2003年6月 (スタッフの日記バックナンバー)

6月29日(日)

コミュニティ心理学会を終え、帰ってきた。この学会は、規模が小さので、アット・ホームな雰囲気があり、学会を創ってこられた第一世代が若手を大事にし、自由な雰囲気があるので、数ある学会の中でも、私の好きな学会だ。来年は立命館で引き受けることになったので、どんなふうにしたら良いかなとあれこれアイディアを巡らせている。学会になる前は、もっと少ない人数で、温泉地で合宿という形でやってきたものなので、私を含め、以前の形式に心惹かれる会員も多い。学会自体がひとつのコミュニティであることを目指しているのだけど、学会になり、規模が大きくなっていくと、事務的な手続きは増え、非人間的な要素は増していく。投稿論文に一筆を入れず、ただ送りつけてくる会員が9割であることが話題になり、年配の会員たちが憂えていた。私自身は、その感覚がわからなくもない。誰がどんなふうに仕事をしているのか見えないからだ。私たちのNPOの今後のあり方を考えるうえでも、興味深く、この組織の発達を見ている。(村本邦子)

6月29日(日)

鹿児島の出張から戻ったばかり。仕事とはいえ、随分観光も楽しんだ。
特攻記念館に行った時には、「21歳」「18歳」・・など、ずらりと並ぶ若者たちの遺影に、言葉を失った。年配の女性が連れの女性に「イマドキの若い者はというけれど、それを育てた自分が最低なのね。よくわかったわ」と涙を拭いながら言う。その言葉や、犠牲者である特攻隊員たちの祀られ方にはいろいろと感じるところがあるけれど、「この重みを知らない若い世代に、是非ともこれを見せたい」というその女性の言葉には共感する。
来館者の寄せ書きのノートをぱらぱらと見てみると、「つーか平和学習の目的ってなに?こっちは受験で忙しいんだよ」という中学生の男の子と思われる書き込みが。
絶句するけれど、こんな暴言を吐いても「非国民だ」と処罰されない表現の自由が保障された世の中というのは、やはり平和なのだと思うべきなのか。
あの時代とは違った「飢え」に苦しむ社会に生きている若者たちがいる。(津村 薫)

6月28日(土)

 今日は地元の保育園の親向け講演。熱心なお父さんたちの姿がチラホラ見られることに感心する。大学に入って関西に移り、家庭教師をするようになって、その家のお母さんが留守の日にはお父さんがお茶を入れてくれる家が多いことに驚いたものだ。
 学会の懇親会で、地元で女性相談員をしている方と話していたのだけど、鹿児島県には、家庭における男女の性別役割に反対する割合が逆という奇妙な現象が見られると言う(つまり、他府県では、反対するのは女性の方が多いのに、鹿児島県のみ、女性の反対者が男性より少ない)。面白い話だ。鹿児島の男性たちが進歩的と考えるべきか、女性たちが現状維持志向と捉えるべきか。「薩摩おごじょ」は男を立てるが、実際には無力ではなくタフだ。「影の権力者」という役割がまやかしであるのは事実だけど、案外と思うように生きている女たちがいるというのも事実だと思う。ただし、パワフルな女が、一人で何人分も背負って頑張っているという話なのだけど。相談員の女性は地元の人ではないので、この現象をどう捉えられるのかと意見を求められた。よくわからないけれど、鹿児島の女性は男性に何ら期待しておらず、必要ともしていないから現状維持派になるのかと考えてみた。鹿児島の男性の自殺率は相当に高いらしい。そんな事態に問題を感じて、現状に反対する男たちが出てきているというのは良い知らせだろう。私自身も本当のところ良くわからないので、他の解釈、考えがあれば是非聞かせてください。
 今回、講演に私を招いてくださった保育園の園長先生も、比較的お若い女性なのだけど、通常保育の他、病児保育、学童保育、子育て支援など、幅広く女性たちの援助活動をしており、この保育園の存在によって救われている親子がたくさんいることを実感し、感心した。鹿児島の女たちが頑張っていることが嬉しい。そして、子育ての責任を担っていこうとする若い男性層が着実に生まれてきたことに、明るい気持になった。また、時々、地元で仕事をするようにしたいものだという気持を強くして帰ってきた。(村本邦子)

6月27日(金)

 私が日頃どのように講師活動をしているのか、しゃべっている私自身には分からないのだが、「分かりやすい」という評価とともに、「気持ちよく怒っている」と言われることがある。まぁ、「子ども虐待」や「性暴力」「ドメスティック・バイオレンス」「スクールセクハラ」等のテーマで話す場合、こういった行為への怒りが根底にあるため、そのような話になるのだろう。
 様々な暴力行為そのものへの怒りもさることながら、被害者が貶められる現実への怒り、被害者や支援者が感じさせられる無力感など、怒りどころは絶えることがない。私が怒らなくてもいい世の中に、遅々とした歩みでもいいから変化してほしいものだ。
(前村よう子)

6月27日(金)

 仕事で鹿児島に来ている。今夜は、城山のてっぺんから錦江湾と夜景を眺めながら、露天風呂につかった。明日、朝風呂に入れば、桜島がきれいに見えることだろう。大きな栴檀の木がユサユサと風に吹かれるのを見ながら、海と風と夜空と植物のエネルギーが体中に充満してくるのを感じる。ここは私が育ったところ。時々噴火する桜島に血が煮えたぎるような情熱を感じる。今日の仕事は、子育て支援講演と学会の理事会。合間に、大好物の氷白熊を食べ(今回は57周年記念とかで、「スペシャル白熊」というさらに大きな白熊が!)、大満足。久しぶりにふるさとに帰るのは嬉しい。(村本邦子)

6月25日(水)

 蒸し暑い日々は続く。今日は、孝行者の子どもたちが、白玉あん・フルーツ入り豪華「かき氷」を作ってくれた(正確に言えば、自分のを作ろうとしていたところを頼み込んで母の分まで作ってもらった)。かき氷だとかスイカだとか、夏の冷たい食べ物が、私は今だに大好き。ほんのり甘く、みずみずしくて、なんだかうっとり幸せな気分になってしまう。ちょっとヘンかな!?(村本邦子)

6月24日(火)

先週に引き続き、滋賀県立男女共同参画センター「Gネットしが」さんで講演。今回は「学童期の子育て」について。雨の中、100名を越す参加者の方々!子ども連れの方などは特に、外出が大変だったはず。ありがたいことだ。2時間、皆熱心に耳を傾けてくださり、あっという間に過ぎたような気がする。来月は7月12日に前村が「思春期の子育て」を担当し、最終回。またたくさんの方が集まってくださると嬉しいな!いろいろと細やかなご配慮をいただいて、所長さんはじめスタッフの方々には感謝、感謝!!(津村 薫)

6月24日(火)

 今日、娘がケンカ沙汰に巻き込まれ、もう少しで大怪我(どころの騒ぎではなかったかもしれない)しそうになったという。ある生徒が別の生徒にからかわれ、カッとなって教室にあった机を投げつけたのだが、それがたまたま同じ部屋にいた娘の頭スレスレに飛んで来たという。敏捷性とは縁遠い娘のこと、たまたま頭を下げたらから避けられたそうだが、側にいた同級生たちがゾッとした程、頭を掠めるような状態だったらしい。
 もし頭を下げるタイミングがずれていたら、どうなっていただろうかと思う。考えるだけで震えてしまう。娘が被害者になっていたなら、私はどうしただろう?相手が中学生だろうが何だろうが許せない、深い哀しみと憎しみに翻弄されるだろう。
 もしも・・・であったからこそ、机を投げた生徒にも思いを馳せることができる。よほどしつこく酷いからかわれ方をしたのだろうと。からかうこと、カッとなること、どちらも誰しもが経験することだが、これ以上しつこくしたらどうなるのか、これ以上の力をぶつけることがどんな結果を招くのか。思春期の子どもたちに限らず、私たち大人もこういった限界設定ができなくなっている気がする。(前村よう子)

6月24日(火)

 グループ・アプローチの授業で、前からやってみたかった"What is work?"のワークショップを試してみた。自分にとっての仕事の意味を考え直すためのワークシートを中心にグループで話し合いをしていくというもの。私がかつてアメリカの博士課程にいた時、同タイトルのセミナーに参加したことがあって、とてもおもしろく(内容的には詩を中心にしたクリエィティブ・ライティングのセミナーだったのだけど)、もうちょっと心理学的にやれないかなと思い続けてきた。それなりにうまくいったようだ。仕事についての価値観は、子ども時代、育った家庭から、言葉で、あるいは暗黙のメッセージを受け取っており、それを認識していなければ、無意識に影響を及ぼすものだ。ジェンダー・バイアスも大きい。プログラムを開発して、2泊3日くらいのワークショップを実現できないかなと思っている。
 私自身は、常に、自分にとって仕事とは何なのか自問自答しながら仕事せざるを得ない。不平を言えばバチが当たると思っているのだけど、仕事が多すぎて、何を引き受け、何を断るのかいつも決断を余儀なくされる。自分にとっての面白さ、社会的意義、勉強になるか、会社の宣伝効果、条件、他でもなく自分がしなければならないことなのか、どれだけ喜んでもらえるか、誰に頼まれたか。迷いなくやらせてもらいたいという仕事がある一方、決断し難い仕事もある。さまざまな要因を考えながらも、断るのが苦痛なので、ついつい多めに引き受けてしまう。ひとつひとつの仕事は、それなりに楽しく意味を感じるのだけど、オーバーワーク気味になると負担感もでてくる。そして、ここには大きな罪悪感を伴う。だから、いつも、気持ちよく仕事させて頂けるよう、自分で仕事量を調整する責任があると思って、日々努力している。本当に自分がやりたい仕事は何なのか、本当に自分がやらないければならない仕事は何なのか、いつもいつも考えさせられる。贅沢な悩みだ。(村本邦子)

6月23日(月)

 自宅ベランダのグリーンはぐ〜んと成長し、しげしげと茂っているのだけど、京都支所の方の花物はすっかりダメになってしまった。確か去年も夏に軒並みやられたような気がする。暑くなってくると、空調効果も加わって、相当に熱気がこもってしまうのかもしれない。熱帯植物系が良いのだろうか?まだうまく条件がつかめない。アイビー類は元気だ。(村本邦子)

6月22日(日)

 朝から「ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密」を観に行く。本当は映画に行ってる場合じゃないんだけど(うぅ、パワーポントが・・・)、母娘の葛藤と女たちのシスターフッドがテーマだから見逃すわけには行かない。個性的でパワフルな女たちの泣き笑い人生と、それを支える成熟した男たち(ちょっと、女に都合良すぎる!?たまにはいいよね!)。母との葛藤を抱え15年も精神科医に会い続けてきたシッダが、ある事件をきっかけに母との関係を断絶。おまけに、母のような母になることを怖れ、婚約解消をしようとする。幸せの一歩手前になると怖じ気づいて、ぶち壊しにするチャンスを伺うという私たちにはお馴染みのパターン。ところが危機的な時にはいつでも力を結集してきたヤァヤァ・シスターズ(母の仲間たち)がシッダを誘拐して荒療法を施す。結局、母も娘も一回り成長し絆を結び直すのだ。精神分析や心理療法より、現実は確かな力を持っているのかもしれない、そうそう、そんなもんだよねと(皮肉にも)納得する私。アメリカの時代背景と家族のあり方もほの見えて懐かしかった。前回おススメした「アバウト・シュミット」よりも、さらにおススメ。(村本邦子)

6月21日(土)

NPO法人 FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク主催のワーキングマザーのためのストレスマネジメント講座がいよいよ最終回を迎えた。株式会社シャルレのウイメンズフェローシップ女性奨励賞2002を受賞、その賞金で行われたこの講座、文献を用意し、準備段階から数えて半年以上。仲間たちと共に学びあう中で、ワーキングマザーのためのプログラムを作り上げてきた。全5回、5週間に渡るブログラムが瞬く間に過ぎたような気がする。握手をして別れたワーキングマザーたちの笑顔はまぶしかった。今後の健闘と、ストレスと上手につきあうより良い人生を心から祈りたいと思う。忙しい中を参加してくださったワーキングマザーたちに感謝!協力しあえた仲間たちに感謝!この機会を与えてくれた株式会社シャルレに感謝!(津村 薫)

6月21日(土)

 来週の学会発表に向けてパワーポイントと格闘中。これまでにも使ったことはあるが、一から自分で作るのは初めて。どちらかと言えば原始人タイプの私だけど(自分で仕組みが見えない機械は嫌い)、最近のソフトは相当に親切で誰もが簡単に扱えるようになっている。ベイシックの時代とはエライ違いだ。まだマニュアル(というか親切なボランティアHPに頼りながら)を見ながら、あれこれ試している段階。この週末には何とか完成させたいものだ。うまく使えたら楽しいだろうな。(村本邦子)

6月20日(金)

今日は急いで買い求めないといけないパソコンの付属器具を求めてさまよう (笑)。
ついでに、パソコン収納も対応しているビジネスバッグ(リュック兼)を購入した。
ストレスマネジメントでは、肩こりに悩んでいる人はリュックがお勧めだという。
それで肩こりもひどく、常時パソコンや何冊もの書籍を持ち歩き、重い荷物を常に持つ私は思い切ったのだが、なんとお洒落でないこと!いかにもサラリーマン・・・というような、シンプルで洒落っ気もないものばかり・・・。お店の人に「こういうタイプしかないんですか」と尋ねてみたが、「やはりこういうのが主流ですねえ」とのこと。パソコンを常時持ち歩くのは男性の専売特許じゃあるまいし、このテのカバンでお洒落なものがないのは寂しい限り。シンプルでいいから、もう少し美しいものが出てきてほしいものだ。
今夜は、大阪市立生江青少年会館で保育ボランティア養成講座の講師を務める。子育て未経験の若者ばかりが集い、とても嬉しかった。現代の子育てのつらさを話したら、皆一生懸命に聞いてくれた。イマドキのお母さんは昔のお母さんより楽チンで贅沢だとばかり思っていたと正直な気持ちを話してくれる。社会は豊かになり、便利な物が溢れているけれど、母親たちは、子どもを見守る地域の暖かい支援をなくした社会で孤独な子育てを強いられているのだ。そのつらさに思いを馳せてほしい。そして、子どもたちの健やかな成長を保障する責任が自分たちにもあるのだということを知って欲しいと思う。彼女たちのこれからが楽しみだ。その意義をかみしめた社会貢献は、人生を豊かにする。さまざまなことを体験しながら、既存の価値観に疑問の目を向け、しっかりと考え続けてほしいと思う。(津村 薫)

6月20日(金)

 グレン・グールドの "At The Cinema"を聴く。彼が映画音楽を手がけていたことは、まったく知らなかった。観たこともない映画だけど、「スローターハウス5」「戦争」という映画だ(早速、ビデオを探そうっと!)。これまで、ソロばかり聴いてきたので、協奏曲を聴くのは不思議な気分。オーケストラと一緒に生演奏したのだろうか?ブランデンブルク協奏曲(第四番ト長調)は特に新鮮だった。ピアノの旋律がとっても小粋に効いている。グールドのバッハに魅せられてピアノを始めたので(大人になってから)、グールドは私のピアノの原点なのだ。最近はCD会社がクラシック復活を目指して、新しいタイプのCDやDVD編集を試みているらしい。いよいよ家でもDVDを見れるようにしたいものだ。

6月19日(木)

 大学の授業で「人生計画」のワークをやってみた。まず、仕事や結婚、子育てなど、自分が死ぬまでの予定表をつくる。それから、自分が人生に求めるものと、自分の望むライフコースの構成要素をリストアップ、それぞれに優先順位をつけ付き合わせる。これらが矛盾しあわないように不要なものを省いたり、妥協したりしながら、より現実的な人生計画を練り直すというもの。「時間を取ってじっくり考えたことで、これだけはやるぞと意欲が出てきた」「お金があれば良いと単純に思っていたが、こう考えてみると、平凡な幸せが一番良くて、そんなにお金が必要でないことがわかった」「夢のような生活を思い描いてそれだけで良い気分になった」・・・大半の学生がワークを楽しんでいたが、現在、目先のことでアップアップしている状態の子にはちょっと辛い作業だったようだ。自分が大切にしたいものをはっきりさせる、優先順位の低いものは捨てる、案外、そんな簡単なことが、より良く生きることにつながるのだ。そして、経験によって、状況によって、計画が変わっていくのも人生の面白さ。若い人たちには、希望を持って前進して欲しいと思うのだけど。(村本邦子)

6月18日(水)

滋賀県立男女共同参画センターさんにお招きいただき、乳幼児期の子育てについて講師を務める。お母さんが図書室で読書したり、ビデオなどを視聴している間、託児を受けるなど、きめ細かな子育て支援をしておられることを知り、素晴らしいことだと感動。地元のグループの方々の支援も行き届いていて、母親に暖かい支援がある地域社会が息づいていることを感じる。母親が子どもに優しくないと社会は厳しく糾弾するけれど、社会が母親に優しくないのに、どうして母親にゆとりが持てるだろう。暖かい支援は、そのまま母親から子どもへの暖かい接し方へと繋がる。こんな良い支援が、必要なお母さんの元に、もっともっと届くといいなあ。(津村 薫)

6月18日(水)

 今夜は話題のマトリックスを。今回の方が、さらに映像技術とアクション性は高く迫力満点だったけど、ストーリー性は前回より落ちるかな?最終回に乞うご期待というとこ。(村本邦子)

6月17日(火)

 火曜の朝は、いつも、京都支所のグリーンの手入れをする。今朝はひどい雨で、ベランダまで降り込んでいたけれど、雨に打たれたグリーンは生き生きと輝いて見える。アイビーがずいぶんと茂り、この夏には一面を覆うことだろう。朝顔も植えた。花物の花付きが悪いので、リンか何かが足りないのかな?研究が必要だ。(村本邦子)

6月16日(月)

 今日の院生の修論発表は、環境ボランティアの動機がテーマ。おもしろかったのは、ボランティアを始めるきっかけというのは、大義名分や正義感のような大層なことより、親しい友人から誘われたとか、身近に場があったというようなところにあるのだそう。なるほど、些細なことからボランティアは始まるのだろう。その方が本当だという気がする。ボランティアは人を育てる。小さなボランティアのきっかけづくりができたらいいのかなと改めて思った。(村本邦子)

6月15日(日)

 今日はNPOの方の子どもプロジェクトのミーティングの日で、京都支所へ行く。月一回、日曜に京都へ行って、河原町四条から三条へぶらぶら歩くのは、学生時代に戻った気分でワクワクする。このプロジェクトでは、秋からDV家庭で育った子ども向けの支援グループを実施する予定で、何をするのが一番役に立つのか、研究会を重ね、メンバーと勉強している。そもそもは、NPOの掲示板に、DV家庭で育った子どもたちの支援が欲しいという書き込みがあったことから、このプロジェクトが始まった。面会センターの立ち上げを考えて欲しいとの書き込みから、面会支援プロジェクトの立ち上げに向けて、これも現在準備中。みなさん一人一人から寄せられた声を大切に、できることから実現していけたら。そんな方向で、NPOの活動が展開しつつあることがたまらなく嬉しい。(村本邦子)

6月15日(日)

露出魔を見た。これまでも何回か遭遇したことがあったが、無視して通り過ぎたり、電車内の時は駅員に訴えたこともあった。警察に電話するとややこしいような気がして、そいつ(露出魔)のために、1分も犠牲になりたくないような気がして、通報したことはなかった。今回110番通報してみた。すぐ出動しますと言ってくれ、出動後は報告の電話があった。捕まらなかったけども、これまでの経験の中で、一番すっきりした気分がした。(窪田容子)

6月14日 (土)

NPO法人FLC安心とつながりのコミュニティづくりネットワーク主催のワーキングマザーのためのストレスマネジメント講座第4回目がドーンセンター (大阪府立総合女性センター)で行われた。連続5回で行われるこの講座も、いよいよ次週で最終回。貴重な休日に、一生懸命参加してくれているワーキングマザーたち (遠方から、また忙しい中、あるいは子ども連れで!)には感謝!今日は、イライラを軽減するために子育てのコツについて学び、さらに、ユーモアワークに取り組んでもらった。笑うこと、日々の暮らしの中にユーモアを取り入れることは、ストレス耐性を高める。仕事に育児に家事にと、フル稼働で、日々の暮らしを楽しむゆとりを持てず、バタバタと毎日を過ごしてしまいがちなワーキングマザーだからこそ、特にそれを学んでほしいと思う。ところで、この準備プロジェクトの段階で、さまざまな笑いについて学べて、私にも良い体験になった。どうも私は「笑い上戸」らしいということにも気がついた (自称・笑いにしなやかな感性を持つオンナ・・・笑)。皆がシーンとしている中で、ひとり笑いがこみあげてゲラゲラと爆笑して、あきれられることも、しばしば(汗)。他の皆が笑いに疎いというよりは、私の守備範囲が広いのか (笑)、あるいは、笑いのツボが違うのだろう。それでも、楽しいこと、笑いを求めるという作業は楽しかった。気がつけば、私の周囲には、笑えて仕方ない本 (注・私限定・・)やグッズがたくさん。ありがたいことに、ユーモアも夢もやりがいもたっぷりの職場に恵まれているけれど、もし、笑いを忘れそうなときがあれば、積極的にこれらの本を求めよう!私の心身の健康のために。(津村 薫)

6月14日(土)

 娘がツタヤで「アトランティス」という海の中の記録ビデオを借りてきた。Rhythme, Beat, Mind, Soul, Spirit, Tenderness, Love・・・など、テーマに合わせて、海の生き物にフォーカスし、効果的に音楽を組合わせてある。海ヘビ、マンタ、マナティ、アザラシ、タコ、サメなど、個性的な登場人物が次々と。癒し系のビデオなのか、ストーリーはない。忙しくてなかなか海に行けないので、夢の中でしばし海中体験。大きな画面で観たら、もっと気持良さそう・・・。(村本邦子)

6月13日(金) 

 SAJの合宿で箕面に来ている。SAJとは、ステップ・ファミリー(子連れ再婚によって新しい家族を形成している家族)をサポートし、社会啓発する当事者グループで、設立初期から関わらせてもらっている。なかなかのやり手の集まりで、あっという間に活動を発展させ、今では全国規模でグループの場を提供している。さまざまな困難はあっても、それと真摯に向き合っていこうという姿勢を持った人たちなので、家族についていろんなことを考えさせられ、学ばせてもらっている。この分野に関しては、まだまだ専門家が頼りないから、当分は当事者たちに頑張ってもらうしかない。少しずつ、社会を変え、私たち専門家も、もっとちゃんと機能するようにならなければ。SAJは、このHPとリンクしているので、関心のある方は是非どうぞ。(村本邦子)

6月12日(木)

 戦場のピアニスト、シュピルマンのCDを聴く。私の中で、ショパンのノクターン(嬰ハ短調)のイメージはすっかり変わってしまった。1939年ドイツ軍がワルシャワに侵入、シュピルマンは、ポーランド放送のスタジオでこの曲を弾いている最中、爆弾が落ちて演奏を中断させられる。その後、家族も友人もすべて失い、一人廃墟で暮らすシュピルマンはドイツ将校に見つかってしまうが、この曲を弾くことで、命拾いする。そして、1945年、ポーランド放送で音楽活動を再開した時も、まず、これを弾くのである。このCDには、このノクターンの1948年録音のものと、1980年録音のものの二つが収録されている。聴き比べてみると、録音状態の違いもあろうが、活動を再開して間もないシュピルマンの演奏の方が、たっぷりとした情緒がこめられており、深い哀しみと解き放たれた表現の喜びが伝わってくる。晩年の演奏は、力強く、しかも淡々と、人生の哀しみが昇華されて澄んだ感じ。信じがたいトラウマを生き延びる力を音楽は与えてくれるのだ。(村本邦子)

6月11日(水)

 マトリックスを観ようと映画館に行ったのだけど、夜の部は残席なし(なにせレディースディ!)。派手に宣伝してたもんねー。それで、もうひとつの候補「アバウト・シュミット」に。最初の10分ほど見損ねたけど、良い映画だった。とくに、音楽が素晴らしい。たしか画面にサントラのことが書いてあったと思ったのに映画館では売っておらず、帰ってから輸入盤をネットで探し、注文。音楽とともに、爽やかで味わい深い映画でした。これはお勧め。(村本邦子)

6月10日(火)

 ずっと観たかった「グラン・ブルー」(グレート・ブルー完全版)。ギリシア、イタリア、フランス、ペルー、世界のあちこちの海を舞台にしたひたすら美しい映画だった。海に魅せられた男たちの話。人というよりほとんどイルカ族といった感じのジャック・マイヨールが、「海底が怖いんだ。上に戻る理由が見つからなくなりそうで・・・」と言う。その気持は良くわかる。通常の人間には経験するべくもないが、おそらく、素潜りで100メートルも潜れば、一種の変性意識状態になるのだろう。最後、妊娠したばかりの恋人を地上に残して、永遠に海底へ行ってしまうというシナリオは、いつもの私ならばカンカンに怒るところなのだけど、今回ばかりは許してしまうのダ。命は海から来て海に戻る。う〜ん、海に行きたい! (村本 邦子)

6月9日(月)

 今日のゼミでは、「美容整形」のテーマ。メスを入れないプチ整形などは化粧感覚で、今時の若者の4割が「やってみたい」と思っているとか。一種のファッションらしい。考えてみれば、部族などでも体に色をつけたり穴をあけたりする風習はあるし、小さい時からピアスをあける習慣(西欧だけでなく、バリもそうらしい)、日本の入れ墨なども考え合わせるなら、身体加工は文化の一部なのだろう。とりあえず私は痛いことは嫌いだ。(夫にとっては髪を染めることもピアスと同じで、快く思っていないようだが、私は髪を染めるのは好き。ピアスもかわいいと思うけど、耳に穴を開けるのが嫌。)
 そうそう、友人が編集した新しい本『子どもを選ばないことを選ぶ〜出生前診断』(大野明子、メディカ出版)が届いたので、電車の中でパラパラ読んだ。やっぱり命を加工する科学技術より、命をあるがままに受け入れる文化を創る方が良いのではないかと思う。でも、病気の治療はどこまでなら可だろう?今日のゼミで、「リハビリメイク」という概念が出ていた。より積極的に生きるためのメイク(プチ整形を含む)を肯定する考え方だ。二重まぶたになったことで、鬱が治ったり、対人関係が改善されたりするのだとか。う〜ん。線引きが難しい。(村本邦子)

6月9日(月)

ちょっと強引に仕事を片付けて、夕方、仕事場近くの美容室に飛び込んだ。有線放送では、私の青春時代に流行った洋楽がかかっている。若者の多い美容室で、お客も若者層が中心。こんな子たちが聴いても知ってるのかなあ・・と思っていたが、最近はこの年代のカバーが多いんだよね。私にとっては中高生の頃に聴いた思い出の曲だけれど。たとえばオリビア・ニュートン・ジョンとか、懐かしいところではバスター、ベイシティローラーズ、10cc、少し新しいところでは、REOスピードワゴンまで。当時は私も洋楽が大好きで、クイーンに夢中だったなあ (遠い目)。さてさて、今日はパーマをあてた。2ヶ月前、気まぐれで10年近くぶりにパーマをあてたら、結構手入れが楽で気に入ったのだ。ところが、いかにもパーマがかかった・・というヘアスタイルが嫌いな私は「ゆるく、本当にゆるーく」と注文してしまったので、本当にゆるくて、すぐにとれてしまう、というオマケがつき、早くもまた行くハメになったのだ (笑)。「これからどこかへお出かけですか?」とシャンプーを担当してくれた若い男の子が聴く。ウーン、それは若者にはバッチリのアプローチだけど、ワーキングマザーはとっとと帰らないと、夕食の支度が待っているのです(涙)。それでも、若くてはつらつとした女性美容師さんに頭皮のマッサージや肩や腕を揉んでもらったときは、あまりの気持ちよさにウットリ。あー、気分がよいぞ、苦しゅうない。美容院は長時間じっとしていないといけないので、案外疲れたりもするものだけど、贅沢なひとときでもあるよね。ところが、何もしなくてよい時間をつい惜しんでしまう貧乏性の私は、本を一冊持ち込んで、読み上げてしまった (笑)。明日、明後日、明々後日・・・ずっと講演が入っている。ちょっと気分転換したヘアスタイルで頑張るぢょ!そういえば、村本が可愛い顔文字を出していたけれど、いま仕事用で使っている私のパソコンには顔文字がない。ちなみに、私が最も気に入っている顔文字はこれ。
\(−−\) ソノハナシハ  コッチニオイトイテ  (/−−)/  (津村 薫)

6月8日(日)

 金・土・日と3日間、パソコンの前に釘付けの状態で、論文を書き上げた。5月からずっと無理してきたので、しんどくて半分以上あきらめかけていたのだけど、何とか頑張り通した。我ながら偉い!明日、発送してしまったら、ようやく肩の荷が降りる。久方ぶりの解放感。(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!!(※子どもが顔文字を入れたので、勝手に出てくるのです)(村本邦子)

6月8日(日)

好天の日曜日、家の掃除をして、ベランダに出て、愛犬のブラッシング。気持ちよさそうに目を細めている愛犬を見ると、こちらも心なごむ午後のひととき。この犬は、最近コマーシャルで一躍有名になった犬と同じ犬種で、連れて歩くと♪どうするー ○○○○〜♪と歌われてしまうのだが (笑)、7歳になり、めっきり落ち着いてきた。チョカチョカとしていた子犬時代からは想像できないほどだ。我が家にはもう一匹、猫がいるのだが、毎晩のようにがっぷり四つに組んで喧嘩をする仲でありながら、誰もいない昼間は、2匹で肩寄せ合って、同じベッドで寝転び、私たちの帰りを待っていてくれる。私が玄関を開ける前から上がり口に座り、尻尾をふって迎えてくれる姿(猫は尻尾はふらないまでも、必ず玄関まで出てきてくれる)は、なんとも可愛い。ペットというよりは、子どもの感覚に近い。飼っている、ではなく、共に暮らしているという方がぴったりする。忙しいのに、動物の世話まで大変でしょうと言われるけれど、恩恵をこうむっているのはこちらなので、苦痛どころか、元気にいてくれることが大きな心の支えになり、励みになっている。元気に長生きしてほしいなあといつも思う。今夜はシチューを煮たら、物ほしそうな顔で、じっとこちらを見る。ダメだよ、君たちにはドライフードのみ!ところがこの2匹、仲が悪いのに、ヘンな時だけは、素晴らしい連携プレーを発揮する。いいにおいのするから揚げや肉や魚が食卓に並ぶと、私が目を離したスキに猫がテーブルにあがる。ホッケーのように前足を駆使して、狙った獲物を床に落とす。そこに待っているのが犬・・という訳だ。一度などは、真冬、味噌ちゃんこ鍋をしたら、食べ終えて冷えかけた鍋に猫が前足を突っ込んでひっくり返した。もちろん下には味噌だらけになった犬。あわてて風呂場に直行して、味噌のにおいのぷんぷんする2匹を洗った。とんでもないイタズラ小僧たちなのだが、それがまた可愛いから不思議。親バカならぬ飼い主バカなのだろう。ちなみに犬の名前はトトロ。一代目の犬を病気であっという間に亡くしたので、元気で長生きしてほしいと娘が名づけた。猫はココア。この子は捨て猫から生まれた子猫で、自宅そばの駐車場で死にかけているところを娘が見つけ、あわてて親子で病院に運んで一命をとりとめて我が家にやってきた。その時にココア色の体だったので、そう名付けられたのだ (笑)。トトロとココア、仲良く喧嘩しな (笑)。そして、仲良く長生きしなよ!(津村 薫)

6月7日(土)

 朝刊を読んでいて、フリーター防止教育に取り組んできたという高校校長のコラムに目が止まった。500人、600人程度のその高校でやった調査では、そこの生徒が1年間、携帯電話に使った総額が1億を上回ったという。携帯電話、遊行費、おしゃれのために、高校生たちはバイトに走る。バイトで稼ぎ、不要な消費行動を楽しむ行動パターンが高校生活で確立されていたそうだ。
 大学生の授業で、ぐっすり眠ってしまう子が多い現象をどう考えて良いのか、かねがね疑問に思っていた。教室を回っては当てて起こしているのだが、いったん目を覚ましても、また、すぐ寝入ってしまう。まったくの熟睡で、かつての「うたたね」とはわけが違う。「どうしてそんなに眠いの?」と尋ねると、夜通しバイトしている子もいる。「そんなに働かなければいけないの?」と聞くと「はい」と答えるが、「自活しているの?」と聞いても、何だかはっきりしない。家計のことはプライベートなことだしと、それ以上、詳しく聞くこともできず、不況のせいかなどと不審に思ってきた。そうか。「不要な消費行動」を楽しむためのバイトだったんだ。
 ストレス・マネジメントの原則のひとつに「必要なだけ稼ぐ」というのがある。これは充実した人生を送るための鉄則だと私は思う。食べていくために最低限の稼ぎは必要だが、あとは、自分が人生に何を求めるのかという優先順位が必要だ。学生たちには、「不要な消費行動」がいかに人生を貧困にするか語ってみることにしよう。(村本邦子)

6月5日(木)

 ここ数週間、我が家のテレビ画面にジャズ歌手・綾戸智絵さんが登場することが多かった。最初はたまたま見た「金スマ」(TBS系)なる番組で。そして昨夜は、野球(阪神)以外の番組には興味を示さぬ我が夫が、珍しくチャンネルを合わせて見ていた「私はあきらめない」(NHK)で。
 綾戸智絵さんの本職である歌は、魂を揺さぶられるような、魂の奥底に問いかけられるような歌だとは以前から思っていたが、彼女がこれほどの壮絶な人生(アメリカでの単身生活、乳ガン、DV、抗ガン剤他により声が出なくなる)を「一生懸命」生き抜いて来られたことに驚嘆した。「一生懸命」・・・彼女曰く、「とにかく毎日、何があっても生き続けること。昨日はなんとか弾をよけながら歩いた。なら今日は、弾をよけながら花を生けようか。明日は、弾をよけながらお茶を点てようか・・、それが一生懸命」。涙が出て止まらない。もし将来、そんな機会に恵まれるようなことがあれば、彼女のライブを生で聴かせて頂きたいなと思った。   (前村よう子)

6月5日(木)

 最近、雨に濡れても平気なミュールを買ったところ、楽チンで手(足?)放せなくなった。もともと、ヒールものははけない。若い頃、どうしてみんな、あんな靴をはいて歩けるのかなあと不思議に思っていたけれど、みんな、痛いのを我慢しているうちに慣れて平気になるのだと聞いて、心底ビックリした。ストッキングも嫌い。できるだけ靴下もはきたくない。夏は裸足(今は生足だよね)にサンダルばかりだったけど、今年からは、さらにレベルダウン(?)して、ミュールになりそう。授業に行くにはだらしなさすぎるかな? (村本邦子)

6月4日(水)

大阪生まれの大阪育ち。もちろん阪神タイガースのファンだ。といっても、最近は野球のテレビ観戦の時間もなく、深夜のニュースで、同じくタイガースファンの夫とダイジェスト版を楽しむくらいだけれど、今年の阪神の活躍ぶりは嬉しい。18年前の優勝の前年、やはりタイガースファンの祖父が亡くなっており、「見せてあげたかったなあ」と思ったものだ。もちろん私の両親もタイガースファン。小さい頃、阪神が負けると父は必ず、「お父さんが監督やった方が、よっぽど勝つかもしれん」と無茶を言い、私たち子どもを笑わせたものだ。その影響を受けた私は「六甲おろし」をソラで歌えたりするけれど、勝利の後の「六甲おろし」、これがまた気分が良い。本当は甲子園球場で大合唱に加わりたいものだけれど (笑)。今日は私の好きな藪投手が、辛くも勝ち星を上げた。♪勝利に燃ゆる栄冠は 無敵の我らぞ阪神タイガース♪・・・今シーズンが終わる頃、大声で歌っていたいものだ。「今年は違うみたいやぞ」「いやあ、毎年、最初だけはええからなあー」という会話をあちこちで聞いたけれど、それも、「どうやら本物みたいやな」というセリフに変わりつつある。本物の虎の勢い、見せ続けてね。大阪が元気なのは、とても嬉しいなあ。(津村 薫)

6月4日(水)

 レイトショウで、「8マイル」を観る。今日はレディース・ディだそうで、ラッキーと思いながらも、「なぜ!?」と複雑な気分。描かれているのは私の日常とかけ離れた世界だったが、ノリノリのラップはエネルギッシュで熱かった。
 この映画は男の世界を扱っていると思うけれど、ここに登場する女たちをどう捉えるか、繰り返し考えている。(レディース割引を使ったせいか?)友人の中野冬美さんが、かつて、「やおい」にハマッていた理由を、「愛や信頼やロマンは男たちのものだから、それを感じるためには、男たちの姿を借りなければならなかった」というようなことを言っていた。私自身は、そんなこと考えたこともなかったが(だって、ここに集う私たちは、まさに、愛と信頼とロマンを生きていると思うもん)、この映画は、まさにそれを証明しているようだと感じて、ちょっと嫌な気分になった。でも、よくよく考えてみると、ここに出てくる女たちは、かえって、真っ直ぐで清々しいのかもとも思えてくる。自己中で自分の欲望を追求するハタ迷惑な女たちだけど、彼女たちは、あがきながらも、自分に与えられた条件下で精一杯生きている。少なくとも、「キャッチ・ミー」に出てきた母親(夫が没落すると、夫を捨て、金持ちの夫の友人と再婚してしまう)より遙かにマシだ。モデルとして成功するために手段を厭わないアレックスは、エミネムの女バージョンなのだけど、好きな男には積極的にアプローチするが、男と契りを結んだりはしない。ただし、エミネムと違って、仲間がないことが悲しい部分なのかもしれない。まっ、実話というから考えてもしようがないのかもしれないけど。(村本邦子)

6月3日(火)

 「ギリシャ神話を知っている?」と教え子に尋ねると、知っている子はクラスで一人いるかどうか。もう少し上の世代に尋ねると「詳しくはないが、多少は知っている」という方が多くなる。「神話」だから作り話ではあるが、人間の心理を語るには、こんなにもってこいの物語はないくらい上手くできた話だと私は思っている。
 6月12日(木)より、『女はみんな女神』を読むという「女性心理学フリートーク」を開始する。この本では女性の中に息づく様々な可能性を、ギリシャ神話に登場する代表的な7人の女神になぞらえて説明おり、「私はなぜ、こういうタイプに弱いんだろう?」「どうして、この人に惹かれるのだろう?」というような謎にヒントをくれるし、自分の長所を伸ばすコツもつかめる。本を読破した暁には、ギリシャ神話に詳しくなれるというおまけまで付く。せっかくのグループワーク、是非、多くの方にご参加頂きたいなぁと願っている。  (前村よう子)

6月3日(火)

 大学へ行く途中、同僚の団さん(うちのNPOの理事です)と、偶然、バスで一緒になる。おしゃべり2人の組み合わせだから、いつも話題には事欠かないのだけど、ちょっとは真面目な話もする。団さんは、「物には金をかけない、体験には金をかける」主義で子育てしてきたのだと。なるほど、私も賛成だ。物は身に付かないけれど、体験は人の血や肉になる。ただし、お金で買える体験はごく限られたものだけだ。(村本邦子)

6月2日(月)

 立命館のゼミ。インターネット中毒を修論のテーマにする学生がいて、おもしろかった。うちは夫も息子も自分のホームページを持っていて、どちらかと言えば、ハマっている方だ。息子のホームページは新しいはずだけど、うちの研究所の倍以上ヒットしている。どちらかと言えば、高度な科学技術にはアレルギー傾向のあった私だが、最近、私もインターネットのおもしろさにちょっと目覚め、思春期以来のこの日記を楽しんでいる。古くからの友人も読んでくれているようで、近況を知らせるつもりで、友人の顔を思い浮かべながら書いている。話を聞いていると中毒になる危ない指針は、どうやら、ハンドルネームをいくつも使い分けて人格変容を楽しむことや、インターネット以外の世界を持たないことのようだ。夫、息子、そして自分と思い浮かべてみて、その傾向はないなとちょっと安心。娘などは、ある掲示板に書き込みをして、事情があって別のハンドルネームを使った時、「これからも二人分書かなきゃいけないのかな〜?」ととても困惑していた。そう、平気で別人になるためには、一定の条件が必要だと思う。(村本邦子)

6月2日(月)

大阪市の家庭児童相談室の、相談員の研修会に招かれ、講師を務めた。以前、私は似たような相談室で相談を受けていたことがある。その頃、スタッフの部屋に戻ると、問題を抱えた子どもの母親への批判が、飛び交っていることに、いつも居心地の悪さを感じていた。母親も一人の人間だ。探せば、何らかの欠点は必ず見つかってしまう。関わりが多ければ、過保護だ過干渉だと言われ、関わりが少なければ、愛情が足りないなどと言われる。子どもの問題を、すべて母親の責任に帰していく、そういう考えこそが、母親に子育てを抱え込ませ、過剰な責任を強い、追いつめ、子どもにマイナスの影響を及ぼしていくのだと思うのに・・・。母親を責めるのではなく、共に子どもを見守り考えていくという姿勢が大切だということを、研修会の中では一番伝えたかった。(窪田容子)

6月1日(日)

夫の祖母の、米寿の祝賀会が京都の料亭であった。子どもとそのパートナー、孫とそのパートナー、曾孫、総勢24人が全員集合した。30年近く前に夫を亡くし、その後、謡や絵などの趣味を楽しみながら、京都で一人暮らしをしている祖母。着物をきちっと着て、しゃんと背筋を伸ばして座り、にこやかに談笑している姿に、あんな風に年を重ねられたら素敵だなと思った。(窪田容子)

6月1日(日)

 ある程度の雨・嵐は、植物にエネルギーを与えるらしい。心配していた琉球朝顔もしっかり根付き、早くも蔓を伸ばしている。早速、支柱を立て、方向づけ。ついでに、つばめ朝顔の種蒔きも。残念ながら強い風のために茎が折れ、傷んでしまったペチュニアには、手当てしてやる。室内には、水草と熱帯魚たちがいる。グッピー、テトラ、コリドラス、クーリーローチ、ヤマトヌマエビ、そして要らぬお客の貝たち。みんな、生命活動が盛ん。みずみずしい命の季節だ。(村本邦子)