2004年8月 (スタッフの日記バックナンバー)

8月31日(火)

息子の過労死が裁判で認められたとのニュース。母親が、「息子は帰ってきませんが、息子の頑張りが認められたことが嬉しいです」とコメントしている。「ン?」と思った瞬間、娘が顔をあげ、「なんか違うんちゃう?頑張りとかって問題か?」と漏らす。母親が息子の喪失をどう意味づけるかに口を挟む気はないが、勤勉は美徳の価値観はやはり危険だ。「おもしろくて、おもしろくて、つい一生懸命」というのなら良いかもしれないけど。
 そんなことを思っていた矢先、仕事仲間から、「村本さん、Hです!夏休みは十分とれましたか?それとも相変わらずの忙しさでしたでしょうか?私はほとんど遊びほうけています。楽するともう止められなくなってしまって。。。?」とのメールをもらい、「うわぁ〜、健全!」と驚くやら呆れるやら。「楽すると止められなくなって、遊びほうけている」なんて、この私でさえ、いつのまにやらすっかり縁遠い世界になってしまった。遊んでいても仕事が気がかりで楽しめないというほど重症ではないにせよ、楽しむことに、内心、「こんなことをしていていいのか!?」という罪悪感がつきまとう今日この頃。ましてや、仕事仲間に「遊びほうけています」なんてメール出せないなぁ。それにしても、こんな人がいるというのは周囲にとって、とっても良いことに違いない。私も、一刻も早く、このワーカホリックから回復したいものだ。(村本邦子)

8月30日(月)

四条畷市に講師。最近特に運動不足の私は、駅の階段の昇り降り程度で息が切れる。2時間話しても平気そうにしているので「パワフル」と思われがちなんだが、違うんだな、これが(涙)。最近は反省して、デューク更家先生に弟子入りし(笑)、毎日家で運動しているのだが、すぐにへたばり長時間できない。ああ、情けない。嘆きつつ、ちょっとずつ頑張ることにしている。ところで今日は台風の影響を心配したが、帰宅するまで天気がもったので安堵した。授業が途中で打ち切りになって帰宅してきた娘も無事。帰宅の遅い夫がちょっと心配。(津村 薫)

8月30日(月)

 整骨院通いも1ヶ月を過ぎ、少し良くなってきたかなと感じる今日この頃。カウンセリングに不慣れなクライエントさんのような自分を発見する。

 患者の心・・・ちょっと良くなってきたような気もするけど、本当のところ、どうなんだろ?自分でも不確かだ。もう、たいしたことないんじゃないか。それに、こんなにいつまでも来ていていいのだろうか?一番辛い時は、有り難い、有り難いと思って来ていたけど、ちょっと良くなってくると、なぜか一抹の罪悪感が発生。この程度で毎日来て、甘えていていいのだろうか?あまりに大事にされすぎているような気もする。それに、こんなに一生懸命やってもらっているのに、いい加減、良くならないと悪いような気もする。いつまでも怠けてないで、いい加減元気になって、この時間、仕事でもするべきでないか?・・・自分の体のことを人に聞くのも情けないが、一応、プロの客観的な意見を聞いてみよう。

 私「自分のことを人に聞くのも変なんですが、どんな感じでしょう?少しは良くなっているでしょうか?」(自分で突っ込みを入れてしまうので、どうしても言い訳がましくなる) 整骨士さん「最初に比べると少し良くなってきたと思いますが、首の方はまだなかなかですね・・・」 私「そうですよね。やっぱり、痛いっていうのは、まだダメってことですよね」 整骨士さん「ダメってことないですけど、やっぱり、違和感があったり、痛いってことは、正常な状態ではないってことですね」 私「そうですよね。まだ、もうちょっと頑張って来た方が良いですね」 整骨士さん「そうですね。慢性化している場合は時間かかりますね」 私「気をつけているんですが、どうしてもパソコンに向かう時間が長くて。毎日、一生懸命やってもらって、ちょっと楽になっても、パソコンに向かうと元の木阿弥で、なんだか申し訳ない気もして」 整骨士さん「そんなことないですよ。どうしても、お仕事の方は仕方ないですよ。三歩進んで二歩下がるという感じで、少しずつ良くなりますから」 私「そうですね」・・・

 こんな思考をするクライエントさんは時々いる。カウンセラーの側からいつも思っていること・・・しんどい状態で自分に鞭打って頑張ってきて、ほんのちょっと楽になったら、また頑張らなければと思うなんて気の毒だ。それに、自分でお金を払って来ているのに、来ることに罪悪感を持つ必要なんてまったくないのに。来る必要がなくなって、お金払ってまで来るのが嫌にならない限り、遠慮無く来てくれたらいいのに。誰だって、自分の調子を良い状態に保つために時間やエネルギーを費やす権利がある。甘えでも怠けでもない、元気になったら、自然と来る気なくなるから。

 そして、いつのまにやら、こんな思考パターンにはまってしまっていた自分に、改めて驚きを感じる。ここ2〜3年、本当にワーカホリックだったんだ。こうなってしまうと、プロから、多少なりとも、強く、「ちゃんと通って来た方が良いですよ」と言ってもらう方が有り難いことを実感する(誘う側からすれば遠慮がちになるものだけど)。それに、こうして他者からケアしてもらうことがどんなに有り難いことかも。整骨院に来ていることだけでなく、日常生活で自分なりに改善の努力をしていることは確かだが、ここで手当してもらうことを核にして、かなり意識することができていると思う。ここの整骨士さんたち、本当に真面目で良く働くのだ。そして、私たちだって、真面目でよく働いてるよな。(村本邦子)

8月30日(月)

宝くじを買った。朝、息子が起きてきて「お母さんが宝くじ買うたら、一億円当たった夢見た」と言ったからだ。今年は何かと当たり年だから、宝くじ買おうかな、と何度となく思ってはいた。しかし今日は、夢のお告げがあったのだ!“やっと、来るべきときが来た”とばかりに、すぐ買いに行った。子どもたちの分と3枚買った。さあ、どれが当たるのか、楽しみだ!!(森崎和代)

8月29日(日)

「これ読んで!今度は絶対読んでや!!」と言いながら、夕食後娘が持ってきたのはマンガの単行本。(こうしてマンガを持ってきたのは2回目。1回目は電車の中で読んでいて突然噴き出し、しばらく笑いが止まらず、とっても恥ずかしい思いをした。しかし内容があまりにくだらないので返却した)。夜は特に眼がしょぼつくので、あまり読みたくない私。「え〜、洗い物してくれるんやったら読むけど」とへんな交換条件。「わかった」「!?!」そうまでして読んで欲しいのか?なんなんだろう?「なんで、そんなに読んで欲しいの?」と聞いても「とにかく読んでよ。おもしろいから、読んでほしいねん!」という。共通に楽しむものを求めているのだろうか?自分が興味を持っているものを知って欲しいのか?とにかく、全16巻中、手渡された2巻を読んだ。「結構面白かったわ」。入浴後見ると、後2巻が静かに、テーブルの上に置かれてあった。(森崎和代)

8月29日(日)

久しぶりにNPO事業で日曜出社(来週もダ・・・)。「怒りのコントロールを学ぶグループ」ファシリテーター養成事業。今回で3回目の講座となり、一期生、二期生を招いて、講座修了後の実践報告をしてもらった。数々の援助者養成事業に関わってきたが、それを具体的な形で活かして実践につなぐところまでフォローすることはなかなかできない。参加者が、それぞれの個性で自分なりに落として使う様子を知るのは、本当に感動的だ。7月・8月とずっと不調で冴えないままだったが、努力の甲斐あって(この一ヶ月、休日以外は1日も欠かさず整骨院通いをしたし、ここ4日、毎日なにがしかの運動を続けている)、ようやく、少しずつパワーが出てくるかな〜という予感。(村本邦子)

8月29日(日)

娘は登校するだけで精一杯、疲れ方が普通ではないので、まだ心配なのだが、今日は模試に出かけた。帰宅したら明るい声で「多分なあ、結果はとんでもないで〜」だって。別にいいよ、元気だったらさ。今は「セカチュー」に夢中な娘。原作も漫画も読破、映画は2回観て、ドラマも欠かさない。無邪気にしている様子を見ると心底ほっとする。夫が名古屋から戻って3日目。ようやく私も肩の荷が下ろせる気がする。やっぱり家族は一緒がいいなあ。犬と猫も嬉しそうに、先を争って夫に甘えに行くから面白い。(津村 薫)

8月28日(土)

娘が登校できるようになり、今週、夫も名古屋から戻り、久しぶりに平穏な暮らしに安堵している。火曜日は滋賀県で1日中講義。琵琶湖を望む素敵なホテルが会場だったので、美しい景色を楽しんで得した気分。水曜と木曜はキッズサポーター養成講座・大阪。水曜の午後はちょっと抜けて堺市に講義に。金曜日は姫路に行き、大阪に戻り、夜にまた講師。何だかばたばたの1週間だけど、秋の繁忙期(1年で最も講師が多いのは秋なのだ)と比較すれば、これは序の口。さあ、この秋も元気でいかなくては。それにしても体が重い。デューク更家先生に弟子入りしているのだが(笑)、運動不足を何とかせねば。(津村 薫)

8月27日(金)

今朝は、古紙回収の日。数ヶ月前から、月1回業者さんが回ってくれるようになり、助かっている。が、実はこの日が来ると結構大変。今までは、夕方新聞に眼を通していたのだが、最近小さい字が見えにくくなり(老眼か?)、新聞を読むのがおっくうになってきた。回収の日の朝(もしくは前日)は、そんな読まずに溜まった新聞を、荷造りしながら往生際悪くチェックするからだ。せっかくの面白い記事を、見過ごすのは残念とばかりに・・・。今日もいっぱい切れ端が溜まった。そしてこれを又読む時間が必要だ。そして、そのために又新聞を読む時間が減る(ん?)。今月こそ、溜めずに毎日、新聞に眼を通すぞ!と、このところ毎月思っている。(森崎和代)

8月26日(木)

十三駅の立ち食いそばで夕食。ここはいつ来ても満員で、仕事帰りのサラリーマンが多い。とりあえず空きっ腹を、という雰囲気の人もいるが、多くは、しっかり麺類におにぎりで、たぶん晩ご飯なのだろう。安くて早くて便利だけど、なんとな〜く、ちょっと哀しい光景である(まっ、自分もその中の1人なわけだけど)。それでも、哀しそうな顔をしている人はなくて、みんな満足そうに黙々と食べている。良いとも悪いとも言う気はないが、みんなこうやって頑張って働いているんやなあ・・・としみじみ思う。これも人生だ。(村本邦子)

8月25日(水)

水曜待ちこがれて、「華氏911」を観に行った。マイケル・ムーア監督には、「ボーリング・フォー・コロンバイン」でも唸らされた。斬新な手法で映画を用い、世に問題提起する。ユーモアたっぷりの非暴力だ。なんてすごいヤツなんだと思う。それにしてもブッシュめ!選挙の裏舞台については、「10ミニッツ・オールダー」の「ゴアVSブッシュ」ですでに扱われていたが、あの時、公正に選挙が完了していたら、きっと、今頃、世界は違っていただろう。アメリカでは、すでに帰還兵の問題も出てきているようだ(報道はされないが)。日本も近いうちにそうなるだろう。こうして戦争のからくりが暴かれているのだから、一刻も早く止めて欲しい。始めて知ったことがたくさんあった。(村本邦子)

8月24日(火)

首は痛いし、肩は凝るし、背中はバリバリで、頭痛に吐き気までしてきて、ついに、パソコンに向かうのをやめてしまった。この夏こそ、2年越しの『フロイト入門』を書き上げてしまいたかったが、もう、このペースで仕事するのは無理。せっかく、毎日、整骨院で丁寧に手当してもらっているというのに、こんな生活してたのではモグラ叩きのようなものだ。真剣にライフスタイルを見直さなければと考え始めている。子どもが小さい頃、夜は家で仕事をしないと決めていたが、いつ頃からか、仕事から帰り、晩ご飯の支度をして夕食を済ますと、そこから3時間はパソコンに向かうという生活になってしまった。夜のパソコン、ゼロは無理でも、1時間までとか決めて、ジムに行くか、散歩するかしようと心に誓った。いつまで続くかわからないけど、とりあえず、今夜はエアロビに行ってきた。体を動かすのって、こんなに気持ち良かったんだと久しぶりに実感!(村本邦子)

8月24日(火)

このところ、朝の散歩ができて嬉しい。秋の虫たちの鳴き声を聞きながら、季節の移り変わりを感じる。稲たちも眺める視線が上がるほど、グンと大きくなり稲穂も出てきた。田んぼの彩りが変わる時期、早くも青年期だ。
 今日は散歩の後、曇っている間にと庭の草引きをした。この時期、こんなにきれいな庭は久しぶりだ。今年は、梅雨時期雨が少なく暑かったからか、雑草の成長に負けなかったぞ、やった〜!(ここ数年、すぐ伸び放題になって、枯れるまで放っておくという状態だった)。庭がきれいになったら、家の中の物もすっきり整理したくなってきた。(森崎和代)

8月22日(日)

「なすび食べるか?」朝電話が入る。以前新聞の集金に来ていたおばちゃんからだ。「食べる。食べる!」こうして、よく掘りたてのジャガイモやらたまねぎ、採れたてのきゅうりやピーマンなど季節の野菜をいただく。私も時には、いただきもののお菓子などを持って行って物々交換。お互い花が好きで、うちの庭(ねずみの額ほど)に植わってる花を切り分けたり、苗をあげて挿し芽をしたけどついたとかアカンかったとか・・・1ヶ月に1回、何気ない会話を楽しんでいた。昨年、年齢と安全を考えて仕事をやめたらしいが、今でもこうしてたまに電話をくれる。そして、野菜をもらって数分しゃべって帰ってくる。人との出会いを嬉しいと思う。(森崎和代)

8月22日(日)

盆休みもなかった息子の部活が休みというので、「休み中、どこか行きたいとこあったら連れてってあげるよ」と言っていたら、ライブに行きたいとネットで情報を集め、お目当てのグループが複数出るのがあると大喜びで、ゆうべは、ライブへ繰り出す予定だった(娘も私もその気になっていた)。息子が張り切って、3時間前にミナミまで出て並んだが、オールナイトなので18歳未満は入場不可だったと、がっかりして帰ってきた。「保護者つきでもあかんの?」「保護者つきでライブとか、聞いたことないし」。「じゃあ、どこ行こう?」誕生日プレゼント(結局マイクに)買いに出かけようかとも言っていたが、「もう面倒くさくなってきたし、家でのんびり過ごそうかな」などと言い出した。そして、朝になると、中学校の部活へ行くと出かけてしまい、「昼、先生おごってくれるっていうし、午後も部活におるわ」とメールが。なんや、休みまで柔道しに行くのか。結局は、せっかくの休み、家族と一緒に過ごすのは気が進まないということなのだろう。久しぶりに家族で春休み旅行した時の彼の名言、「ずっと家族とおると寂しくなるねんな・・・」。普通は、家族とおらんと寂しくなると思うけど、彼の場合、友達と会わないでいると寂しくなるということらしい。どこか出かけたくてたまらなかった娘と私は、ちょっとがっかり。(村本邦子)

8月21日(土)

「うちは家族であんまり遊びに行ってないよなあ」と息子が発言。プールとかディズニーランドとかUSJとか遊園地系で子どもが喜ぶ所って家族で行った事がないと・・・そうかも・・・・。いやいや何言うてんの、帰省時にはハウステンボスにもバイオパークにも行ったし、ディズニーランドにも(父なし)、USJ(母なし)にも行ったやんか。「家族みんなで行きたいんや!」って・・・。そういえば、私も夫もプールや遊園地は人が多いのであまり好きではない。それでもそれなりに行ったけどなあ。息子は小さかったので覚えてないのかもしれないが。「じゃ、今度お父さん帰ってきたら赤目へ家族みんなで行こう!いいでぇ〜」。息子曰く、「山やお寺はもういいねん!」。う〜ん、どうもごまかしは(家族で行くというだけでは)効かない様だ。(森崎和代)

8月21日(土)

劇場で見損ねた「スパイ・ゾルゲ」があるというので、早めに晩ご飯を食べてTVにかじりつく。長い映画だった。あの時、近衛が軍部を押さえることができれば、日本は戦争に突入せずにすんだのだろうか?状況が複雑化すればするほど、何が正しくて何が正しくないか白黒つけることは難しくなる。ゾルゲは自分の描いた理想のコミュニズムに命を賭け、尾崎は自分自身の中にある感覚に静かに命を賭けたのだろう。どう生きても救われないのは哀しい時代。そんな時代に突入せずにすむことを願うばかりだ。(村本邦子)

8月20日(金)

明日は息子の誕生日。毎年、誕生日は(クリスマスも)上限3千円で好きなものを買ってやることになっていて、ここ数年はCDばかりだった。今年もCDかと思っていたら、「誕生日プレゼント3千円って少なすぎひん?小さい時からずっと変わらへんやん」との指摘。ハテ!?と考えてみると、なるほどそうだ。これまで、とくに苦情もなかったので、深く考えてなかったが、よくよく考えてみるとその通りで、「小さい時からずっと3千円」というのもなんだか可笑しくて笑いが止まらなくなってしまった。「そう言えばそうやんな。いったい、いつ頃からだっけ?」「覚えてへんけど、小さい頃、5百円のボンバーマンを組み合わせて3千円分買ったの覚えてるし」(ボンバーマンと言えば、とっくの昔に箱庭のおもちゃになってるから、ひょっとすると小学校に上がる前かも・・・)。「友達もひっでぇ〜って言っとたわ」「そうやな。もう高校生やし、もちょっといいもん買ってあげるわ。で、友達はいくらぐらいで、どんなもん買ってもらってるの?」「知らん。たぶん、5千円くらいのゲームとかちゃう」(なんや5千円か、かわいいもんや)「わかった、欲しいもんのリストつくって予算調べといて。その中で一番買ってあげたいもん買うことにするわ」。本当のところ、今時の高校生って、どんなプレゼントをもらっているのだろう?(村本邦子)

8月20日(金)

昨日の赤目での遠足は、自然を堪能し本当に楽しかった!が、今朝の赤目効果がまた面白かった。朝から体が軽い。2〜3日前からの肩こりが治り歯の痛みも消えていた。しかし何よりおもしろかったのは、からだの感覚。汗をいっぱいかいたからか、昨夜ぐっすり寝たからか、赤目のマイナスイオン効果なのか(疲労回復効果があるらしい)体の軽さは感じるのに、しかし何かがけだるい。このマッチしない2つの感覚がよくわかったのだ。朝のこのけだるさは良く感じるけだるさだ。以前から、時間の経過とともに元気が出てくるので、低血圧の影響かなと思っているのだが、今朝は特に、すっきりしている体の中にミスマッチに存在しているけだるさを感じて面白かった。(森崎和代)

8月19日(木)

ゆうべは首が痛くて寝ることもできず、苦しんだ挙げ句、首と肩の間に野球の球をはさんで固定したら眠れることを発見(首が痛い人、お勧めです!指圧効果もありそう)、朝は少し楽になった。今日はFLCの遠足で(またまた、なんでやねん)、スタッフ数名を連れ、香落峡から赤目四十八滝をハイクし、赤目の隠れ温泉で締めた。水着を持って行かなかったことが返す返すも残念だったが、膝まで浸かりながら裸足で渓流を歩いた。気のパワーでずいぶん元気になった。なんでも、パソコンからはプラスイオンが出ていて、それが眼の疲れから肩首にいくらしいが、少なくとも6時間はマイナスイオンを浴び、温泉でリラックスしたから、帰りは本当に楽になった。やっぱり、時々はこうしてエネルギー補給が必要だと痛感。また、明日から頑張れるな。(村本邦子)

8月18日(水)

朝日新聞1面に総務省の広告を見て目が点になる。「恩給欠格者、引揚者の皆様へ 独立行政法人平和記念事業特別基金では、次の方々に内閣総理大臣名の書状等を贈呈しています。●旧軍人などで恩給を受けていない恩給欠格者の方 ●終戦に伴い本邦以外の地域から引き揚げてこられた方」。これはいったい何だ!?この時期、こんなことを思いついてやること自体がセコい。そもそも、何故これが「平和記念事業」なのか。内閣総理大臣に戦争の苦労をねぎらい称えてもらうことで、ようやく浮かばれたと嬉しく感じる人々が、やはりいるのだろうか・・・。(村本邦子)

8月18日(水)

わたしは普段、しっかり朝ごはんを作れない(弁当作るので精一杯)ので、せめて味噌汁ぐらいはと「野菜の煮物か」と見間違うような具沢山のお味噌汁を作る。しかし、単身赴任の夫へのみやげ物として、レトルトやら即席物を張り切って買い貯めすぎたため、もっていけなかったものが家に残っている。帰国後、朝から部活に出かける子どもの食卓にこれ幸いと、フリーズドライの味噌汁を出した。子どもたちも結構おいしいという。それならばと、乾燥わかめを入れたり、麩をいれたり、ねぎを足したりしてせっせと出していた。すると今朝「この味、もう飽きたなあ」と息子。あ〜楽だったのに〜。明日から、また味噌汁を作ります。(森崎和代)

8月17日(火)

ここ数日パソコンに張り付け状態だったからか、久しぶりに首筋が痛くて、どうにも首が回らなくなってしまった。整骨院では、いつも、「今日はどんな感じですか?」と聞いてくれるので痛みを訴えると、「極度の筋疲労状態ですねぇ」と言いながら、マッサージした後、薬を塗ってていねいに湿布してくれた。首が痛いくらいでこんなに手厚く手当してもらうなんてと、ちょっと感動。何て言うのか、自分を大切し扱ってもらっている感じ。日頃、子育て中のお母さんたちに、小さな子どもには体を大切に扱ってやることが、「あなたは大事な存在なんだよ」というメッセージを伝えるものと言っているが、言ってる自分が実感した。それにしても、毎日整骨院通いをしているというのに、ちょっとパソコンに向かうとすぐに首肩が痛くなるのには閉口だ。最近、めっきり弱ってしまっているということなのか、それとも、これまで鈍感すぎたのか。自分でもわからなくなってしまった。(村本邦子)

8月16日(月)

息子の帰りが遅いので、メールしてみることにした。いつもは娘に頼んでメールを打ってもらうが、手近に娘がおらず、初めて自分でチャレンジしてみた。何て書こうか、前は、○○くんと呼びかけて始めたら、名前はいらんと怒られたし、5行くらい書いたら、長いメールやめてと言われたので(過去に5回くらいしか使ったことないけど)、あれこれ考えて、「遅いな」(ヤッタ!漢字変換できた!)とだけ送った。返事はなく不機嫌に帰ってきたので、「メール届いたやろ」と言うと、「ヤンキーやし」と。「えっ、どういうこと!?!?」「ふつう3文字だけのメール送るか?一緒におった友達も、単語1個って怖いなってビックリしとったし」とブツブツ。事情がよく理解できないので、しつこく食い下がって少しずつ状況を把握が、おもしろい発見があった。今時の子どもたちにとって、基本的に文字だけ、要件だけのメールは親分・子分関係のようなもので(命令口調に近いということのようだ)、それを「ヤンキー」と表現したようだ。通常、好意的なメールには、「気持ち」が入ってなければならず、そのためには、「遅いな」の後には、せめて、小さい「あ」をつけるとか、棒線を引っ張って伸ばすくらいのことはするべきで、さらに、そこに、絵文字や記号でニュアンスを加えるのだ。昔の礼節もややこしかったが、今時のエチケットも難しいものだ。(村本邦子)

8月16日(月)

久しぶりの日記だ。ありがたいことに、娘は随分快方に向かっている。今春、お父さんの転勤で東京に越してしまった娘の親友(中学時代の同級生)が、はるばる泊りがけで今日、遊びに来てくれた。本当はこの夏休み、夫の単身赴任先の名古屋で落ち合い、夫の住むマンションに泊まって積もる話を楽しもうという計画になっていたらしいのだけれど、娘の病気ですべて流れてしまった。今年の夏は娘からは出向けないのでありがたいことだ。お母さんとお電話でお話したところ、「会いたくて会いたくて仕方なかったんですよ」と言ってくださる。うちの娘も同じだった。「こんな親友はもう現れないと思う」と娘がいうほどの仲良しなので、嬉しそうにしている。こんなに楽しいことは久しぶりかな。よかったね。娘は来週からもう2学期が始まる。3年生になると夏休みもなくなるという厳しさらしい。ぼちぼちと復帰していければいいのだけれど・・・。(津村 薫)

8月15日(日)

「今日は敗戦記念日だから、少し勉強しとき。そのうち同じ事が起こるかもしれないからね」と漫才を観て笑い転げている子どもたちを誘って、NHKスペシャル「子どもたちの戦争」を観る。子どもたちの関心は、どうしても、自分たちが生きてるうちに戦争が起こるだろうか、戦争に駆り出されるだろうかという点にある。「そうならないようにちゃんと頭使っとき」と言うものの、我ながら説得力に乏しく、情けない。軍国主義教育を受け、軍国少女・軍国少年だった今は70代の男女が、昔の歌を歌ったり、語ったりするなかで、ホロホロと涙を流す。無垢な子ども時代を奪われた無念さが伝わってくる。戦後、59年経った今、彼らが、怒りより、悲しみと悼みを表出することにしっくり共感できる。戦争を知る最後の世代が高齢化しつつある。番組の終わりで、「私たちには戦後60年はあっても、戦後70年はない」と語られるが、これからの5年、10年、どのように戦争を語り継ぎ、受け継いでいけるかが問われている。きっと、それが未来を決めるだろう。(村本邦子)

8月14日(土)

娘がかつて学童でお世話になった先生とショッピングに出かけると言う。「交通費とお昼出してくれる?」「う〜ん、まっ、いいか」「やったー!」・・・(言いにくそうに)「なぁ、なぁ、それって、ほら、ネコババっていうの、ヘソクリっていうの、あれやっていい?」いったい何を言い出すのやらと思いきや、要するに、お昼ご飯代を少しでも節約して、買い物に回したいということのようだ。「いいよ、自分でやり繰りしなさい」と言ったが、本当のところ、ネコババとヘソクリはどう違うのだろう?そんなことを思うのも、(表現はちょっと違うが)ヘソクリはネコババと同じと執拗に主張するクライエントさんがいるからなのだが、一般的に言って、ヘソクリは正直に白状できるが、ネコババは白状しないところだろうか。帰ってから、「で、ネコババしたの?」と聞くと、これまた言いにくそうに、「お昼ご飯、先生が出してくれた」と。そうしてゲットしたものは、300円の手提げ袋と350円のTシャツ。正直だから、ネコババとは言わないかな。(村本邦子)

8月14日(土)

朝夕少ししのぎやすくなった。まだ涼しい朝8時前、数週間ぶりに散歩に出かける。
少し歩き始めて自分の目を疑った。田んぼがない・・・苗がない・・・雑草が生えている!
病気になったのか?枯れてしまったのだろうか?そうだ!きっと家が建つに違いない・・・
ひどい!全部引き抜かれたのか?!もしそうなら、どうして収穫のシーズンまで待てなかったのか!ショックだった。人間の身勝手さに腹が立った。
 その田んぼは住宅街の中にある1反で、毎年今から目の前に開ける緑の海原への期待を持たせる最初の第1歩だった。どれくらい大きくなったのか楽しみにしていたのに!やるせない気持ちのまま歩いていた。しばらく行くと、いつものように目の前に緑の大海原が広がる。朝露もきらきらして、一段と成長した稲の輝くばかりのきれいな緑。きらきら輝く稲たちに四方を囲まれ、さわさわと話しかけられながら歩いていく。人間の都合で、植えられ、引き抜かれた稲たちを思う。しかし今、目の前には無心に日に日にたくましく成長している稲の姿がある。心がざわめく。命を感じる。自分の命を精一杯いきている稲たちに癒され、さっきまでの腹立たしい気持ちが静かになった。(森崎和代)

8月13日(金)

整骨院も盆休みだしと、半年ぶりくらいにスポーツジムのストレッチ・クラスに参加。しんど〜とバテながら何とか終えたところ、「こんにちわ〜」と声をかけられた。何とビックリ、子どもの権利をやっている弁護士さんだ。近所の人と出会うことにはもう慣れたが、仕事関係の人とこんな姿で出会うとは。まだ若い弁護士さんだが、彼女も首が痛くて整骨院通いをしているのだとか。そうだよね・・・お互い、ストレス多き仕事。ストレス・マネジメントも上手にならねば。(村本邦子)

8月12日(木)

最近、整骨院に「ビルトアップ」の広告が貼ってある。電気刺激で腹筋やら何やら運動したことになるそうで、毎日通っても1日6千円とか。一瞬、「運動不足の解消にいいかも」と思ってしまった自分に唖然。こんな安易な方法をもっとも嫌う自分だったのに。もう1ヶ月近く整骨院の治療に通っているが、「マッサージは受動的リラクセーション」とは本当で、だんだん受動性が強化されてきたのかも。辛くて動けない時には有り難いが、ちょっと元気になったら、ジムかプールに通うようにしたいものだ。どうせ毎日1時間費やすなら、予防的に運動する方が健全な気がする。(村本邦子)

8月11日(水)

トリビアを見ていたら、「剣道の試合で1本取った後ガッツポーズをとると、判定が取り消される」というのをやっていた。礼節を重んじる競技なので相手に対して失礼になるからだとか。「なるほど」。と納得しながら見ていると、投稿者自らの体験だったらしく、当時のビデをが公開された。インターハイへの出場をかけた団体戦の決勝戦の模様だ。
 引き分けで迎えた一戦、1本取られ取り返し、のかなりの接戦だ。後1本で勝敗が決まる。そのとき、見事に1本!が決まった。最後の挨拶をするための場所へ向かう途中、彼は応援していた仲間に小さく、ほんの少し握りこぶしをにぎるくらいの、あれがガッツポーズ(?)と思えるほどの“こと”をした。しかし協議の結果、判定負け。インターハイ出場の夢は絶たれた。「え〜〜」。信じられなかった、涙が出そうになった。
 ルールはルール。しかし、大きなガッツポーズをとったならまだしも、審判が気づかないふりをしても誰も責める人はいなかったのでは?私でさえやるせない気持ちになった。
 中学から剣道をやっている娘に話すと「エッ、そんなん知らんで!」大慌てで誰か(たぶん部活の子)にメールしていた(笑)
 私は、ガッツポーズでもしてくれなければ、娘の試合を見ていても勝っているのか、負けているのか分からない。だから、余計に「ちょっと自分の気持ちを出すぐらいいいいやん」と思うのかもしれない。(森崎和代)

8月11日(水)

先日の息子の柔道の試合の様子をインターネットの動画で見ることができた。いつも、「応援に来たら負けるから絶対来るな」と言われているので(昔、野球をやっていた時も、実際そうで、縁起悪いと言われている・・・)、これまで彼の試合をたった1回しか見たことがない(それも差し障りのない試合のみ)。正直言って、柔道のルールがよく理解できないもんだから、勝ったのか負けたのかよくわからないところもあるが、かっこよく相手を打ち負かす場面に「ヤッタ!」という感じ。息子が柔道をやることにとくに期待はないが、こんな時だけは、ガンバレと思う。柔道を続けていること、今はあまり楽しくないらしいが、それでも、この暑いなか、朝から晩まで練習に励んでいる。どう考えて頑張っているのだろう?自分で選んだ道だから、とりあえずもうちょっと頑張ってみたらとは思うものの、どうしていくのかな。(村本邦子)

8月10日(火)

きのう・今日と、「わくわくチャレンジャンプ」で丹波へ。養護施設の子ども70人、臨床心理を学ぶ大学院生70人、それ以外のサポーター50人と、総勢200名近い大所帯のキャンプ。今や毎年の行事となっているので、久しぶりに出会うスタッフたち(おもに兵庫県の養護施設の職員)も懐かしければ、冨永先生はじめ、ふだんは顔を見かけてもゆっくり話す暇のない人たちに会うのも嬉しい。最近は、武庫女の杉村先生、本多先生の車に便乗させてもらうので、おふたりの掛け合い漫才(?)を後で聞いているのも楽しいし、今年は、懐かしの西澤さん、大島さん(学生時代、私の彼の卒論の被験者をやったことがある)とも話す時間があった。そして、何と言っても、子どもたちが、いつもながらかわいい。ちょっとすねた子、人なつっこく甘えん坊の子、恥ずかしがりの子・・・子どもたちをじっと見てると、お腹の底から気持ちがわき出てくる。子どもたちって、本当になんてかわいいんだろう。だから、いつも別れが辛い。私は特定の子と関係を結ぶわけではないが、それでも、いつも涙をこらえるのに必死だ。どの子どもたちも、それぞれに過酷な人生を背負っているのだろうが、豊かで幸せに生きていって欲しいと願うのみである。加えて、院生たちもかわいいものだ。このキャンプに行くと、いつも優しい気持ちになれるから不思議だ。(村本邦子)

8月10日(火)

上海のお土産を持ってFLC本社へ。思いがけず「子育てのコツを学ぶグループ」にも参加でき、子どもが小さかった頃の悩みなども思い出しつつ有意義な時間を過ごした。
 昼食後、スタッフと上海みやげのお茶とお菓子でこれまた楽しい時間。とは楽しく過ごせたから言えることで、実はお土産のお茶やお菓子がちゃんとおいしくいただけるものか、ちょっと緊張(みなさんごめんなさい・・・)だった。
 しかしそんな心配はどこへやら、買ってきたジャスミンの茶球にお湯を注ぐと、カップの中でゆっくりゆっくり茶葉が開きだした。香料ではないジャスミン本来のやさしい香りに包まれる。すると開いた茶葉の中に赤い花が見えだした。「わあ〜きれい、きれい!」と喜んでいるとポンッと赤い花が浮かび上がる。お茶をすすりながら「優雅な時間やねえ」とゆったりした時間を喜んでもらった。私にとってはこういう時間を喜び、共有できる仲間がいることに感謝した時間でもあった。(森崎和代)

8月9日(月)

夫の赴任先、上海から帰ってきた。ちょうど出発する頃、台風が何十年振りかの珍しい進路で東の海上からやってきていた。そしてよりにも寄って出発当日の近畿直撃率70パーセント!なんでや〜!!ああ、やっぱり今年は当たり年・・・。行く数日前から気が重く、うんざり気分。行けるのかどうか、当日の朝にならないと分からない状態だった。
 不安なまま迎えた朝、幸運にも進路が少しそれ何とか出発。その後は天候にも恵まれ、家族団らん最高に楽しい贅沢な日々を送った。
 そうそう、エッセイに書いた夢の場所。カチッと「ここだ」の場所ありました!しかし予想に反して1箇所ではなく3箇所だった。その場所に立つと、夢で見た光景がよみがえり脳裏をよぎる。あの夢もここのことだったのかと。
なんとも不思議な街、上海。息苦しいほどの暑さだったけれど、その暑さが似合う活気あふれる元気な街。元気をもらいにまた行きたい。(森崎和代)

8月8日(日)

20数年ぶりに琵琶湖の花火大会。琵琶湖湖畔の友人宅という恵まれた場所での花火鑑賞、ものすごい迫力だった。昔から、琵琶湖の花火が大好きで(天から湖に落ちていく花火が何とも美しい)、学生時代は毎年行ったものだ。最近は花火もコンピューター化され、自由自在の演出ができるらしい。夜空一杯に所狭しと演出が繰り広げられ、これまで観てきた花火のなかで、もっとも豪華な花火の数々だった。新種の花火も多かったようだ。少し景気も回復しつつあるのかな!?それにしても、帰りの人の多さは20年前以上。終了後、1時間待ったが、とても帰れる状態ではなく、2時間待たなければならなかった。帰宅したのはシンデレラ。花火観るのも体力がいるものだ・・・。(村本邦子)

8月7日(土)

相変わらず、毎日1時間の整骨院通いをしている。ほぐしてもらった後はちょっと良いが、仕事をすると、すぐまた体がバリバリに凝ってしまう。いったいどうしたことか。これまで鈍感になっていたのが、敏感になったということなのか、オーラが弱ってるから仕方ないのか・・・。ちょっと悲しく情けない。ところで整骨院通いをしていて面白く思うこと。いろんな患者さんがいて、いろんな話をするのが耳に入るが、若い柔道整骨師たちが実にうまく話し相手になっていること。養成講座にカウンセリングの授業があるのか、あるいは経験的に身につけていくものなのか。花婿学校には聴き方講座必須というくらいだから、若い男性で聞き上手になるのはプライベート上、有利かもしれない・・・などと考えながら、いつもほほえましく整骨師たちの受け応えを聞いている私である。(村本邦子)

8月6日(金)

今日は広島の日。広島の復興の様子を扱ったNHKの番組を観る。原爆投下前後の航空写真からの街を再現する技術にまず驚く。そして、原野から日に日に救助テントが増えていく様子に驚嘆。なんて生き物(人間というより生命という感じ)は強いのか。これまで日本が喪失を悼めなかったのはなぜなのか問うてきたが、最近、少しずつ納得している。やっぱり、彼らは頑張るしかなかったのだ。生き残りの罪悪感も手伝って。でも、がむしゃらに頑張るサバイバルのための生き方は、平静時には必ずしも適切でない。結局、立ち止まるまでに50年が必要だったのだと思う。復興していく力に目を向け、敬意を払うとともに、強さと頑張りだけでは取りこぼされていくものを拾う作業が今こそ求められるのだろう。(村本邦子)

8月5日(木)

例年どおり、芸術教育研究所主催の保育士研修。保育士研修はよくやるが、客層はいつもと少し違う。基本的に芸術に興味を持つ人と、心理学に興味を持つ人とは、異なっているのだろう。対象がつかめたので、去年よりはやりやすい。そして、楽しみなのが、他の講師たちとの食事。これも、基本的に芸術家の集まりなので、いつもの心理学者集団とはちょっと違っていて新鮮。異業種の人たちとのおつきあいは楽しい。絵や音楽や劇など、他の講師の講座を私自身も受けたいなと憧れつつ。(村本邦子)

8月4日(水)

今日は、再放送していたドラマ「さとうきび畑の唄」をみる。昨年放送されたときは、途中からしか見てなかったので、ぜひ全部通して見てみたいと思っていた。今晩はこれを見ようと決めていたので、何となく、夕食のおかずはゴーヤチャンプルになった。
主人公の最後は衝撃的だ。負傷しているアメリカ兵を殺せないことで、上官に殺された。主人公が最後に叫んだ言葉、「私は、こんなことをするために生まれてきたんじゃないんです」は、胸にずしんと響く。戦争は殺人行為であることを突きつける。戦争のむごさと主人公の明石屋さんまの笑顔が対照的で、主人公の笑顔がもの悲しく切ない。
もうすぐ原爆記念日、終戦記念日を迎える。今年は戦争と平和について考えてみたい。(西順子)

8月3日(火)

飛行機で「シュレック2」を観る。「1」とともに、よく笑えた。どちらかと言えば、大人向けパロディだと思っているが、気分の良い作品だ。ポリー・ヤング・アイゼンドラスの『夫婦療法』の中に、「鬼婆と英雄」の物語が紹介されている。妻が、昼美しく、夜醜い姿で過ごすか、あるいは、昼醜く、夜美しい姿で過ごすか、英雄は選ばなければならないが、妻が自分で決めることを英雄が望むと最後の魔法が解け、鬼婆は美しい姿を取り戻す。女が主体的選択を奪われている限り、鬼婆に留まるが、自分の人生に対する主体性を得ることができれば美しく変わるのだという比喩は感動的だったが、それでも、心のどこかに「なんだ、やっぱり美形かよ」と不満が残った。「シュレック」はそれに答をくれた形だ。(村本邦子)

8月2日(月)

今日は久々に友人と鴨川に出かけた。裸足で芝生に寝転がって、水の音を聴きながら青空を見上げていると、たまっている仕事もどうでもいいような(おいおい)空っぽな気持になる。ふと視線を落とすとそこには鴨川の鴨や川辺のハト,散歩中の犬,階段付近のノラネコ家族,何を思っているのか川に立ち尽くしているカワサギ,そしてそんな川辺に集う人間達がそれぞれにそこに居る。色んな生き物に囲まれていると何だかホッとする。やっぱりたまには鴨川に来てみるといいよなと感じた一日だった。仕事ははかどってないけどね・・・(笑)。(おだゆうこ)

8月1日(日)

誕生日、アボリジニのメディスンマン(一種のヒーラー)と会う。基本的に、心理学は西洋医学に基づくが、それだけでは取りこぼされるものがある。とくに、集合的次元のトラウマ(戦争や民族浄化などによる)に関しては、西洋医学やカウンセリングでは越えられないと思うのだ。かつて、ネイティブ・インディアンのヒーラーとも出会ったことがある。それぞれに、不思議なエピソードを持つが、その科学的真偽はともかく、目に見えない世界にも開かれていたいと思う。今回も面白い体験だったが、自分のオーラが曇り弱っていると言われたのはショックだった。最近、体の次元での不調には直面しつつあったが、「オーラが」と言われると、魂まで弱っているようで悲しい。悪い病気があるわけではなさそうだが、やはりここ数年の頑張りすぎが祟っているようだ。不思議な治療も受けたので、少しは回復したと信じたいところだが、中年期の曲がり角、真剣にライフスタイルを見直さなければと肝に銘じている。まだ勉強不足なので十分に理解できないことも多いが、長く顧みられずにきた人類の知恵について、これから少しずつ勉強してみようと思っている。(村本邦子)

8月1日(日)

今日は、父親の誕生日。毎年私の誕生日ではないのに、「父の誕生日だしケーキ食べなね」と自分に理由をつけて、ケーキを食べようとする私。
7月8月はスタッフをはじめとするFLCつながりの方々の「おめでとう!」が連なるおめでたい月なのだ。とくに8月1日は4人分の「誕生日おめでとう〜!」の声が重なる日。
なにやら縁深い日にでもあるなぁと思いつつ、8月1日産まれの皆さんに「誕生日おめでとうございます」\(*^^*)/ (おだゆうこ)