はかなり笑えた。(村本邦子)

9月20日(月)

「あ〜、久しぶりに温泉に行きたいわ〜」と娘。「そやなぁ、最近、体、マジしんどいから、温泉でもつかって、マッサージ・チェアしたい」と息子。「そうか、そうか、君たちも疲れてるんや〜」親子の利益が一致して、近所の温泉へ(ここも、天然温泉の看板に、効用など書かれているが、本当のところどうだか・・・)。敬老の日で混んではいたが、手足を伸ばし、リラックス。帰りは、うちの家族に大ウケの「びっくり・ドンキー」(だって、おもしろすぎる!)で食事もすませた。この連休は、気分的にゆったりと過ごすことができ、しかも仕事がはかどった。ゆうべは手巻き寿司、お昼は寿司具の残りをさまざまな新しい料理に変身させ、我ながら上出来。手作りおやつまで。その傍ら、短いものだが、原稿を4本片づけ、明日参加するワークショップの予習や後期授業準備のための読書もできた。ここのところ、仕事の仕方の見直し作戦とストレスマネジメントの努力が徐々に効を奏しつつある。楽しく生活し、楽しく働くことができたら。まっ、いつもいつも楽しくというわけにはいかないだろうが、なるべくなら、不本意で不満だらけの人生におさらばしたいものだ。(村本邦子)

9月19日(日)

注文していた"Psychoanalysis & Film"(『精神分析と映画』)が届く。精神分析の観点から、全部で24の映画が取り上げられている。ざっと見たところ、いささか食傷気味の分析的解釈もあちこちに見受けられるが、映画の選択には興味が持てる。第1話「野いちご」はツタヤで手に入らず、今日は、第2話「めまい」(ヒッチコック)を観る。その名声のとおり、さすがに心理描写の優れた完成度の高い作品。そして、たしかに、非常に精神分析的でもある。トラウマに反復強迫、解離とその治療・・・。なるほど、探偵と精神分析家は似たもの同士なのである。最後の24話はお気に入りの「シックス・センス」。全部観るのは不可能だが、おもしろそうなのから観てみようと思っている。今年は、精神分析の授業で映画を取り上げることにしたので、その準備にますますハマっているのは良いとして、さて、これらをいったいどのような形で取り上げて行くのが良いか?まさか授業中、ずっと映像を流すわけにはいかないので、フロイトの原著を読みながら、映画紹介をし、ハイライトだけでも観せるものか。(村本邦子)

9月18日(土)

今日は午後から、「わくわくチャレンジキャンプ」の反省会と懇親会。もう5年目の開催になるから、スタッフも和気藹々としていて楽しかった。私は年輩の先生方と一緒のテーブルに同席させて頂いたが、お酒が回って、それぞれの生い立ち話になった。偶然なのか、必然なのか、数人の先生方が社会的に責任ある立派な親の元で育っており、その重圧や家族内から見た矛盾や葛藤、反発とともに大きくなり、結局のところ、親の仕事を受け継ぐ形であったり、形は違えど中核は同じだったりするような仕方で、社会的責任を果たす人生を選んで生きてきたという共通点を持っていた。立派な父を持つ子どものしんどさと、その重圧につぶされてきた話の方を聞くことが、職業上、多いので、「例外的な偉い子どもたちだなぁ!」と感心したり、バックボーンとしての父・息子関係を新鮮に感じたりして。でも、例外的なのは、きっと、立派な父たちが、基本的に家で仕事をしており、息子たちは、間近で働く父を見て育ってきたということ。どんなに立派な父でも、ほとんど家におらず、子どもたちが父親と接する機会がなければ、なかなかこうはいくまい。親が働く姿を子に見せる機会を職場に作れないものか。日頃、伝統や跡継ぎの暗い面ばかり見ているから、偏見の塊になっているが、たまには、明るい面を知る機会も必要だな。(村本邦子)

9月16日(木)

夫からメールが来た。明日の夜から3泊3日で、中国のリゾート地へ慰安旅行に行くらしい。へえ〜、3泊3日でリゾート地へ慰安旅行って贅沢やなあ、と思って読み進むと・・・。まだ楽しみの少ないこの国の人たちは、旅行に大いに期待しているらしい、けれど、夫は正直なところ休みたいと。「空港着が夜中11時55分。それからアパートに帰って翌日出勤です。考えただけでもしんどい。でも精々楽しんできます。慰安旅行に負けずがんばろう」って、聞いただけでしんどい・・・。どこまでも、しんどい世界のようだ。がんばってくれ〜〜!(森崎和代)

9月16日(木)

調子が出ないな、食欲がないなと困っていたら、隣人から、「今夜の夕食は支度しなくていい。帰宅したら鍋持参で来るように」とメールが。行ってみると、我が家の夕食にと、どっさりとおでんを炊いてくれていた。ありがたくいただくが、大根と卵、コンニャクを食べたところでギブアップ。情けない。夫も帰りに栄養ドリンクを買ってきてくれた。心配かけて悪いなあ。でも食欲が落ちるというのは、私にはありえないことなので、困った。週末はじっくり休養するとしよう。(津村 薫)

9月16日(木)

昨日の日記で村本も書いている「ビレッジ」、全くの偶然だが、私もこの水曜日に見た。普段、学校での勤務帰りに映画を見ることなどほとんどないのだが、今週はいろいろとムシャクシャする事や重い出来事が相次ぎ、どうにもこうにも気持ちが収まらず、ストレスマネジメントを兼ねて映画館に足を運んだ。
 見に行ったのは正解だった。見ている最中も、タイトルバックを眺めている時も、そして映画館を出ての帰途でも、めまぐるしく頭が回転し、様々なことを考えさせられた映画だったが、何より気持ちがスーッと軽くなったのを感じた。頭の中の思考が、綺麗なもので満たされたというか。村本と同じく、この映画はお奨めです。睡眠時間を削ることになるけれど、月に一度くらい水曜日を映画デーにしてみようかな。(前村よう子)

9月16日(木)

初物の栗をゆがいて食べる。「ああ、秋だな〜」とホクホク、ニコニコ。子どもの頃、裏山に、大きな栗がゴロゴロ落ちている秘密の場所があって、よく家族で栗拾いをした。枯葉の間にイガイガの割れ目からピカピカ光った栗の実が顔を覗かしていて、「あっ、あっちにも!うわっ、こっちにも!」と夢中になって拾ったものだ。そうして、ゆがいて食べたり、栗ご飯にしたり。そんな楽しい思い出があるから、この季節、栗を見かけると、ついつい買ってしまう。うちの子どもたちは栗ご飯を食べないので、もっぱらゆでて食べるのだが、素朴なこの食べ方が、私は一番好きだ。天も高くなり、そろそろ食欲の秋・・・。(村本邦子)

9月15日(水)

またまた水曜を待ちこがれて、「ビリッジ」を観た。期待は裏切られず、大満足。ナイト・シャマラン監督の作品は、いつも非常に心理学的(でも、決して心理主義ではない)。犯罪、殺人、事故などの不幸がもたす愛の苦しみを人はどう乗り越えていけるのかがテーマである。いつもながら、内容について語ることはルール違反だから、これ以上、触れないことにしよう。途中、軽いデ・ジャヴの感覚に襲われかけたが、「ビッグ・フィッシュ」の不思議な町(桃源郷)のイメージがオーバーラップしたことに気づく。今回は、最後にどんでん返し、と言うより、徐々に真実が明らかになっていき、最後の場面で、「ああ、そうだったのか」までたどり着く。監督の「かくれんぼ」もいつもながらお茶目だ(今回は、まつげでそれとわかる)。お勧めの逸品です。(村本邦子)

9月15日(水)

自慢じゃないが、発熱しても衰えない食欲が落ちてきた。これまで前半、とてもハードな生活だったから、秋になって疲れが出てきたのだろうか?といってもフラフラという訳でもなく、元気に毎日講師に飛びまわっているのだけれど。朝はおにぎり1個。昼は豆乳スープと冷奴、今夜は味噌汁にとろろ昆布、ポテトサラダ三口くらいでギブアップ。いかんなー。(津村 薫)

9月15日(水)

今日は、中学校で役員をしている部の、お料理教室。総勢27人もの参加があり、にぎやかに楽しく学習会を終えることができた。みなさんに満足してもらえ、喜んでもらえて本当〜に良かった(涙)。というのも、実際、これには涙ぐましい裏話があるのだ。今回は4月から数えて7回目の学習会(あ〜しんど)。子どもが中学生にもなると、仕事に行く人が多く、毎回、参加者確保に苦労している。しかし、今回は毎年人気のある学習会のはずなのに、ふたを開けると申し込み者がナント3人!部員を合わせても8人。定員は30人なのに・・・。これでは先生にも失礼と、9月はじめの部会(夜7時から)で、人数集めに電話をかけまくった(携帯電話は便利だ)。夜の9時ごろまでかかって、やっと集まってもらった人たちなのだ。参加費だっているし、本当にありがたかった。だから、今日、無事終えることができて、ほっとしたのだ。私も、講師で呼ばれていくことがあるが、主催者の気持ちがよく分かった1日だった。(森崎和代)

9月14日(火)

今日も長い1日。夕方まで面接をした後、京都に移動、四条で早めの夕食を取る。ちょっと優雅な気分。夜は支所で家族造形法の研究会。帰るとまた深夜近くだった。仕事の合間に、少し空き時間ができても、すぐに雑用で埋まってしまい、バタバタ、バタバタと片手間に食事をすますという生活パターンを見直し、雑務を早めに切り上げて、仕事の途中に空き時間を作り、ちょっと一服するように心がけている(きのう始めたとこだけど)。ストレスマネジメントのタイムスケジュールのワークにあるのだが、1日25時間あったとしたら、1時間何をするかと考えると、ゆっくり自分の時間の枠組みを設けて、ホッと一息、お茶でも飲む時間が欲しいなぁと。それならば、1日23時間、1時間をもらったつもりで生活すれば良いのだ。心がけが変わらなければ、1日何時間あっても同じことだろう。たとえ1週間が8日あったとしても同じことだ。ゆったりと余裕のある仕事の仕方をしていると、仕事自体が楽しい。フロイトは、成熟した人間として「愛することと働くこと」を掲げたが、逃げ腰ではなく、「愛することと働くこと」が自然で楽しく生き生きと生きられるように生活の組み立て方を改善したいものだ。(村本邦子)

9月13日(月)

知り合いであるカリフォルニア統合学大学院のドン・ジョンソンが立命館で集中講義をするというので、覗きに行く。ワークショップ方式の授業で、今日は、パートナーとのタッチによるボディ・ワークがテーマだった。このところずっと整骨院に通い、時々はヨガのクラスに行ったりしているので、最近、自分が、とみにボディ・アプローチに馴染んでいることを実感。体に対する感覚は確かに向上しているようだ。今後、臨床にボディ・アプローチを取り入れていく必要性を感じているので、ドンのパートナーであるバーバラの「センソリー・アウェアネス」のワークショップにも参加することにし、10月臨床動作法学会の研修も申し込んだ。
 授業後、会食までに1時間ほど空き時間ができたので、心地よい時間を過ごそうと、お気に入りの山猫軒まで足をのばし、チョコレート・カフェオレを飲みながら、"Psychotherapy and Politics"のジャーナルを読む。編集委員でありながら、まともに読んだことがなかったが、トラウマとイラクがかなりホットな話題であることを知る。当然と言えば当然だ。
 夜、ドンはじめ、トランスパーソナル系の関係者6人で会食。上七軒の「くろすけ」という豆腐料理の店で、かなり満足度の高い夕食。何年かぶりの懐かしい先輩もいて、それなりに楽しかった。年を取って、私もだんだんトランスパーソナル系になりつつあるかも。やはり、「心」の限界に出会うから。帰ったのは真夜中近く。長い1日だった。(村本邦子)

9月13日(月)

大阪狭山市に講師に。子どもが赤ちゃんの頃、既に閉園したさやま遊園に連れて行ったなあと懐かしく思い出す。あちこちで遊園地が閉園するので寂しいものだ。宝塚ファミリーランドに阪神パーク、あやめ池遊園地・・・どれも娘が小さい頃に行ったっけ。頑張れ、ひらパー(笑)!!←私はここが大好きだったのだ〜。(津村 薫)

9月13日(月)

朝、6時に起きる。子どものお弁当を2つ作り、娘を見送り、洗濯。朝食を食べ、息子を見送る。朝の片付けを済ませ、散歩に出かける。帰宅後、近所の人に会う。「今日は家にいてるの?」「うん」(私が家にいる日を見分ける彼女の目に狂いはない。さすがだ)。じゃあと、買い物に誘ってもらう(わたしは車に乗らないので、こうして時々声をかけてくれるのだ。ありがたい)。帰宅後、別の人に会い、「お昼食べに行こう!」と、3人でランチ。豆腐創作料理店のサービス定食(小鉢物が5つ、季節のご飯、香の物、おすまし)。おしゃれで、どれもおいしくて、ヘルシーで。ご飯もお代わりして、おまけにコーヒーとミニケーキまで付いて、なんと880円也。大満足!帰宅後、洗濯物を取り入れ、1時間ほどお昼寝をして・・・・もう4時過ぎ・・・・。早めに日記を書いて・・・。今夜はちょっとがんばって夕食を作ろう。知らない間に時間がたっている。こんな日もいいもんだ。(森崎和代)

9月12日(日)

 「10月、国慶節休暇を利用して帰国する」と夫からのメール。嬉しい!「家の整理もあるやろうけど、どこかへ行こか」って、これまた嬉しい!!(バタバタとお正月赴任したものだから、しっかりと片付いていないところもあり、地震で不安なこともあり、整理をしたいとかねてからメールしていた)。子どもたちに話すと、「試合」「学校あるかも」とつれない返事だ。そこへ夫からの電話。「もう、子どもはおいて2人で行こう」そうだ、2人で行こう!季節は秋。行楽の秋、味覚の秋・・・どこへ行こうか?(森崎和代)

9月12日(日)

久しぶりの休み。文化祭で早朝から娘が出かけ、夫も出勤。私は犬猫と遊びながら、家事をして、午後は半身浴をしてみることにした。ぬるいお湯をみぞおち付近まで溜めて、座ってみた。ここでボーッとできればいうことないのだが、読書してしまうのが私なのだな(涙)。学童期から思春期の愛読書だった『次郎物語』の4部、5部を引っ張り出して読む。次郎が尊敬してやまない恩師・朝倉先生は軍部を批判し、危険思想の持ち主とされ教職を追われる。「国民の良心が眠らされる時代がくる」。朝倉先生の警世の言葉が今はとても身近に感じられる。「良心の自由を守ることはなまやさしいことではない」と先生は言う。良心がその自由を失うというのには2つの場合があるのだと。
@権力におもねったり、大衆に媚びたり、利害にまどわされたりして、心の底では悪いと知りつつ良心にそむく行動をする場合。
A知性をくもらされ、判断力を鈍らされて、自分では悪いことをしているつもりでなく、むしろ良心的なつもりで、とんでもないまちがった行動をする場合。
安心できないのは後者だと朝倉先生は語る。「国家のためだ、などと誰かが声を大きくしてどなると諸君のような純真な青年はすぐそれに共鳴したがる。それが良心を眠らす麻酔薬の一滴であっても、それにはなかなか気がつかない」と。
今年の年報で私は、自分と同じ市井の女たちが、どのように戦争協力に駆り立てられてていったのか、その背景を追った。それを私は@の理由によるものだと信じており、女たちは泣く泣く戦争協力をしたのだと思い込んでいた。ところが実際はAであり、嬉々として積極的に関わった女たちも少なくなかったことを知り、たいへん衝撃を受けた。作者の下村湖人は、これを執筆しながら第三次世界大戦の危機をひしひしと感じると付記している。さらに時が流れ、戦争の足音はもっと近づいている。ボーッとするはずの半身浴が、戦争に対する危機感をまざまざと感じる時間になってしまったりして。(津村 薫)

9月12日(日)

今日は仕事をやめて、最近の鬱傾向に対処すべく、自らに作業療法を課すことにした。と言っても、家の掃除(普通の人にとっては日常だろうけど・・・)。鬱々している時に、体を使った単純作業はとっても効果的。カーテンや布団カバー、タオルケット、Tシャツ、キャミなどの夏服で洗濯機を11回も回した。掃除を終えてから娘とショッピングに出る予定だったが、結局、寝室から始めて、クローゼット、廊下で手間取って夕方近くになってしまい、リビングとキッチンを残したまま梅田へ。友達から紹介してもらったインディアン・アクセサリーの店でペンダント、百貨店で知り合いの出産祝いを買い(私は出産祝いを買うのが大好き)、それから、Gジャンタイプの柄物ジャケット、薄手のセーターと靴下の揃いを買った。この夏、ずっと整骨院通いをしていたので、すっかりパンツ派になり、必然的に着るものが変わった。カジュアルなものが多くなって、通りすがりの安物買いの癖がついた(天神橋商店街の安いこと!下手すると300円でTシャツ類が買えてしまう)。でも、とりわけ季節感を重んじる私、もう衣替えが必要だ。早く涼しくな〜れ!(村本邦子)

9月11日(土)

高槻市へ講師に。帰りに事務所に寄ってひと仕事。帰宅して、またひと仕事。明日は半月ぶりの休みなので、もうひと頑張り!(津村 薫)

9月11日(土)

久しぶりに明るいニュース!長年にわたっておつきあいしているクライエントさんのところに赤ちゃんが出来たという。これまでの経過があるだけに、こちらまで何だかワクワクと心躍る。新しい命が生まれるというのは、絶対的な善だ。子育てがどんなに大変でも、未来に不安があっても、それでも、やっぱり、おめでたく、幸せなことだと思う。(村本邦子)

9月11日(土)

今朝、散歩している途中彼岸花を見つけた!不思議にお彼岸あたりになると「もう、お彼岸やで」といってるように咲き出す花だ。まだ、夏の名残を残す生い茂った雑草の中に、すっくと伸び、華やかで真っ赤な花をつける。私は、目を引くきれいなこの花が好きなのだが、彼岸にお墓に咲くから、とか、血を吸った色だとか、花魁(おいらん)花とかいって、年配の人にはあまり好まれていないような印象がある。しかし、奈良では、田んぼの回りに自生して彩りを添えたり、土手を真っ赤に埋め尽くしたり、明日香では、彼岸花祭りをするほど、本当にすばらしい!
 今朝は秋の七草のひとつ、くずも見つけた。(というより、見事な赤紫色の花を見つけて、ああ、これは、くずだったんだと分かったのだが)萩も咲き出したし、ススキも見た、フジバカマは我が家で咲き出しているし。あとは、オミナエシとなでしことききょうか。朝の散歩に、楽しみがひとつ増えた。そうそう、忘れてはいけない稲、今年は稲穂の実りもいいようだ。季節はもう秋。そして思った。またハイキングに行きたい!!(森崎和代)

9月10日(金)

そうそう、人を元気にするエネルギーを発散する人っているんだよねぇ・・・。それって、やっぱり、自分のペースで自分なりに満足した生活を生き生きと営んでいる人。何だかかけ離れているよなぁ〜。生活に余裕が持てて、人生がうまく回っている時には、自然と他者に丁寧に親切に関わることができるし、そうすることで、また、自分にもプラスのエネルギーが返ってくる。反対に、気持ちに余裕がなく、どうにもうまく回らない時って、周囲に当たり散らさないよう否定的感情を抑圧するから、どうしても毒気の混じったエネルギーをまき散らし、結果的に、毒気のあるエネルギーが戻ってきて、ますますクサることになる。怖ろしい話だよなぁ。そんな時は、なるべく引き籠もるのが良いのだろうか。こんな毒気のある話、あんまり書かんとこ。(村本邦子)

9月10日(金)

長浜市に講師に行く。年輩の方が多いのだが、とても前向きに参加してくださっていて、嬉しいことだ。長浜は雨が少し降ったの後で、肌寒さを感じるくらいだった。いよいよ秋か。帰宅すると、猫がサカリがつきはじめていた。不思議に真夏にはこれがないのだ。涼しくなると、「あおーあおー」と不思議な鳴き方をし、身をこすりつけてきて、いつものクールさには似合わないほど私たちにまつわりつく。そのうちエキサイトしてきて、がぶり。こうしてこの季節、私たちの足は傷だらけになるのだ。ああ、またこの季節がやってきたなあ。でも普段冷たい猫が甘えてくれる、嬉しい期間でもある。この子や犬の無邪気さにはいつも慰められる。(津村 薫)

9月10日(金)

午前中、加島でワークショップ。参加者が帰り際に「先生は(実は、こう呼ばれるのはとても苦手だ)プラスのエネルギーを出していらっしゃるから、なんか見てるだけで(話を聞いてるだけで?)元気が出ます!」と、あふれんばかりの笑顔で言ってくださった。とても嬉しかった!わたしはいつも、ワークショップの参加者には、ここでいろんなことを学んで、発散して、「楽しかった!」「なんだか楽になった」と思える時間を過ごしてもらいたいと思っているからだ。しかし、そういえば、友達といても仲間といても、時々、「エネルギーをもらったわ」とか言われる事がある。近所の人もそう言って、介護の仕事に就いた。わたしは、気づかないうちに何らかのエネルギーを発散しているのだろうか?しかし、ただまき散らしているだけではなくて、時には相手に届いているらしい。エネルギーって不思議だ。何だかよく分からないが、わたしの発散しているエネルギーが、人に迷惑でなくて良かった。(森崎和代)

9月9日(木)

貝塚市に講師へ。一昨日も行ったけれど、また別の依頼主。南海電車にも随分乗り慣れたなあ。忙しい毎日だけど、果物がおいしい季節になって嬉しい。私は果物が大好き。夫は面倒くさがりで、皮をむいて口まで持って行かなければ食べないというタイプ。桃や梨、葡萄に大歓声をあげる娘は私に似たのかな。そしてもう1匹・・・愛犬は梨が大好物だ。細かいカケラをあげると、しゃりしゃりという良い音を立てて食べるので可愛い。病気防止のために、人間の食べ物はあげないことにしているのだけれど、梨が命の犬なので、この季節だけは梨だけが解禁になる(笑)。今夜も梨をむいた。明日は葡萄かな?(津村 薫)

9月9日(木)

今日は会社会議の日で、スタッフが集まる。たまたま私の本の話が話題に出て、何年越しで持ち越していまだにできあがっていない本が何種類かあることが、とっても自己評価を下げていることに気づく。たしかに、みんなで一緒にやる類の仕事は優先してやるので、ひとつひとつ形になった仕事はある。でも、自分自身の仕事は・・・と言えば、結局、どうしても後回しで、内心、「どうせできないんだ」「ダメな自分」といういじけた気分がいつの間にやら巣くっている。7月、8月とずーっと冴えなくて、9月に入って、少しマシかなと思ってはいるものの、まだできていない、前から言われている仕事の催促を受けると、ドッと暗くなる。やはり、仕事の優先順位のつけ方が、どこか間違っているのだ。自分が生き生きと働けるような働き方をしなければいけないと思う。目先の責任の負われ、どうも自分自身の義務を果たせていない。それはやっぱり自分の責任だ。うじうじ・・・。(村本邦子)

9月8日(水)

今日は東京。日帰り出張は嫌いだが(せっかく遠方に行くのなら、せめて1泊してプラス・アルファが欲しい。温泉とか。)、今回はスケジュールが詰まっていて、トンボ帰り。すっかり台風は去った気分でいたが、新幹線が、まだ軒並み10分ほど遅れていたのには驚いた。仕事は、NHKラジオ、「父・娘関係」のトーク。幸い、関東だけの放送である。「父・娘」のテーマは久しぶりだが、聴衆からの反応を含め、話していて、少しずつ、男性が変わろうとしていることを感じる。確かに、研究所の方でも、男性からの問い合わせが増えつつある。家族に拒否され途方に暮れていた男たちが、何とかしようと立ち上がって試みを始めているという感じ。この気持ちをうまく現実につなげることができるかどうかがこれからの課題だ。新しい家族関係の構築のために、何がしか役に立てたらいいなと思う。(村本邦子)

9月7日(火)

地震・台風と災害続き。今日は、支所でグループの日、台風を気にしながら京都へ出勤。午後、あちこちで、電車も影響を受け始めていると本社から連絡、続けて、夫は午後から集中講義が休講になりすでにホテル入りしている、子どもたちも暴風警報で自宅に戻っているとの連絡。仕事をすませ、多少なりとも心細い思いで帰路に着く。暴風の中でカウンセリングするのもどうなんだろうと考えつつ(これまで何度も検討して、クライエントさんが来る限りは予定通りに待っているという方針でやってきた)、それでも、日本全国さまざまな所からクライエントさんが来るので、警報の地域を特定することもできないし、それに何と言っても、ほとんどのクライエントさんたちは来る!という事実があるので(子どもがいるなど学校に関係がある人以外は、警報が出たか出ていないかなど気にしないようだ)、やはり、こちらからキャンセルするわけにはいかない。帰り道、「整骨院はどうかな?」とのぞいてみると、やっぱり普通にやっている。平常どおりと言う。「帰りの電車は大丈夫ですか?」と尋ねると、ほとんどのスタッフが阪急沿線で、阪急電車はまず止まることがないので(止まったのは震災の時だけだとか)気にしていないとのこと。たしかに、JRなどと違って、阪急が通らなくなった記憶はない。どんな時でも平常通りに動いているということは、たしかに、安心と信頼、そして自信につながるものだろう。商店街の店も当たり前のように営業している。昔の田舎の生活では、台風が来ると、雨戸を打ち付けて、蝋燭をつけ、嵐のうなり声を聞きながら、家族で肩を寄せ合っていたものだが、都心部の事情はまったく違っている。それに、最近は、停電などまずない。それでも、暴風の中、自転車をとばしていると、道すがら、倒れた木や、大きくもげて折れた枝が落ちていたりして、今回はちょっと怖かったな。(村本邦子)

9月6日(月)

今日は「アナライズ・ユー」。それなりにおかしかったけど、精神分析の視点からは不服が残る。分析医自身の父・息子関係が十分に解決されていない。分析医になっても父親から認められることのなかった医者だが、クライエントであるマフィアの親分に繰り返し繰り返し、「キミは名医だ。天才だ」と認められることで解消したのだろうか?ところで、日本語では「アナライズ・ミー」「アナライズ・ユー」となっているこの映画、原題は、"Analyse this""Analyse that"なのだ。結局、2作目の「ユー」"that"は何を指していたのだろう?
(村本邦子)

9月6日(月)

二度の大きな地震、矢継ぎ早にくる台風、こればかりはどうにもできないけれど、本当に今年はどうなっているのだろう。この週末は土日返上で仕事。疲れのせいか、肩と腰の痛みも気になっていたし、今日はめまいまでしたので怖くなって帰り道に決心、近所の整骨院に駆け込んだ。「こんなになる前に来てくださいよ」と叱られた。ぐすん(涙)。少しめまいや頭痛がおさまったかな、ほっ。今日は藤井寺市へ講師。明日は貝塚市に行く。(津村 薫)

9月6日(月)

昨夜の地震は、恐かった!段々にゆれが強くなり、その上時間も長く、本当に恐ろしかった。阪神大震災の後、あんなに恐かったのに、災害に対してとても不安になるのに、のどもと過ぎれば・・・で、日常、何も備えていない事に改めて気づく。ミネラルウォーターを5〜6本床下に入れてるぐらいだ。息子が言う、「お母さん、前から言うてるやろ、家具ちゃんと倒れんようにしとこうよ!」。娘が言う、「大事なもの、まとめとかな!」。そのとおり!いつも思うことだ。だが・・・。そんな親を尻目に、娘が自分の大事なものをまとめだした。「何入れてんの?」「通帳と、現金と時計。MDウォークマンに便座シート。あっ、虫除けスプレーもいるよな。それと筆ペン!」「虫よけスプレー?筆ペン?」筆ペンは、困ったとき絵を描いて売るために、必要らしい。頼もしいことだ。(森崎和代)

9月5日(日)

NPOの理事会の後、娘と待ち合わせて、眼科&コンタクトレンズショップに(我が家は全員近視でコンタクト愛用者なのだ)。帰りの市バスの中でふと外を見ると、どこの店からも家からも人が出ている。何が起きているのだろう?と不思議に思っていると、一緒にいた隣家の友人にメールが届いた。「すごい地震やったけど、大丈夫か?」という連絡。それではじめて事態を理解した。夫は職場なので何とか大丈夫だろうが、家で待っている犬猫たちがとても心配になる。家に飛び込んでみると、犬は涙ぐんだ跡があり、腰をぬかしていたようでふらふらしている。猫は硬直していた。そこで夫や実母からの電話。「気づかなかった」と言うと「冗談でしょ?!」「ひどい揺れだし長かったのよ〜」と呆れられる。後でぞーっとしてきた。阪神淡路大震災からまもなく10年・・・・。(津村 薫)

9月5日(日)

ようやく「アナライズ・ミー」にたどり着いた。これは、一種のパロディだから、「ゴッド・ファーザー」ほど濃い内容ではないが、それなりに楽しめた。精神分析の授業で扱う映画のひとつにしよう。映画の出来としては不満も残る。せっかく同じ俳優を使うなら、背景にもそれを活かして欲しかった。時代背景を考えると仕方ないかな。少年ピトが父親を殺されたのは、たしか、フロイトが精神分析を完成させる前の頃だ。そして、気になるのが、精神分析家自身の父・息子関係。これもパラレルに扱われて終わったとしたらもっと満足度は高かったろう。ひょっとして、「アナライズ・ユー」はそこに焦点を当てたものか?と期待しつつ、次作を待とう。再び、『援助者のためのフロイト入門』へのやる気が沸いてきて、パソコンに向かっている。(村本邦子)

9月4日(土)

最近、ものすごく短く髪を切ったのだが、あまりに短すぎたせいか、会う人会う人に「さっぱりしましたねー」「スッキリですねー」と声をかけられる。私は結構髪型をよく変える方だと思うのだが(おまけに髪が伸びるのが結構早い!)、今回は自分でも思い切ったものだなーと思う(10数年前には耳まで見えるようなショートカットにしていた時代もあったけど)。本当に軽くなってさっぱりしたので気に入っている。ロングの時代もあったのだが、多分もう手入れにエネルギーがかけられない気がする。やっぱり楽なのが一番!・・・と居直り、髪も肌も何の手入れもしない不精な性格。うう・・・直らないな、簡単には。(津村 薫)

9月3日(金)

夜、ハッと気がつくと、子どもたちがうたた寝をしている。あっちこっちで倒れたように・・・。私自身も、目が覚めるまで同じような状態だった。いつの間にか倒れて、気を失っていたようだ(笑)。「もう、みんなちゃんとお布団で寝よう〜〜」と掛け声をかけた。子どもたちは、ふらふらと自分の部屋へ。テーブルの上には、食事の後の汚れた食器がそのまま。流しにも・・・。あ〜あ。適当に片付ける。ちょっと部屋をのぞくと、娘は制服のまま布団で寝ている。思えば、今夜は新学期が始まって最初の週末。みんな疲れたね。(森崎和代)

9月3日(金)

滋賀県長浜市へ講師に。JR新快速に乗って大阪から実に1時間半。ちょっとした小旅行気分だ。往復で本を2冊読み上げてしまう。良い読書タイムかも。ここの名物「ホワイト餃子」と「イタリアン焼きそば」を買って帰る。うまいんだな、これが!はじめてこれを知ったとき、「餃子は普通ホワイトじゃないんでしょうか」と突っ込んだことがあった(大阪人の血)。長浜の方言?なのだろうか。「ほれでねー」「ほうだもんでー」「ほうなんですよ」と、私たちが「そ」と発音するところが「ほ」になるのだ。なんとも暖かくて良い雰囲気。聞いてるこちらがほのぼのしてしまう。帰宅して家族3人で夕食。夫も娘も大喜び。ここの「盆梅」というお饅頭も最高なんだよね。かの有名な盆梅展も見たことがあるが、感激した。素敵なところだ。(津村 薫)

9月3日(金)

「ゴッド・ファザーV」を見終えた。あまりに面白い作品だったので、しばらく余韻を楽しむため、続けて次を観るのはやめにした。今、あれこれ反芻しているところ・・・。
 正義が通らない世界で、たとえ不義であっても、自分や自分の家族を守るために戦うことを非難することはできまい。身内のすべてを殺されてアメリカへ逃げた幼い少年ピトが、一人、家族を養うために命がけで働き、弱者を苦しめる悪党を殺してでも、コミュニティに秩序をもたらそうと努力し、結果、皆から頼りにされるドンとなったことはよく理解できる。ピトには必然的な人生だったろう。
 悲劇なのは二代目マイケル。彼は、本当のところマフィアのドンとして生きる類の人間ではなかったのだと思う。人にはその人にふさわしい役割、あるいは使命があり、それを生き抜くことができれば命を全うできる。できなければ、命を消耗するのだ。若きマイケルが、父親と一族を守るために2人の悪漢を殺したところから、彼の運命は変わってしまう。責任感が強く、理性的で能力も高いマイケルには、本来は彼の仕事ではない類の仕事を選ぶことになってしまった。「お前の時代は裏舞台で人を操るのでなく、表舞台で人を操るのだ」という父親ピトの遺言どおり、マイケルは不法行為から足を洗い、表舞台に出る努力を惜しまない。その甲斐あって、ローマ法王に表彰されるまでに到る。けれど、最後は、「僕の人生は這い上がりの人生だった。上に行けば、きれいな世界があると思って。でも、上に行けば行くほど、そこはもっと汚い世界だった」と言う。「愛する者を守るために戦い、その結果、愛する者を失ってしまった」とも。その通り、話の最後では、最愛の娘を失い、失意の中で死んでいくのだ。あまりに哀しい結末だ。でも、マイケルに、他のどんな選択があったというのだろう?あの時、父と一族を見捨て、個人主義を貫いて生きていく決断をしていたら良かったのだろうか?
 それぞれの役割に自分を当てはめ、自分だったらどうできただろうと考え考え観た。彼の妻ケイが賢明な女性であったことだけは確かだ。それなのに、彼女の人生も哀しい。やりきれない思いがする。だけど、それが人生だとも思う。年齢とともに、守らなければならないものや責任を負わなければならないものは、だんだん大きくなり、独り身の時のように、潔い決断を下すことは困難になっていく。「権力」の持つ裏と表。少なくとも、はっきり言えることは、背負いきれない力は持たないに限るということだろう。(村本邦子)

9月2日(木)

あちこちで、「お嬢さんは大丈夫なんですか?」「大変でしたねー」と声をかけてもらう。サイトを見ていてくださる方がこんなにおられるのだなーと感激。おかげさまで、娘は驚異的な回復ぶりで、既に登校している。すっかり元気とまではいかないけれど、何とか登校するところまでにはこぎつけた。ありがたいことだ。あとは、ゆっくりと回復していくのみ。娘の様子を見守りつつ、私自身も元通りの生活に戻りつつある。これからは秋の講師ラッシュが始まる。親子共、程好く頑張りたいものだ。(津村 薫)

9月1日(水)

昨夜、娘の携帯にチェーンメールらしきものが送られてきた。巧妙な内容で、一途な高校生を傷つけるものだった。今夜は、娘が「無料でカラコン(カラーコンタクト)くれるらしいねんけど、行ってもいいやろ〜」聞けば、保険証持参の上と言う。「無料のものもらうのに、保険証持って来いなんてなんか怪しい!昨日のメールもそうやけど、年頃の子の気を引いて、悪い事考えるヤツは山ほどいてるねんから、気をつけなアカンよ」と私。「もぉー、これは関係ないって・・・」不服そうな娘。(その後、コンタクトに関することには保険証が必要と言う事は分かったが、行くかどうかは検討中)。それからしばらくして、「○○のお母さんが、テレビに関するアンケートのお願いを、ポストに入れといたのでよろしくって」「ぎょえっ!!なんか来てたけど、こんなもんに答えたらろくな事ないと思って、破って捨ててしまった〜」「だいじょうぶ、アンケートは明日もって行くからって」。あ〜!!何だかややこしい世の中だ。(森崎和代)

9月1日(水)

後期精神分析の授業で、今年こそは映画を取り上げたいと、適当な映画を探している。夫のお勧めで、「アナライズ・ミー」を候補にあげたが、その前提となる「ゴッド・ファーザー」を見ておくべきだと言う。観ることにしたが(初めて)、なんと3本で10時間を超える大作だ。夕方から夜中まで見続けて、ようやく2本400分。かなり疲れたが、内容はさすがにとても面白かった。家父長的な男の世界だが、自分の役割を引き受け、哀しくも雄々しくも(?)生きて行くしかない男たちの心理描写が実にうまい。「女・子供」はひとくくりで付け足しの世界だが、今の社会に置き変えれば、女にだって起こり得ることだろう。世代とともにアメリカの時代背景も大きく変わっていくが、こうしてDV夫たちができていくんだなと思ったり。とにかく、あと1本観たら、ようやく「アナライズ・ミー」にたどり着ける。・・・と、思ったら、その後、「アナライズ・ユー」という続編もあるのだと。ひぇー。(村本邦子)